友と心の証明
「名前って伊織くん、だっけ?」
「あってる。よく覚えてたね」
「ちょっと話題になってたよ。女の子みたいな名前いるー!って」
こんなことでいいのだろうか。こんな単純な言葉1つで動かせれてしまうような心でいいのだろうか。本来なら、そう問い掛け続けるところだと思う。でもこの現状では、みたいでもいいから、女の子として少しでも見られているのなら、嬉しかった。笑みには出ないほどの出来事だけれど、それでもいい。
「じゃあ、伊織くんって呼べばいいんだね」
「うん。…ありがと」
初対面のひとにグイグイ話せる人柄じゃないから、どうしても受け身になってしまう。だから少し窮屈。
「そろそろ行こっか。他のところも案内してもらいたいし」
「そうだね。ここは広いから、そろそろ行こうか」
互いに席を立ち、カフェをあとにした。いつも遊ぶ場所は決まって公園だったけれど、偶にはこういうのも悪くないかも。次はみんなも誘ってみようかな。
その後は、一通りショッピングモールを案内していたら、いつの間にか夕暮れが目に見えていた。雨はまだ降っている。夕日が水たまりに反射して眩しい。
「あれ?私の傘がない」
「え」
「どうしよう。盗られたのかな」
傘立てに僕の傘はあった。赤田さんも傘をさしていたし、同じ所においていたからない訳がない。
「盗られるようなものじゃないと思ってたんだけど」
雨は、止む雰囲気がない、と。
言葉にはできないけれど、こうしてあげたら良いんだろうなっていうのはもうできている。あとはそれを、伝えるだけなのに。もどかしい。
「傘、はいる?」
その言葉を言うのに、刹那の時間でもどれだけ勇気を出しただろう。僕にしては頑張ったほうだ。実質初対面の人にこんなことを言うなんて僕らしくない。
幸い、僕も肩幅は広くないので、この傘であれば2人入れるはずだ。
「いいの?」
「だって、ないんだったら仕方ないし」
「じゃあ、お願いします」
そして傘をはんぶんこ。
高校に入って、僕は気が合う人を探しに来た。同じ趣味があって、似たような価値観がある。そんな人たちと話したい。その対象が僕は、男の子ではなかったのだ。こんなにも近い距離にいても、このドキドキは慣れていない人といるからだと知っている。初対面の人独特の緊張感。しかし彼女はそういうのを感じているようには見えない。
「伊織くんは、クラス慣れた?」
「全然。正直予想ハズレ」
「女子同士は仲良くなれるんだけど。男子とはもう少し時間かかるかなあ」
常に思っていることではあった。突きつけられた現実は不釣り合いに心を傷め貫き通っていく。女の子同士が楽しく話しているその輪にはいりたいと思っても、相手からしたら僕の考えは恐らく通じない。ここに矛楯が生じる限り僕は男でしかなくなる。男でいなきゃいけない。いつまで自己韜晦の状態でいなくちゃいけないのだろう。
「でも僕たちは仲良くなれたよ」
「ホントだ。不思議。私男の子に友達全くいなかったのに」
そう言われて喜ぶ心でいいのだろうか。特別感とか優越感に踊らされている気がしてならない。言ったほうがいいかな。自分のことを。でもそれを言うには関係として浅すぎる気もするし、かと言って言わないと誤解を解けないまま僕が一方的に苦しいまま。
「伊織くんには何かがあるのかもね」
「何かって?」
「人の心を動かす何か。私、男子があまり得意じゃないの。だから、隣が伊織くんって知ったときは結構不安だったんだ」
何故男子が苦手なのかを聞こうとしたけれど、僕もそう聞かれたときなんて答えたらいいか分からなくなりそうだったので、やめておいた。そして赤太さんは続ける。
「でも、悪くないかなって」
雨音の音の隙間をきれいに通る声が耳に届く。
素直に嬉しくなって、僕は自然に笑みがこぼれた。
「無意識のうちに苦手だって、嫌いだって決めつけてたけど、なんだか克服できそうな気がする」
僕、何かしたっけ。思い返しても何をしたかわからない。でもこういうのって自分の思いがけないところで相手が救われたりするって言うし、彼女もそうなのかもしれない。
強くなる雨だけれど、水たまりには夏らしい日差しが反射している。6月がとうとう近づいてきて、梅雨も本番に差し掛かり始めた。
「あの…赤田さん」
「……」
あれ?無視されてる?聞こえてないのかな。
「赤田さん」
「……」
これ無視されてる…。あれ。さっきまでちょっとヒーローみたいな扱いしてたのに一瞬でなんで無視されてるの。
「聞こえてるから。あだ名で呼んでくれなかったじゃん」
あ、そっか。
「愛ちゃん」
「はいなんでしょう」
そういうことか…。なんだかイマイチつかめない人だ。
僕も彼女と同じように心を動かされた気がした。
「友達になってよ」
言葉という不確かなものでもいいから、証明が欲しかったのかもしれない。関係という見えないものの。
なんだか少し驚いているように見える。僕は赤太さんの顔を直視できなかった。
「何言ってるの」
帰ってきたのは、冷酷な返事だった。
しかし彼女の言葉には続きがあった。
「もう友達でしょ?」
思わず聞き返したいくらい嬉しかった。言葉の反動で赤田さんの顔を見た。彼女の顔は、さぞ当たり前のことを言ったまでだと言っているように平然としていた。
「二人で街を歩く仲をともだち以外でなんて呼ぶの?」
確かに納得できる。これが男女なら話は別だろうけど。今日のはたまたまといえばそれまでな気もする。
「もう、私達はクラスメイトじゃないよ」
言葉にならない感情が押し寄せてくる。一番近い言葉で表すと恐らく嬉しいになる。
「もう、立派な友達でしょ?」
僕にとっての気が合う人というのは、大半が女の子だった。井原とかは、ノリでなんとかなっている部分が多いように感じる。話が合うことなんて多くないし、ずっと共通の友達や、アニメの話、勉強や学校の話がほとんど。話題に困ることは少ないし、面白いから楽しい。他に話す人ができても井原と話さなくなることはないだろう。
愛ちゃんがどんな人か分からないし、気が合うかもわからない。もしかしたらいつか喧嘩になってしまうかもしれないけど、それでも、僕は証が欲しかった。友達であることの。僕の心は、本当はそっちであるべきなんだという、たったそれだけの証明が。簡単のようで難しい。そんなことはわかっている。だから何なんだ。望むのだから仕方がない。行きたがっているのだから。
5月28日 15時帰宅