源氏物語について語る紫式部の手紙 ⑦
疑念の山を抱えた後輩蒐書官の言葉に答えた藤見坂が人差し指で示したのはオークションカタログに並ぶ出品リストのひとつだった。
「……知られていない厩戸皇子の手による教典写し。なんですか?これは」
「まあ、書いてあるとおり表の世界では存在さえ確認されていない聖徳太子の直筆の仏典だろうな。これが出品されることを知った桐花武臣が裏世界では有名な書のコレクターである冬桜女史に声をかけた。もちろん女史は大喜びして参加を決める。だが、問題があることに気づく。それとも、その際に桐花家当主から伝えられたのかもしれない。どちらにしても彼女は知ったわけだ。その問題を」
「なんですか?その問題とは」
「もちろん我々だよ。冬桜女史だって我々の資金力を知らないわけではないだろう。これまではこのような場でぶつかることがなかったが、それはお互いに相手の縄張りに入らないようにしていたからだ。だが、今回は違う。正面から激突だ。さて、ここで鷲江君に質問だ。どうしても欲しい聖徳太子直筆の書。だが、強力なライバルがいるため、オークションに勝ち、それを手に入れるためには相当の金を用意しなければならないが自分のサイフにはそれを身合うだけのものは入っていない。君ならどうする?」
「諦めるという選択肢がないのなら、自分が抱えているもののうち優先度の低いものを売りに出し軍資金を増やす」
「そういうことだ。そうして、熟慮した結果紫式部の手によるものと伝わる例の書が選ばれたというわけだ。そして、桐花武臣に頼み込み自らが用意したその品を狙いの品の前にセリにかけられるように手配した。こうすれば、ライバルである我々のサイフを軽くできるうえに、自らの支払い上限を確認できる。それから、もうひとつ。このことから、彼女は紫式部の筆跡を知らない。もちろんそれはこの書が完全な偽物ではないという前提があるが」
「……書かれた内容を考えれば常識的には女史がその手紙を手放すはずがない。ですが、それを売りに出すことに決めたのはそれと匂わすものはあっても確定できるだけの証拠が手元にない。彼女にとっては筆者が特定できるもののほうがそうでないものより上。たとえ内容が劣ったとしても。ということですか?」
「そうだ。そこにある程度の知識がある者なら絶対に食いつきそうなものという一項が入る。我々を相手にして勝ち、絶対に欲しい聖徳太子直筆の書を手に入れるためには日の当たる場所において落札された絵画の最高金額くらいは用意しなければならない。だが、彼女の手元にはあるのはおそらくそれには程遠いもの。だから、それを補うために最低でも十桁後半、できれば十一桁で取引されるものでなければならない」