表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/7

エピローグ

茹だるような熱と湿気、そして蝉の鳴き声に体力を削られながら、あたしはマンションのドアを開けた。


「おつかれー、って何この部屋、暑ーい! クーラーついてないよ。」


「壊れたんだよ。だからメッセージ送っただろ、冷たい飲み物3つ買ってきてって。」


床にあぐらをかいているヨウが、だるそうに返す。


「そういうことだったの? 修理、修理呼んでよ、死んじゃう!」


靴を脱いで、ソファベッドの端に倒れ込みながらレジ袋を放り投げると、先客のもう一人、大下恵がコーラのペットボトルを袋から取り出して、キャップをひねった。


「そんな事で死なれたら、困りますよ。またユーレイが増えちゃう。」


一気に1/3ほど飲み下しながら、トゲっぽい口調で言う。


「それ、どういう意味。」


「そのままです。」


コーラをテーブルに置くと、カバンからタバコを取り出す。ニコチン控えめタール控えめのメントールだ。


「そのタバコじゃ物足りないって、彩さん言ってたよ、恵ちゃん。」


「やですよ、あんな臭いタバコは。歯が茶色くなっちゃう。」


不機嫌そうに、右手の人差し指と中指で一本つまんで、ライターを近づける。


「どうせなら、おいしく、たのしく、ですよ。」


火をつけ、大きく息を吸い込む。その表情がうっとりとしたものから、一瞬無表情になって、見慣れた別の人格に置き換わった。


「あー、うすい、うすいなー、味が。」


「彩ねえ、いい加減にしろよ。健康に悪いだろ。」


「ヨウ、あんた死んでる人に向かってそんなこと言う?」


「恵の健康のこと!」


「あら? 何よ恵ちゃんに情が移っちゃった?」


「ちげーよ。」


「いいのよ、二人で仲良くしてくれても。おねえさん、見守ってあげる。草葉の陰から。」


趣味の悪いギャグだよ。


「そんなこと言って、恵に憑依したいって言うから連れてきてるんだろ。全く恵が黙ってついてくる物好きだからって利用してやるなよ。」


恵ちゃん、あたしはあんたが気の毒になって来たよ。あんたの気持ち、全く伝わってないよ。


「だって、身体(ひょうい)の相性いいみたいなのよねえ、恵ちゃん。それに、この娘も楽しんでると思うわ。取り憑いてると分かるもの。」


「え、恵ちゃん意識あるの? あたしは彩さんだった時のこと全然覚えてないんだけど。」


「僕も。」


「あるわ、夢を見てる感覚だと思う。」


意外。それが相性が良いって事なのか。でもそれなら、ここに通ってくる理由も納得できる。


「あ、そうだ、ヨウさあ、タバコ買ってきてよ。恵ちゃんの好きなヤツ、もうなくなっちゃうのよ。缶のやつは吸ってくれないしさあ。」


「しょうがないなあ。」


突然、お使いを頼まれて不服そうにヨウが立ち上がる。玄関の扉が開き、閉まったのを確認して、恵=彩さんがこちらを向いた。


「ヨウに聞かれたくない事ですか?」


「さすがいろはちゃん、バレてたか。」


「唐突すぎるでしょ。ていうか、あたしも聞きたいことあったんで。」


「何? 先にどうぞ。」


「恨んでないですか?」


「恨むって、誰を?」


両腕を胸の前に出して手を下向きに垂らす、いわゆる、うらめしやポーズ。恵ちゃんの体でやられるとカワイイじゃんか。


「あたしをですよ。だって、せっかく成仏しそうだったのに無理矢理引き止められて。」


彩さんは、しばらく黙ってこちらを見つめていた。やがて、口を開くと


「恨んでない。今はここに残りたいって心から願っているから。」


「でもそれは催眠で…」


「催眠で操られて、そう思わされてる。それでも嬉しいの、私の好きな人が私と別れたくなくてかけてくれた催眠だもの。」


ありがと、と言いながら、軽いキスをくれる。自分の頬が赤くなるのが分かる。


「そりゃあ、二度目のお別れなんてヤだったから…」


「ふふ、いろはがデレてる、カワイイな。」


「あ、彩さんの用は何だったんですか?」


照れ隠しに話題を変えようとするあたし。


「んー、さっきの話の続きだよ。」


「さっき?」


「私に、催眠に落とされて操られる快感を教え込んでくれて、ありがとう。」


え?


「催眠に落とされる瞬間ってね、スゴイのよ。脳がスーッと後ろに引っ張られて、トロトロに蕩けながら、どこか深い所へ落ちていくの。」


なに?


「全身水風船みたいになって、そこにいろはの声がさざ波みたいに広がる、私は震えながら歓ぶの。そうしたら脳も何もなくなったみたいに、何も考えられなくなって、いろはの言うとおりに自分が変わっていくのが最高の幸せだって、思えるの。」


なんの話?


「催眠ってね、スゴクキモチイイ。ねえ、想像したでしょ?」


ごくんっ。唾を飲み込む音が大きくて、彩さんに聞こえてないか焦る。顔が熱い、喉が渇く。


「え、やだ、そんなこと、ない…」


想像してしまった。彩さんに催眠をかけられて、落ちていく自分を。催眠の快感に飲み込まれて、変えられていく自分を。キーワード一つで、奴隷の様に操られる自分を。


彩さんの催眠操り人形にされてみたい。


そう思ってしまった。


「ねえ、いろは。私を変えたように、あなたも変えてあげる。」


恵の目に宿る彩さんの強い光がこちらを見つめている。


「ずっと、一緒にいようね。」


二人の唇が近付き、そっと触れる。 もう離れることは無い、ずっと一緒。



【了】

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ