呪いの手紙
「あれは……確かにつらいものがあったな。人が亡くなったのは事実だし、お前が気にするのもわかる。だが、今回の火事とその件と関係があるか? モーリンの親戚か誰かがお前を恨んでいたとしても、二年も経った今頃になって家に放火するってのは」
ゼロではないだろうが、可能性としては低いように思える。
「仕事関係で考えれば、それくらいしかすぐに事件が思い浮かばなかったってだけさ。他にも考えれば、いくらでも逆恨みできるような事件はあるよ」
ファイエルは、グラスの液体を半分喉に流し込む。
「それじゃあ……プライベートの方はどうなんだ? さっき、ありすぎるって言ったが」
「仕事以上にあるね」
ファイエルを慕い、その想いを告げてきた女性がいた。そして、自分と同じ想いを自分に対しても向けて欲しいと、ファイエルに要求してきたのだ。
彼女は確かに美しく、その足下にかしづく男達は多くいただろう。実際、取り巻きもいたようだった。
だが、あいにくとファイエルはそういうことにも、そして彼女自身にもまるで興味がなかった。仕事で上司に何かしら命令されるのなら納得もするが、自分の自由時間まで誰かに縛られることなど、まっぴらだ。
ファイエルは、素直に自分の気持ちを伝えた。
もっとも彼の場合、その「素直」という部分が、他人にはトゲでコーティングされた砲丸を力一杯投げ付けられたように感じることがあったりするのだ。
そして、その時の彼女もそういう受け取り方をした。
男はみんな、自分にかしづくものだと思い込んでいた向きもあるので、ファイエルからはっきり否定されたことは、彼女の人生の中でもかなり衝撃的なできごとだったのだろう。
ひどく落ち込んでしまった彼女を見て、その彼女にかしづいていた男の一人が頭に血を上らせた。そして「にっくき」ファイエルに殴りかかってきたのだ。
俺の大切な彼女を泣かすとは、何様のつもりだ、と。
そんなに大切なら自分の手の内に置いておけ、とファイエルは言うのだが、相手はそんな言葉など聞いちゃいない。
もちろん、ファイエルは殴られるつもりはなかったので、さっさとよけた。だが、相手はあきらめずに襲いかかってくる。仕方がないので、軽く一発殴った。
少しは正気に戻るか、火に油を注ぐことになるかどちらだろう、などと他人事のように考えながら。
すると、相手はあっさり倒れてしまったのだ。やせぎすで暴力行為に向いていないタイプだったことと、当たり所が悪かったのだろう。本当に軽くだったのに情けないにも程があるな、とは思ったが、余計なことは口にしないようにしておく。
幸い、相手の男が一方的にファイエルに殴りかかってきているところは、周囲にいた何人もの人達に見られていた。レリックもそのうちの一人だ。
ファイエルの行為は、正当防衛とみなされてお咎めはなく、事件は一応の解決をみた。
それ以降、彼女もその男も、ファイエルの前には姿を現わしていない。不特定多数の前で修羅場を演じたのだから、恥ずかしいという感覚が少しでもあれば、とても現わせないはずだ。
だが、恨んでいない、とは言い切れないだろう。
ファイエルにはこのテの話が、いくつもあるのだ。これはあくまでも、ほんの一例にすぎない。
実際に姿を現わすことはなくても、毎日送られてくる手紙の中には、かなり熱烈なファンもいる。
あなたのことがすごく好きです、から始まり、あなたはこんな人ではないかと思っている、という理想が延々と連なり、そうに違いないと思い込み、私はこんな女の子です、という美化されていそうな自己紹介が続き……。
次第にエスカレートした相手は、会ってくださいと言い出す。勝手に待ち合わせ場所を設定し、来てくれるまでずっと待っています、と気持ちを押しつける。
だが、こちらの都合というものもあり、都合がついても行く気のないファイエルが待ち合わせ場所へ向かうはずもない。
結局すっぽかしを食らった相手は、なぜ来てくれなかったのかという恨み辛みを、理想を書いていた時より倍以上の長さで連ねる。ずっとそこに「待っている」のではなかったのか、というファイエルの突っ込みは、もちろん相手に届くことはない。
もう手紙は出しません、と終わる場合もあるが、あなたを一生恨みます、で締めくくられる手紙も少なくないのだ。
「以前から思ってはいたが……お前もいらない苦労をしているな」
不謹慎とは知りつつも、レリックは苦笑を禁じ得ない。
ファイエルの努力次第では、このテの話は減らせるはずなのだが、本人の性格からしてそれは無理だろう。そんなことができるくらいなら、とっくにやっている。
彼の性格を知らない女性にはかわいそうだが、ファイエルという人となりを丸ごと受け止められないなら、好きになっても不幸になるだけだ。
「結局のところ、心当たりはありすぎ。だから、絞り込めずか」
「うん。ただ……予兆はこれまでにもあったよ」
ファイエルは自分宛に送られてきた手紙の束を、レリックに見せた。二十通以上はあるだろう。
「それ、全部か?」
「ここひと月くらい、毎日のように送ってきてる。そろそろサナも気付いてるかな」
「サナが?」
妹がそんな細かいところに気付くかな、と自問しながら、レリックは首を傾げた。
「その手紙が何なんだ?」
「これに全部、呪いがかけられてた」
「なっ、呪いだって?」
呪いは少しオーバーかな、と言いながら、ファイエルはテーブルに手紙の束を放った。
「黒魔術じゃないから、厳密には呪いじゃないけどね。だけど、それに準ずる力だよ。もう少し穏便な言い方をするとしたら、悪意のかたまり、みたいなものかな」
「この手紙が来たら、何が起きるんだ?」
「触れれば悪意の針が肌を刺す。たまに何の炎で焼かれたのか、蛇や蛙の死骸が小包で送られて来ることもあるよ。こっちは呪いと言うより、単なるいやがらせだね。箱の中とは言え、自分がそんな物を持ったとわかれば、サナは悲鳴をあげるだろうから黙っているけれど」
サナが指先に痛みを感じたのは、その手紙に「呪い」がこめられていたからだ。
「そんな手紙が毎日って……おい、大丈夫なのか」
「少し痛みを感じるだけで、大きな害はないよ。せいぜい、うっとうしい、と思うくらいで。ただ、最初はわずかなものだったけど、最近その悪意が強くなってきてるから、他に害が及ばないかが心配なんだ」
それを確認するため、ファイエルはわざといつもより少し早めに事務室へ行き、サナが郵便物を仕分けするのを見ていたのだ。
案の定、例の封筒を触った時にサナの手はピクリと震えたが、本人は何も言わなかった。その様子では痛みを感じているはずだから、単にファイエルへ告げるのにためらいがあるのだろう。
「ああ、サナの方も大丈夫だよ。ちゃんと今日、確認したから」
震えた方の手を取り、何の影響もないことを確かめた。血が出ない程度にバラのトゲに指をひっかけた、くらいのもの。……実際はそんなにきれいなものではないのだが、被害としてはそんなレベルだ。
「そ、そうか……」
ファイエルの言葉に、レリックも安心したようだった。目の前にいる腕のいい魔法使いが言うのなら「大丈夫」という言葉も信じられる。
一方で、親友が妹思い、またの名をシスコンであることを知っているファイエルは、もし自分が原因でサナに何かあったら無事じゃ済まないだろうな、と確信に近い想像をしていた。
「時々、使い魔らしい鴉の姿を見る時があるよ。そろそろこちらも本気になって、相手を突き止める時が来たみたいだな」
タイミングからして、放火した犯人と手紙の送り主はたぶん同じだろう。あんな手紙だけならまだしも、こうして実害に及ぶ行為に出たのだから、ファイエルももう黙っている訳にはいかない。
今日のような場合、もしファイエルが仕事でよそへ行っていたら。最悪だと家族の命が脅かされるところだったのだ。さらには、近所の人達まで。
なかなか送り主探しに動こうとしないファイエルに業を煮やしたのか、もしくはそろそろ相手も本気を出そうとしているのか。
どちらにしろ、そのうち今回よりもっと悪どい方法でアプローチしてくるかも知れない。家族だけではなく、自分の周りにいる人達みんなを巻き込んで。
どんな恨みがあるのか、知らない。だが、何をするにしてもその矛先はファイエルだけでいいはずだ。ファイエルを憎むついでに、他の人達を巻き込むのは許せない。
「ふぅん……全部同じ文面か。お前の番、だとさ」
この手紙をサナが見てしまったことを、レリックはもちろん、ファイエルも知らない。
「そう言われても、相手がどんなカードを出したのかわからないと、こちらも手の打ちようがないだろ。まぁ、相手が出すのを待つつもりはもうないけれどね」
ファイエルはグラスに残った酒を、一気にあおる。
「同じ文面だから、飽きてきた。俺に対する挑戦状のようだから、とりあえずは一人でやるよ。ただ、周囲に火の粉が舞うと対処しきれないかも知れない。その時は手を借りるよ」
「ああ。いつでもいいぜ」
レリックも、グラスを空にした。
「さて、そろそろ引き上げるか。……あ、そうだ。ファイエル、サナに何か言ったか?」
「何かって?」
思い出したように尋ねるレリックに、ファイエルは首を傾げた。
「いや、帰ったらえらく落ち込んでたから、また何か言われたのかと」
ファイエルの家が火事になったとレリックが聞いたのはサナからなのだが、その時の表情がやけに暗かった。気のせいでなければ、目の回りも赤かったような。
だが、レリックが尋ねても、サナは無理をしているとわかる笑顔をつくって首を振るだけ。
「俺が多少何か言ったところで、サナが落ち込むと思う?」
「最近は思わなくなってきたが……その時の状況と、内容にもよるだろ」
「特にはなかったと……あ、帰れって言ったからかな」
魔法による火で火事が起きたのだ。鎮火したからと言って、安心はできない。術者がまだ近くにいて、誰にどんな被害を及ぼすかわからないのだから。
別れ際、すぐに帰れと言った。にも関わらず、サナは来てしまったのだ。まだ危険地帯とも言える場所へ。
早くこの場を離れさせたいと思って、ファイエル自身も意識しないうちに強い語調になってしまったかも知れない。
「それで、帰れって言ったのか。どうせ、その一言だけだったんだろ?」
ファイエルが頷くと、レリックはやれやれとつぶやく。
「お前、一言足りないんだよ」
「そう? よく、一言多いってお叱りは受けるけど」
それを言うから、叱られるのだが……。
「サナが心配だったんだろ? それなら、今ここにいるのは危ないからってことを付け加えりゃ、サナだって聞き分けて帰るんだ。たった一言だぞ。それをただ帰れってだけじゃ、知らない仲でもないし、サナだってお前ん家のことを心配しているのに、邪魔者扱いされたと思って落ち込むのも当然だろ」
「……」
言われてみれば「そうか」などと思えてくるので、ファイエルは黙って聞いている。
「ったく……お前って奴は、仕事では抜け目がないくせに、こういうことに関しては穴だらけだな。人間関係での不器用さは、何年経っても変わらずか。それでバランスが取れてるのかも知れないが。まぁ、帰ったら一応のフォローはしといてやるよ」
「……まかせる」
頼もしい兄貴はグラスをファイエルに返すと、再び夜の雨の中を自宅へ向かって歩き出した。
イノン家の向かいにある木に留まり、暗闇の中でじっとこちらを見ている鴉。それにはファイエルも気付かないまま、友を見送ると静かに扉を閉めた。





