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二年前の事件

 二年前の話だ。

 イエスミスの隣町オータスで金貸しをしているバドスという男から、アイサへ依頼があった。魔物に取り憑かれて困っているので早急に何とかしてほしい、というものだ。

 その仕事はファイエルが担当することになり、すぐにバドスの屋敷へ向かった。

 ずいぶんと恨まれたものだな。

 これが、着いた直後にファイエルが抱いた感想だ。

 小さくはない屋敷全体を、黒いヘドロのようなものが覆っていた。だが、それはヘドロなどではない。それによく似た魔物だ。

 しかも、それが一体ではなかった。何十、何百というヘドロ状の魔物が、建物のあちこちにくっついているのだ。

 これらは人が多いこんな町中に現れる魔物ではない。明らかに、誰かが呼び出しているのだ。これは召喚と言うより、呪いと表現する方が合う。

 普通の人間には見えないその魔物は、恐らく毎日二、三体ずつ増えてゆき、こんな状態になったのだろう。術者が憎しみをつのらせ、魔物を増やしていった結果、屋敷全体がヘドロをかぶったような状態になったのだ。

 いくら魔物そのものが見えなくても、これだけ覆われていたら、魔物の障気で具合も悪くなる。見ているだけでも、気分が悪い。

 もし一匹でこのサイズだったとしたら、具合が悪くなるどころか、一気に体力を奪われて死に至るだろう。大量ではあるが、小物だったからだんだんおかしくなる、という程度で済んだのだ。

 もっとも、真綿でじわじわと首を絞められているようなものだから、かなり苦しい状態のはずだ。

 実際、バドスの顔色はかなり悪かった。最近、とみに体力が落ち、調子が悪くなる一方だと言う。

 それよりもバドスが心配なのは、娘のことだ。

 バドスに妻はすでになかったが、その妻との間に娘が一人いた。当時二十歳になるモーリンは、元々身体の弱いところへこんな呪詛のかたまりになってしまった屋敷にいて、ますます弱ってしまっている。このままでは、父親よりも先に娘の方が旅立ってしまいかねないだろう。

 霊感の強い人間がこの屋敷を見て悲鳴をあげ、バドスはようやく自分達の体調不良が魔物のせいだと知った。早くこの屋敷を何とかしないと命に関わると言われ、バドスは慌てて魔法使いに助けを求めたのだ。

 ファイエルはまず、モーリンの周囲に強めの結界を張り、これ以上魔物が出す障気に影響されないようにした。彼女を別の場所へ移した方がいいかとも考えたが、術者が家族もろとも、と考えているとすれば、どこへ逃げても同じこと。

 彼女はファイエルと同い年だったが、すっかり衰弱していて、その姿は老婆のようにすら見える。髪にはまるで艶がなく、頬はこけ、指は骨張り、肌の色も悪かった。その寝間着の下は、恐らくあばらが浮き出ていただろう。

 部屋には、彼女の肖像画があった。美しいとは言えないまでも、絵の中にいるかわいらしい女性と、ベッドに横たわるモーリンが同一人物とはとても思えない程だ。

 結界を張っても、すぐに(むしば)まれそうだな。

 屋敷の壁にはもう隙間もない程に魔物がへばりついている。だが、術者はきっとバドスが死ぬまで魔物を呼び出し続けるだろう。

 魔物一体については、そんなに強い力はない。呼び出す術者の力も、この低レベルの魔物に見合った程度のはず。

 ただ、わずかな力も積み重なれば、いつかは大きくなる。塵も積もれば山となるし、小さな水滴は堅い岩に穴をうがつのだ。この屋敷の状態を見れば、それがよくわかる。

 今見えている魔物を一気に消すことは、ファイエルにすれば簡単なこと。しかし、それを知った術者が、また別の方法で呪いまがいのことをしてくるかも知れない。

 それをすぐにしてくれれば捕まえることもできるが、下手に時間をあけられるとしっぽを掴み損ねて次の機会まで待たされかねないだろう。

 この魔物は分裂するタイプではない。つまり、これだけの状態になるまでほぼ毎日、術者は魔物を呼び出している。恨みをつのらせている。

 だとすれば、今日もやるはずだ。新しい魔物が必ず現れる。

 ファイエルはそれを利用することにした。

 屋敷全体を見渡せる場所でファイエルが見張っていると、予想通り夜中に新しいヘドロ姿の魔物が現われた。術者がまた魔物を召喚したのだ。

 ここまでやっても、まだ気が済まないのか。ここの主が本当に死ぬまでやめる気はないようだな。

 新参者が他と同化しないうちに、ファイエルは新しく現われたその魔物に術者の元へ戻る魔法をかける。

 魔物や術者のレベルによっては無効化されることもあるが、やはり大した力のない魔物は簡単にファイエルの魔法に従ってくれた。大した慰めにはならないが、これで屋敷を覆う魔物が増えずに済んだのだ。

 ファイエルが後を追うと、魔物は山の中の崩れかけた小屋へと向かう。そうして、そこには予想(たが)わず、術者の姿があったのだ。

 術者は、ドゥーブと名乗る三十前の男だった。

 だが、年上とは言え、ファイエルと同じ二十代にも関わらず、ドゥーブの髪や肌つやは五十を超えていると言われても信じてしまいそうだ。がりがりにやせ、目だけが大きく目立つ。

 呪いを行う術者にありがちな容姿とも言えるが、彼の場合は別の理由がありそうに思えた。

 ドゥーブはファイエルに見付かると、今までのことは自分がやったのだと、あっけない程あっさりと白状する。自分がバドスにかけた呪い、つまり呼び出した魔物を全て返されれば死ぬ、ということも覚悟もしていたようだ。

 ファイエルが尋ねる前に、彼の方からこうなるに至った経緯を話し始める。

 ドゥーブには、息子がいた。結婚してもなかなか子宝に恵まれなかった彼に、ようやく授かった大切な息子だ。

 その子が、生まれて間もなく病気にかかった。ドゥーブと彼の妻は、医者にかかるためにバドスから金を借りる。

 だが、バドスはいわゆる「悪徳業者」だった。

 法外な金利をふっかけ、返済を迫る。わずかな期間で、利息は借りた金額の五倍にも十倍にもなっていった。

 ついには医者にかかるどころか、とうとう息子に飲ませるミルク代さえもなくなってしまう。

 元々、母乳の出が悪かった妻は、心労でますます出なくなった。栄養状態の悪くなった息子は、やがて息を引き取ってしまう。

 最期が近付いた頃には泣く力もなく、あばらも浮き出て生きたミイラのようだった。生まれた時よりも小さくなってしまっていた遺体を見て、ドゥーブは涙を流す気力すら失ってしまう。

 不幸はそれで終わらない。

 息子の死と、繰り返される脅迫めいた借金の取り立てに、とうとう妻は神経を病んでしまった。ついには、本人の意識があったかどうかも定かでない状態で、自らの命を絶ってしまう。

 息子と妻を続けざまに失ったドゥーブに、それでもバドスの取り立ては執拗に続く。

 墓の中から死んだ妻の髪を切ってかつら屋に売れ、とまで言われ、ドゥーブはそれまで張りつめていた糸が切れた音を聞いた。

 大切な者を全て失った彼に、もう怖いものはない。

 一時期、ドゥーブは魔法使いの勉強をしていたという。だが、諸々(もろもろ)の事情で続けられなくなった。

 学んだその魔法を使い、バドスに報復する。

 そのことに、ドゥーブはひとかけらの迷いもためらいも感じなかった。

 じっくりと、じわじわと殺してやる。真綿で首を絞めるように、ゆっくりと。最初は気付かなくても、やがて死の足音を聞いて恐怖に打ち震えればいいのだ。

 バドスの家族に恨みはない。だが、自分もバドスに家族を奪われた。バドスより先に家族が亡くなったとしても、それでバドスが苦しむのなら構わない。

 自分に大した魔力がないのは、学んでいた時からわかっていたこと。もし、バドスを苦しめているのが自分だと知られれば。魔法使いによって、それまで呼び出していた魔物を全て消されるだろう。

 そうなれば、死ぬのはバドスではなく、自分自身。

 それでもよかった。もう、生きてることに意味はない。バドスを苦しめることさえできれば、それだけでいいのだ。妻と息子がどんなに苦しかったかを思い知らせてやれたら。

 ファイエルの登場で、自分のかける魔法に終わりが来たことを悟ったドゥーブは、いきさつを全て話すと自決した。ファイエルが止める間もなく。

 隠し持っていたナイフで、彼は自分の喉を切り裂いたのである。

 恐らく、自分の持てる力全てを使って魔物を呼び出していたのだろう。事切れた彼の身体は、荼毘(だび)に付した訳でもないのにほとんど灰となってしまった。骨すらも残らず。

 呼び出されていた魔物は、こうして術者の死によって消えた。屋敷を覆っていた魔物は全て消え、バドスは元気を取り戻す。

 だが、ファイエルは釈然としなかった。

 魔法を使って報復するということは、もちろんほめられたことではない。だが、その原因は今回の場合、どう考えてもバドスの方にある。

 今はこうして事件も解決したが、この先同じことが起きないとは言えない。不幸な人間も、悪事を働く人間も、少ないに越したことはないはずだ。

 ファイエルはこの件が片付いた後、独自でバドスのことを調べた。そして、明らかにバドスが法を犯していながら被害者が泣き寝入りしている事件を見付けると、それを告発したのだ。

 それをきっかけにしてバドスの屋敷に役所の手が入り、次々と悪事が発覚してバドスは投獄された。借金取り立ての際に殺人まがいのこともしていたようで、再び社会へ出られたとしてもかなり先のことになるだろう。

 だが、これで全てが終わった訳ではなかった。

 バドスが捕まったことで彼の屋敷は役所によって差し押さえられ、残された娘のモーリンは出て行かざるをえなくなったのだ。

 親類の家に身を寄せたが、ドゥーブの件でかなり弱っていた身体が父の投獄というショックでますます弱り、バドスが捕まった半年後に彼女は亡くなった。

 後日その話を聞いたファイエルは、しばらく悩んだ。

 不幸な人間を減らしたいと思ったのに、自分がその不幸な人間を生み出してしまった、と。

 悪いのは父親の方であり、娘は何もしていない。父が汚い手で得た金で暮らしていた、と言われるかも知れないが、それはモーリンが望んだことではないのに。

 周囲はファイエルがやったことは間違ってないと言い、モーリンが亡くなったのは彼女の運命だったのだろうと言った。バドスの投獄がなかったとしても、そういう結果になったのだ、と。

 バドスの悪事を誰かが暴き、その結果バドスが投獄されれば、やはりモーリンは同じ道をたどっていただろう。今回動いたのがファイエルだった、というだけだ。

 何を言っても言われても、出された結果は変わらない。

 ファイエルは考えないようにしたが、後味が悪いのはどうしようもなかった。

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