サナの仕事
魔法使い協会アイサへは、色々な郵便物が毎日届く。
別の街にある魔法使い協会からアイサへ来る連絡文書。アイサへの入会申込書。新しく出版された魔法書の案内。魔法使いへの出張依頼。購入品の請求書、などなど。
そして、それらの中には特定の魔法使いに対する個人的な手紙なども入っている。世間一般で呼ぶところのファンレター、というものだ。
身内に魔法使いがいるサナにはよくわからないが、世間では魔法使いは特別な世界の人達であり、恋愛感情を伴う憧れを持つ人も少なくないのである。ちょっとしたアイドルかスターのような存在だ。
そのファンレター、やはりアイサの中ではファイエル宛のものが一番多い。
彼に関する噂を聞き付け、直接彼に会うチャンスがない、または遠くから見ているだけでアタックするだけの勇気がない女性達が、自分の想いをつらつらと書きつづった手紙をよこしてくるのだ。
勇気のある女性はアタックし、すぐに玉砕して去って行くが、こうして手紙にすれば玉砕してしまうこともない。たとえ返事がなくても、彼女達は彼の甘いマスクを思い描きながら、机に向かってペンを走らせているのだろう。
顔を使って仕事をしている訳ではないが、仕事中のファイエルの様子を見た人によってあれこれと話題にされるようだ。美形、というくくりに入れられた人間の宿命みたいなものだろう。
本当のファイエルを知ったら、みんなの中にいるファイエルがものすごい音をたてて、ついでにものすごいほこりをたてながら崩れていくんだろうなぁ。きっと手紙を書いてる時間が一番幸せだよ。知ることで不幸になることだってあるもん。この夢は夢のままにしておかないとね。
五年という長くもないが短くもない年月を経て、ファイエルをずっと見てきたサナは、手紙の主達の心に住むファイエルが現実だったらなぁ、などと思う。
きっとあの顔に見合った優しい性格で、あの細い身体のどこにそんな力があるのかと思える程、実はたくましかったりするのだろう。
困っていれば彼はすぐに手を差し伸べ、泣いていたら力強く抱き締める。
そう、まさに物語に登場するような、白馬の王子様。
よくあるお伽話では、王子様の髪は金色が多いが、彼は赤。そう、彼はその髪の色のように、熱い情熱的なささやきを耳元でしてくれて、燃え上がるような恋に互いの身を焦がし……。
だが、現実は正反対。
一応、彼にもそれなりに喜怒哀楽の表情というものはあるのだが、怒りの表情が一番わかりやすい。と言うか、それ以外は彼のことをよく知っていないと、区別がつけにくいかも知れない。
固い表情が少し緩んだ? というのがファイエルの笑顔。大笑いしているのを、サナは見たことがない。
口を開けばカチンとくることが多いし、ちょっと言い返せば何倍にもなって返される。きれいな顔をしている相手から言われると、通常よりショックが大きいように思えるのはなぜなんだろう。
ひねくれた言い方もよくする。レリックはファイエルのことを不器用な奴だと評したが、ずっと付き合っているとあれは別の意味で器用なのではないかと思えてくるくらいだ。
白馬の王子様の仮面を付けた悪魔、と言われても、きっとサナはすぐに納得してしまうだろう。悪魔だって、あきれてそっぽを向いてしまうかも知れない。
あれ、あたしってば、どうして心の中とは言え、ファイエルの悪口ばっかり言ってるのかしら。違うでしょ。だから、えーと、その……えーと……。
悲しいかな、すぐにフォローの言葉が出てこない。ファイエルには絶対に知られたくない状況だ。
何とかいい部分を絞り出してみる。……どうしてここで苦労しているのだろう。
冷たい言い方をしていても、その裏には彼なりの優しさや意図があって、言われた方がそのことに気付くかどうかでファイエルの印象が変わってくる。彼の外見がよすぎるせいで、人はみんな、自分の都合のいいように彼の性格を思い浮かべてしまうのだ。
でも、思い浮かべた彼の絵を彼自身があっさりと、しかもずたずたに破いてしまい、それに対してみんなが腹をたててしまう。ファイエルにすれば自分を素直に出しただけだが、みんなはそう思わない。
特に女性の場合、それは勝手ながら「裏切られた」などという単語にまで発展してしまう。
たぶん、こういうこと……だよね?
そんなことをつらつら考えていると、顔がよすぎるのも実はちょっと問題ありなのかも知れない。美形には美形なりの悩みもある、ということだろう。ただ……一度はそんな悩みを持ってみたい気もする。
「……わっ」
あれこれ考えていたサナの目の前に、考えていた当の本人が立っていた。カウンター越しとは言え、真正面。来ていたことにまったく気付かなかったので、サナにとっては完全にふいうちだ。
「びっくりした……。ファイエル、いつの間に来てたのっ」
相手がファイエルだと心の中まで見透かされそうで、サナは悟られまいとしてつい大きな声を出してしまう。
「ちょい前。サナは郵便物を分ける時に、いつも百面相しながらやるのか?」
「ひゃく……?」
「見ていたら、顔がころころ変わって面白かったけどな。で、にらめっこの対戦相手は誰なんだ? どんな奴にしたって、サナなら負け知らずだな。遊ぶのはいいが、あんまりやりすぎると、今以上に顔が崩れるぞ」
その言葉に、かちんとくる。
「どっ、どういう意味よっ。今以上って」
その言い方だと、元々崩れているみたいではないか。この顔に自信はないが、少なくとも「崩れている」とは思いたくない。
事務室のあちらこちらでは、二人の会話を聞いた人達が肩を震わせている。こういう漫才のような会話は、いつものことだ。
「何よ。そっちは石膏で固めたみたいに、ずっと表情が崩れないくせに。リュレイシアが言ってたよ。ファイエルは顔の筋肉が発達してないって」
「食事や呪文を唱えられる程度に必要最低限動けば、支障ない」
向こうが投げる球はバカスカと顔面や急所に当たるのに、こちらが投げる球はいとも簡単にかわされてしまう。ものすごく悔しい。いつものことだが、何とかならないものか。
「ほら、手が止まってる。ちゃんと仕事しろよ」
ファイエルから淡々と注意されてしまう。
「わ、わかってるわよ」
さぼっていた訳ではないが、サナは慌てて郵便物の仕分けを再開する。
「……どうしてファイエルはそこに立ってるの」
「そろそろ郵便物が分けられている頃だろうと思って来た。予想は外れたけどな」
「申し訳ございませんっ」
確かに、郵便物はだいたい同じ時刻に来る。この辺りを担当している配達員が、やけに正確な人なのだ。
そうなると、それらを受け取るサナが仕分けする時間も、ほぼ決まってくる。日によっては配達物が多い時もあるが、いつもならファイエルが言うように、もう終わっていてもおかしくない時間だ。
あれこれ余計なことを考えながらやっていたのが悪かったらしい。いつもなら、多少だらだらとやっていても、魔法使い達が郵便物を受け取りに来るのはもっと遅いので支障はないのだ。
大した仕事じゃないけど……ずっと見られてると緊張するんだけどな。
ファイエルにすれば、仕分けが終わるのを待っているだけなのだろうが、さりげなーく監視されているみたいで、サナはちょっと緊張する。間違えたりしたら、何か言われそうだ。
ファイエルの視線に色々な意味でどぎまぎしながら、いつもより心持ち手早く郵便物を仕分けていく。
そんなサナの指先に、ふいにピリッとした痛みが走った。
まただ……。
サナがアイサへ来て、もう一ヶ月以上が経つ。今ではこうして仕事の一つである郵便物の仕分けを任されるようになった。
最初はリュレイシアとやっていたのだが、宛名別に分けるだけなのだから、これくらいは一人でもすぐにできる。そうして、十日も過ぎる頃にはサナだけでこの作業をするようになった。
いつからだろう。この作業をしていると、こんな痛みが走るようになったのだ。針でチクッと刺されたような痛みに似ている。
最初は尖った封筒の角に指を刺したのかと思った。だが、どれを見ても刺して痛いと思うような封筒はないのだ。
それが毎回のように起こり、そのうちいつも痛みが走るのはファイエル宛の手紙を触った時だと気付く。
小さな痛みだし、後を引くようなものではない。傷はないし、出血もない。でも、それが毎回、ほとんど毎日だとさすがにサナも気になる。
封筒を見ても差出人の名前は書かれておらず、痛みが走る封筒がいつも同じ差出人の物かはわからない。いつも同じような白い封筒なので、恐らく同一人物からの手紙だとは思う。
だが、どこにでも売られているような封筒なので、根拠とするにはあいまいだ。たまたま同じだった、ということもある。
たまに小さな荷物が来る時もあり、それに触れた時もそんな痛みを覚えたことがあった。
まさかファイエル宛の荷物をサナが開ける訳にはいかないので、中身が何だったのかは知らない。それでも、その箱を持っているだけで、やけにいやな気分になってしまったことがあった。物を持っただけで気分がよくない、と感じるなんて初めてだ。
サナは、このことをファイエルに言った方がいいんだろうか、とも考えた。しかし、彼宛の郵便物を触った時だけ、ということがサナを思いとどまらせたのだ。
ファイエルのせいじゃないのに、まるで彼のせいだと責めているような気がして。
考えすぎだろうが、サナはどうしても言えないままでいるのだ。
「大変お待たせしました。はい、これが今日のファイエルの分よ」
さっきの痛みは無視することにして、サナはファイエル宛に届いた郵便物をまとめると、カウンター超しに立っている本人へ渡した。
「何だかさぁ、ファイエルの場合は仕事以外の手紙の方が多いよねー」
どう見ても仕事関係とは思えない、きれいなもの、かわいい柄の封筒が大半を占めている。
「俺が頼んでいる訳じゃない」
それはそうなんだけど……。確かに、ファンレター募集中です、なんてファイエルが言う訳ないもんね。
ファイエルはもっともなことを言いながら郵便物を受け取ったが、渡して手を引こうとしたサナの右手首を突然掴んだ。
「え……あの、ファイエル?」
驚いてファイエルの顔を見るが、彼はサナの方を見ていない。見ているのは彼女の手だけだ。
な、何? ファイエルってば、どうして急にあたしの手なんか掴むのよ。何する気なの。うわ……ど、どうしよう。何だかすごくどきどきしてきた。
これまでにもファイエルに触れる機会は何度もあったが、こうしてがっしりと掴まれたのは初めてだ。
ファイエルはそんなサナのどきどきをよそに、無表情でその手を見ていたが、すぐに離した。
「おかしいと思ったら、あまり触らないようにしろ」
それだけ言うと、ファイエルはさっさと事務室を出て行った。
「……は?」
後には、訳がわからずに呆然とするサナが残される。
「リュレイシア……今のって……何だったんだろ?」
振り返って尋ねるも、様子を見ていたリュレイシアだって首を傾げるしかできない。
それでも、後になってサナは気付いた。
ファイエルが掴んだのは、痛みを感じた方の手だった、ということに。