ファイエルのこと
ファイエルは、口のきき方が悪い。
それは、最初に会った時からわかったことだ。
ファイエルは、美形だ。
それも、最初に会った時からわかっていること。
何と言ってもサナが妖精と間違ってしまうくらいなのだから、他の人間、特に女性が彼を放っておくはずがない。
実際、ファイエルはとてももてた。
彼のことをよく知らない女性達は、自分の方を振り向かせようとプレゼント攻撃をしたり、自分が持てるだけの色香を駆使するなどして懸命になる。
だが、彼としばらく会話をすると、すぐに離れて行った。理由は……いわゆる、口は災いの元、という奴である。
そんなことよりもサナが一番驚いたのは、このファイエルと自分の兄のレリックが、親友とも呼べる程の仲よしさんである、ということだった。この世界は何か間違っていないか、と本気で思ったくらいの衝撃だ。
魔法使い協会。
これは魔法使いのために作られた組織だ。大きな街に置かれ、イエスミスの街にある協会はアイサと呼ばれている。
このアイサへ、レリックは十三歳の時に、ファイエルはその四年後の十二歳でそれぞれ入った。レリックにとってファイエルは後輩になる訳だが、五歳という年齢差をあまり感じさせない程、ファイエルはその頃からやけに大人びていたらしい。
ついでに、口の悪さもすでに健在だった。
ファイエルがアイサへ入って来た頃、すでにレリックは魔法使いになっていたがまだ日が浅く、授業をする講師の補佐をすることが多かった。そのとある授業でファイエルと関わったのが初対面だ。
何気ない会話の中で、普段は温厚なレリックも最初「何だ、こいつは」と思った。だが、付き合っているうちに、口が悪いと言うよりも、こいつは単に無愛想なだけらしい、とわかるようになってくる。
他人と話しているのを聞いていると、こいつの話にも一理あるな、と思えるようなことが多い。自分が話していると腹が立つこともあるのだが、後から考えると納得させられてしまうような。
少なくとも、彼は誰かの悪口や、目の前の相手を見下しているのではない。そういう類の口の悪さではなかった。
やたらはっきり言ってしまうのと、口調が淡々としすぎているだけ。だから、出た言葉が本人の考えているよりもずっときつく聞こえるのだ。
その結果、人から「口が悪い」だの「ちょっときれいだと思って、生意気だ」などと言われる。
元々他人の評価などは気にしない性格だが、あまりしゃべると他人を不愉快にしてしまうらしいと悟ったファイエル。そのうち必要最低限しかしゃべらなくなり、そのために今度は「お高くとまりやがって」と言われてますます批判されるようになった。完全に悪循環である。
だが、口が悪いのは単なる無愛想が原因だとわかれば、レリックはその「口の悪さ」もさほど気にならなくなった。他の仲間達がファイエルと話したがらなくても、レリックは気安く彼に声をかける。
いくら大人びているとは言っても、やはり十二歳は十二歳。色々とかまうレリックに、ファイエルも少しずつ心を開いてゆくようになる。
レリックに言われ、ファイエルの性格がそれなりに見極められるようになった他の仲間達も、次第に彼と打ち解けてゆくようになった。
もっとも、彼に近付く女性に関しては、そういうことがわかる前に彼から離れて行く。
ファイエルにしても、見た目だけで近付き、すぐに去って行くような女性達を追う気はないらしいので、周りの誰もフォローしようとはしない。
そもそもファイエルの方が相手を好きで、付き合いたいと思っている訳ではないので、なおさらだった。
そういった経過を経て、ウマが合うらしいレリックとファイエルは、今では互いを一番信頼している。
結局、イエスミスの街まで護衛のようについて来てもらう形になったサナは、レリックからそういったファイエルのエピソードを聞いて、首を傾げた。
危ない時に現われ、魔物を退治してくれたのはいいとしても(あれが彼の仕事だったので、やるのが当然だったのだが)初対面の相手に「こんな所で何をしていた」とか「自殺志願者か」とか「字は読めるか」などと失礼な言葉を次々に浴びせられたのだ。
いくらこちらが子どもとは言え、こんなセリフが「無愛想だから」という理由で納得しろ、と言われてもできない。
しかも、こちらは魔物に襲われたばかりで恐怖に震える小さな少女だ。もう少し優しい言葉をかけてくれてもいいじゃないか、などとも思う。
すると、兄はこう言うのだ。
「あいつ、無愛想な上に不器用だからな。あの顔に似合わず」
それで「そっか」と相槌を打てる程に、サナはまだ大人ではない。
「顔と不器用は関係ないと思うけど」
「まぁ、そうだけどな……」
レリックは笑ってごまかす。
「頭を押さえ付けられた? ああ、サナが魔物の方を見ないようにしたんだよ。どういう方法を使うにしろ、魔物を殺す訳だからね。慣れていたとしても、見て楽しいものじゃない。まして、小さな女の子なら夢にうなされてしまうことだってあるかな。そんなものを見ないようにっていう、あいつなりの気の遣い方だよ」
確かに、ファイエルの手が頭から離れて魔物の方を見た時には、もう何もなかった。魔物がいた痕跡すらも。
あれは夢だったんだ、と言われれば、サナは信じたかも知れない。悪夢になる前の、導入部分だったんだ……とか何とか。
そういう説明をされてしまうと、そうだったのか、とちょっと納得してしまった。
ファイエルが「見るな」などとあえて言葉にせず、黙ってそういう行動に出たのも、サナを怖がらせないため。声にされれば、かえって恐怖心がつのっただろう。
もっとも、人によっては黙ってそんなことをされると、逆に恐怖を覚える場合もあるだろうが……。
「何をしていたんだっていうのは、きっと俺も言ったと思うよ。あいつから聞いた話だと、サナは完全に道から外れた場所にいたらしいから。花畑や熟れた木の実がある訳でもない、ただの草むらに小さな女の子がいたりしたら、何をしていたのかって尋ねるのも仕方ないと思うけどなぁ」
魔物に遭う少し前から、迷っているという自覚はサナにもあった。女の子がいるとは思えない所でその存在を見付ければ、尋ねてみたくなるのも道理である。
彼の質問が冷たく聞こえたのはいつものことだから、という言葉も付け加えられた。そういう声音、口調だから、と。
さらにレリックの説明は続く。
「字が読めるかって聞いたのは、サナを実際以上に幼く感じたからじゃないかな。サナは他の子より少し小さい方だから、余計にね。それに……ほら、地方によっては文字を教えるより、働くことを優先にしたりするから。みんながみんな、文字を読めるとは限らないからね」
つまり、この質問も別におかしな意図があった訳ではない、ということ。
それでもって、言い方が冷たいように思えたのは、無愛想で不器用だから、ということで最終的に落ち着くのだ。何度も使われると、ちょっとずるいような気がするが……。
「自殺志願者かぁ。これはブラックジョークのつもりかな」
さすがのレリックも、そこまではフォローしきれなかったらしい。
だが、くすくすと笑いながら言う兄を見ていると、サナは怒っている自分がつまらなく思えてきた。
とにかく、そんな話を聞かされ、サナもファイエルがどんな性格なのか、もうちょっと見極めてみたくなる。初対面の感想はあまりいいとは言えないものだったが、兄があれだけフォローするのだから、それなりの人物のはずだ。
サナは興味を持ったものに対しては、かなり強い執着心を持つ。(ファイエルは後にそれを「しつこい」と一言で表現した)で、ことあるごとに彼にまとわりついてみた。
親友の妹相手でも、七つ下の子どもであってもファイエルは遠慮することなく辛辣な言葉を口にする。
腹の立つ日もたっくさんあったが、それでも兄の言っていたことがわかってきた気になってくるのだから、人間というのは不思議だ。
これはこういうことを言っているんじゃないか、とか、あれはこんな意味だったんじゃないのか、と思うと妙に納得できてしまう。サナがちゃんと理解できているのか、その辺りは微妙ではあるが。
中には「からかわれただけ」というのもあったりしたが、それはそれ。
実際のところ、サナに対しては多分にその割合が大きいようだが、言われている方は気付いていない。本人にとっては、その方がいいだろう。
そんなことを繰り返しているうちに、性格が悪い(としか思えない)ファイエルに、なぜか惹かれてゆくサナがいた。
そうこうしているうちに、五年の月日が流れる。
☆☆☆
春もそろそろ終わろうかという、ある晴れた日。
洗濯物を干しているサナの元に、訪問者があった。
「こんにちは、サナ」
「あ、リュレイシア。いらっしゃい」
サナは笑顔で訪問者を出迎える。
やって来たのは、サナの頼れる相談相手、リュレイシアだ。
サナがこのイエスミスの街へ来てからずっと、彼女には色々と面倒をみてもらったりしている。サナより五歳上の彼女は姉のような、そして両親を早く亡くしたサナにとっては母親に近い存在だ。
母親のような、と言えば、まだ二十歳のリュレイシアは困ったような笑顔を浮かべるだろうが、それだけ慕っているということ。
さらに付け加えるならば、彼女はあのファイエルの幼なじみでもある。だから、リュレイシアは彼に対する「免疫」もしっかりと持っているのだ。
顔が目当てで近付く女性達とは当然ながら年季も違うので、リュレイシアはファイエルに何を言われてもどこ吹く風、といった具合である。その強さも、サナは尊敬していた。
レリックよりもさらに付き合いは長い訳だから、打たれ強くなっても当然だろうが、その受け流し方にひたすら感心している。
「あれ? リュレイシア、今日はお仕事、お休みだったっけ?」
「ううん。仕事よ」
「え、じゃあ、もしかして……リュレイシアってば、まさかさぼってるとか?」
サナは驚いて聞き返す。リュレイシアの仕事は外回りではないはずだ。
「あは、まさか。今日はサナにお願いがあって来たのよ」
「お願い?」
リュレイシアの言葉に首を傾げながら、サナは彼女を家の中へと招いた。
「おばあ様は?」
無人の室内を見て、リュレイシアが尋ねる。
「買い物。あたしが行くって言ってるんだけど、歩かないと足腰が弱くなるからって、さっさと行っちゃうの」
祖母のローニャは、魔法使いが着るローブなどの縫製を仕事としている。年齢の割に目はよく、腕もいいので現在のところ仕事が減ることはない。
そんな彼女が楽しみにしているのが、買い物。
日々の食料品買い出しなど、目はよくても力はさすがに衰えてきたローニャにすれば重いだろうに、自分から行くと言ってさっさと出掛けてしまう。縫い物を仕事にしているのに、外へ出たがるのだ。
いや、こういう仕事をしているからこそ、外へ出たいのだろう。ローニャの調子が少し悪いから、とか、付き添いで、という以外、サナが買い物へ出ることはあまりない。
「そうなの。相変わらずね。だけど、お元気で何よりだわ」
リュレイシアはそんなローニャの様子を聞いて、ころころと笑った。
その顔を見ていると、美人は何をしても絵になるなぁ、などと思うサナ。こっそり心の中でため息をつく。
金色のふわふわした髪は、光の当たり具合によってまぶしいくらいにきらきらと光る。それなりに明るいとは言え、土色をした見事なまでに直線を描く自分の髪とは大違いだ。青緑の瞳は気に入っているが、リュレイシアのきれいな紫色の瞳を見ると、やっぱりうらやましくなる。
「すぐにお茶、淹れるね。リュレイシア、適当に座って」
「おかまいなく」
と言いながら、リュレイシアも勝手知ったるで、さっさとイスに腰掛ける。
「はーい、どうぞ。……で、あたしにお願いって何?」
いい香りのするお茶を出しながら、サナは早速本題に入った。
「あぁ、本当にいい香りだわ。サナ、お茶の淹れ方が上手になったわね。……大したことじゃないのよ。サナ、アイサで事務のお仕事、手伝ってくれない?」