手紙の主
バサバサと大きな羽音をたてて、鴉が飛ぶ。その少し後を、小さな白い鳩が追い掛ける。さらにその後を、魔法使い達が追っていた。
レリックが出した鳩によって、ファイエルと二人で犯人の手掛かりを追っていることは知らされているはずだ。だが、まだ応援の魔法使い達が現われる気配はなかった。
そうこうするうちに、鴉はエルパの森へと入って行く。
「森に隠れるのが好きな奴のようだな。ファイエル、まだ思い当たる奴はいないのか」
「あいにくと。もしかして、森の妖精と共謀してるのかな」
「妖精に不興を買った覚えはあるのか?」
「いや、ちゃんと尊重しているつもりだよ」
そんな軽口を交わしながら、かなり奥へと進んだ時。
「離してよっ」
鴉が向かう方向から、聞き慣れた声がした。ファイエルとレリックは互いの顔を見る。
間違えようもない。今のはサナの声だ。二人にとって一番いてほしくない人間が、すぐそこにいる。
「どうしてこんな所にいるんだ。外出禁止じゃなかったのか」
ファイエルは、サナは家にいておとなしくしているもの、と信じて疑っていなかったのに。あってはならない状況にぞっとする。
「ばあちゃんと買い物するくらいならいいって……。いつ解決するかもわからないし、犯罪者でもないのに、ずっと閉じ込めたままってのは無理だろ」
軟禁状態にする訳にもいかない。絶対に一人で出歩くな、ということを条件に、買い物程度の外出は許可した。
その程度のことだったのに、相手は見逃してくれなかったらしい。
いや、そこを狙われた。
「で、こんな森の中へ、何を買いに来たって言うんだ……」
「今度、どんな店があるのか聞いておく」
二人の魔法使いは、焦りを抑えながらもそちらへ向かう足を速めた。
「訳を言いなさいよ、訳をっ。ファイエルを恨む理由は何なの」
男の手の中で暴れ続けるサナが叫ぶ。
「そんなことを聞いて、どうするんだ? 知ったところで、もうあいつに教えてやれなくなるんだから」
男は喉の奥でクッと嗤う。勝ったつもりでいる相手に、サナは何も反撃できない自分がひどく悔しかった。
「さぁ、くだらないおしゃべりはここまでだ。そろそろ……」
言いかけた男の言葉が、急に途切れた。
「なぜ戻って来た」
サナも男の向いた方を見ると、鴉が一羽、こちらへ飛んで来る。
「……返されたか。ちっ、面倒な」
自分が送ったはずの鴉が戻って来たのを見て、男は鴉に何があったかをすぐに悟った。
術を返された反動など、何も起きていない。消すなどの攻撃をされなかったからであり、そうなると男には離れた場所にいる鴉がどうなっているか知りようがなかった。
この状況でわかるのは、術を消されたのではないということ。文字通り自分の手元に返されたのだ。
だとすれば、次に起きるであろうことは予測できる。この鴉を追って、単身か複数かはともかく、魔法使いが現れるはずだ。
しかし、現実は男が考えていたのとは少し違った。
「なっ……貴様!」
「ファイエル!」
鴉を追って現われた相手の姿を見て、サナは喜びの声を上げ、一方で男は驚きを隠せない。
魔法使いが現われるだろう、というのはわかっていた。
しかし、レリックはともかく、ファイエルの登場は男にとって完全に予想外だ。
「貴様……死にかけていたんじゃなかったのか」
「残念だったな。自分で確認しないからだ。この通り、ちゃーんと生きてるぜ」
ファイエルが不敵な笑みを浮かべる。
「……ふん。噂は所詮噂、か。やはりアテにするべきじゃなかったな」
「お前か。俺にずっと熱烈な手紙を送り付けてきたマメな奴は。会いたかったぜ」
「俺は特に会うつもりはなかったがな」
戸惑ったように見えた男は、すぐに落ち着きを取り戻す。指を軽くならし、戻って来た鴉を消した。
一方、自分の状況はそっちのけで、サナは一応元気な姿のファイエルを見て、胸をなでおろす。
いくらレリックから元気だとは聞いていても、本人の顔を見るまではどうしても安心できなかった。
だから、まだ傷跡が多少頬や手に残っているのを見ても、自分の足で歩いているファイエルがそこにいるだけで十分だ。
男に拘束されていなければ、サナはすぐにでもファイエルに駆け寄りたかった。
「ところで……俺はお前に見覚えはないが、誰なんだ? あれだけ熱心に不幸の手紙をくれたんだから、そっちは俺のことを知り尽くしているんだろうが」
「スライク。地獄に堕ちるまでくらいは、覚えておけ」
隠し続けるかと思ったが、あっさり名乗る。ようやく男の名が明かされた。
「地獄か。行く気はないな。行くとしても、まだずっと先の話だ。そんなに長く覚えているのも面倒だな」
言いながら、ファイエルは過去にスライクという名前の男に接触したことがあったか、記憶を探る。だが、物覚えが悪くないファイエルの頭でも、そんな名前はどこからも出て来ない。
「ファイエル、本当にこいつのこと、知らないのか?」
手紙の主に会えば「お前だったのか」とすぐに正体がわかると考えていたレリックだが、ファイエルは肩をすくめるだけ。
「全然。あれだけのことをされるくらいだから、俺も知っているんだろうと考えていたのにな」
すぐに正体がわかる、と思っていたのは、レリックだけではない。
当事者であるファイエルは、一目見ただけで思い出せると考えていただけに、見覚えのない顔を前に内心戸惑ってもいた。
昔会ったことがあるとして、そのことに気付かないくらい造作が変わってしまったのだろうか。年齢的にそこまで変わるとは思えないのだが……。
「ファイエル。この人、ファイエルが……人を殺したって……」
「……」
ファイエルとスライクが睨み合う。
「へぇ。俺はこれまで魔物以外、直接手を下した覚えはないが。もし誰かと間違ってるなら、シャレにならないぜ」
剣呑な光をその瞳に宿らせて、ファイエルが冷たく言い放つ。
そんな穏やかならぬ雰囲気ではあったが、サナはファイエル自身の口から「人を殺していない」ということを聞いてほっとした。
どういう形であれ、彼に人殺しなんてしてほしくない。ファイエルのことだから、もしそんなことがあったとしても必ず何かの理由があるはずだ、と自分に言い聞かせていたのだ。
でも、はっきり否定してくれて、サナは嬉しかった。ファイエルに後ろめたいことは何もなかったのだ。
「お前は出さなくていい手を出した。だから、彼女は死んだ。お前が殺したようなものだ。正義漢ぶりやがって」
「彼女?」
代名詞で言われても、ファイエルに関わってきた(もしくは関わろうとした)女性など、かなりの数になる。
だが、そんな中に「死んだ」女性がいただろうか。
「まだわからないか。アイサの魔法使いは物覚えが悪いらしいな」
「そんなことないわよっ。あんたがはっきり言わないからでしょっ。思わせぶりな言い方、やめなさいよねっ。試すような言い方しないで、ちゃんと名前を出したらどうなの」
侮辱された魔法使い本人より、サナの方が憤っている。
「……モーリンのことか」
また暴れかけていたサナは、ファイエルの言葉にその動きを止めた。
「気付くのが遅い」
「それは、悪かったな。だが……彼女のことはともかく、やっぱり俺はお前なんか知らないぜ」
アイサが依頼を受け、ファイエルが担当した件。モーリンは依頼主と一緒に住んでいた娘の名前だ。
金貸しをしていた父親が恨まれ、魔物に覆い尽くされた家でモーリンは病に伏していた。魔物の件は解決したものの、後日亡くなってしまった。
スライクが呪いの手紙をよこすようになってから、どの件に関わった人間の仕業かと考えていた時、ファイエルはこの事件を思い出した。レリックにもその話はしている。
だが、そこに関わったのは被害者の父娘と、術者。スライクの名前はどこにも出てこない。今日、初めて聞く名前だ。
もちろん、会うのもこれが最初。
「お前は、依頼された仕事を終えてから、モーリンの親父の悪事を告発した。その時の心労で、彼女は亡くなったんだ」
「……親父のとばっちりで、彼女までが恨みの対象になっていた。その時からすでにモーリンの身体は弱っていたぞ」
それは嘘じゃない。殺したい程恨まれていた父親当人より、一切関係のない娘の方がずっと深刻な状態だった。父親より彼女の方が心配だったから、ファイエルは仕事を急いだ程だ。
「そこへお前は追い打ちをかけた」
「彼女に対してじゃない」
「同じことだ。世間では悪人かも知れないが、彼女にとって肉親には変わりない。家族を失って、身体の弱った人間が平気でいられると思うか。お前さえ余計なことをしなければ、モーリンは生きていられた」
スライクの責め立てる言葉で、ファイエルの中に二年前のあの後味の悪さがよみがえる。
自分がやったことで救われた人間もいたが、最悪の結果を招いた人間も実際に存在した。
しかし、ファイエルが何もしなければ彼女は今も生きていた、なんて結果論だ。瘴気を出す魔物がいなくなったからと言って、その後で彼女が絶対元気になれたかと言えば、それは誰もわからないこと。
突き詰めれば、一番悪いのは父親のバドスだろう。あんな父親を持ったことがモーリンの不幸だとも言えるが、それは誰かが変えられるものではない。
「お前は彼女の身内なのか?」
「……違う。だが、彼女のことはよく知っていた」
はっきりとは言わないが、その口ぶりからしてモーリンの恋人、もしくは彼女に好意を寄せていたのだろう。友人くらいの関係で、ここまでするとは思えない。
「それって……そんなのって、逆恨みじゃないっ」
スライクの腕の中で、サナが叫ぶ。
「一番悪いのは、その悪いことをした彼女のお父さんでしょ。そんな人が捕まっても仕方ないし、彼女が亡くなったのはそれだけが原因じゃないかも知れないじゃない。それなのに、悪い人を捕まえる協力をしたファイエルを恨むなんて、筋違いもいいところじゃないのよっ」
サナは初めてこの話を聞いて、自分でもどこまで理解できているかは自信がない。それでも、このまま黙ってはいられなかった。
どう考えても、悪事を告発した、というファイエルに落ち度があるとは思えない。
そんなことを言い出したら、悪人を捕まえる立場の人達はどうなるのだ。悪人の家族に病気の人がいたら捕まえるのをやめる、なんて聞いたことがない。
「彼女のことが大切なら、身体が弱いってわかってるなら、あなたが守ってあげればよかったんじゃない。どういう形でも力になってあげられたら、彼女だって元気になったかも知れない。自分ができることもやらないで、ファイエルだけを悪者にしないでよっ」
「女性は物静かな方が好きだな」
スライクの腕が、サナの首を圧迫する。のどがつぶされそうな苦しさに、サナの表情が歪んだ。
「やめろっ」
ファイエルとレリックの声が重なった。
「サナ、余計なことは言うんじゃない」
「俺を恨む理由はわかった。だが、そいつは関係ないだろ。ガキを巻き込むな」
ガキって何よ! と怒鳴りたいのは山々だが、首にスライクの腕が食い込んでいるのであまり口を開くことができず、サナは黙っているしかなかった。
「このお嬢さんにも、さっき話していたんだがな。俺はお前にも、失う悲しみや奪われる悔しさって奴を思い知らせてやりたい。そうするためには、このお嬢さんが適任だと判断したんでね。返す訳にはいかない」
スライクが軽く視線を上げると、宙に黒いかたまりが現われる。やがてかたまりは、翼を持った黒い獅子に姿を変えた。
「お友達がいるなら、多少のケガでもそいつの相手ができるだろう。まぁ、せいぜい張り切ってくれ。ああ、この前のように簡単にはいかないから、そのつもりでな」
スライクはそう言うと、サナを連れて滝の方へ向かった。ファイエル達が追おうにも、行く手を獅子が立ちはだかって邪魔をする。
「心配するな。慌てなくても、お嬢さんの身体はちゃんと返してやる。その後すぐに、お前も同じ場所へ行かせてやるから、楽しみにしていろ」
そう言って、スライクはサナを引きずりながら滝の中へ入って姿を消した。