[9]偽物
「……」
「??」
遅めの朝食を終えたテーブルに、空の食器と重い沈黙が並んでいた。
「ユーシィ……?」
あたしはあんな夢を見たお陰で、案の定早起きなどは出来ず、荘厳な朝陽も鮮やかな朝焼けも、飛行船滞在お初の今朝は堪能することが出来なかった。
でもそんなことがこの不機嫌の原因ではないことを、こいつだって分かっている筈。昨夜のあの襲撃は一体何だ!? 冗談めかして終わりにされたけど、抱き締められたのは間違いない! 契約破棄にされたって文句は言えない身分ではないかっ!!
困った顔であたしを呼んだラヴェルを前にして、ツーンとそっぽを向いてやっても良かったけれど、あたしは食後ひたすら彼の顔を凝視し続けた。どちらかと言えばほぼ睨みつけていたに違いない。怒っているのが分かっているのかいないのか、こいつは気まずそうに視線を逸らすことはなかった。
まぁ、そろそろ解放してやるか。やっぱり「おかしい」って分かったから。
「……ねぇ、一つ訊いてもいい?」
それでも少しためらいがちに切り出した。こいつにだって訊かれたくないことかも知れないのだから。
「どうぞ? ご遠慮なく」
ラヴェルも昨夜の件を怒鳴りつけられるのかと覚悟していたのだろう。意外な切り口に微かに驚いたみたいだった。
「あのさ……あんたの右眼って、もしかして義眼?」
「ほぉ」
間髪容れずに返された感嘆の声。
「鋭いね、ユーシィ。でも当たりは半分だよ」
「え?」
そう言ってニヤリと笑い、そして──
「義眼というのは当たり。でもそれは右眼じゃないから」
「ええ?」
そうして……えっ!? ちょっ……! うわっ!!
「ほらね」
左眼を抉り出して、あたしの手を取り、掌に……って、いやぁ~! な、生温かい……!!
「でもおかしいなぁ、初対面の人間に見破られたことはないのだけど」
掴まれた手首のこちらはフルフルと震えたまま、あたしの余りの驚愕に気付いているのかいないのか、ラヴェルは逆の手を自分の顎に置いて首をひねっていた。んなこといいから、は、早くそれを元に戻してっ!!
やがて昨夜同様に「夜行性でばかりではない」ピータンが、あたしの掌に舞い降りる。また噛まれるのではないかと更に全身が震えたけれど、『彼女』は意外にも大人しい表情で、まるでラヴェルの義眼を愛おしそうに……抱き締めた!
「なかなか綺麗だと思わない? これ」
やっとあたしの右手を解放し、ピータンから優しく返された義眼を摘まんで光に翳したラヴェルは、当たり前だけど左の瞼を閉じたまま、ウィンクするように右眼で見詰めた。確かに……瞳の部分は精巧な黒曜石のようだ、けど……何なの? その愛情溢れる眼差しは??
「自分の祖父が作ったものなんだ。祖父は腕の良い義眼師だった」
「え……?」
あたしがようやく声を発したからなのか、ラヴェルは柔らかそうな布で軽く拭き上げ、手で覆い隠すように義眼を戻し、そして両の眼であたしと相対した。
「ぎ、義眼師の家庭に生まれたの?」
そういうことか。でもそれって偶然が過ぎやしない??
「まぁね。お陰で義眼代はタダだから、随分ラッキーだったかもね」
かなり前向きな思考で感心するわ。
「うちは代々義眼師の家系なんだ。だから父も義眼師だったし、一応自分もね」
義眼の義眼師って……あんまり聞かないけどね。
「んじゃ、あんたは義眼師として、こんなにお金を稼いできたの!?」
義眼師ってそんなに儲かるのだろうか……こんな立派な飛行船を買えて、あれだけの報酬を支払える職業とは思えないのですが。
「まぁ……うちは王家直属の義眼師だから」
「王家? 王家って、何処の? あんたってもしかして外国人なの? うちの母国語堪能だからてっきり──」
そこまで言い掛けた途端、ラヴェルの瞳が細められ、急ぎ左胸から懐中時計が取り出された。何か誰かと約束でもあるのだろうか?
「ごめん、ユーシィ。話はまた後で。そろそろ時間だ。着陸するよ」
「着陸!?」
何も聞かされていなかったあたしは、いきなりの声掛けに思わず高い声を上げていた。颯爽と立ち上がりコクピットを目指すラヴェルに続く。着陸操作のお手並み拝見と、慌ててその背を追いかけた──。
◆第一章◆キスから始まる大冒険!? ──完──