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ラヴェンダー・ジュエルの瞳  作者: 朧 月夜
【Prelude to 『Ash or Rukh』】~続編に続くひとひらの物語~
85/86

[ε] 〈T&C〉+*

挿絵(By みてみん)


 十数分後、両手に沢山のボトルを抱え、俄然やる気を出したシアンが意気揚々と戻ってきた。右手には大きなワインクーラーに、氷で冷やされた白ワインが二本、左手には常温の赤ワインが網状の手提げに三本、更にクーラーの中からは、密閉容器に入れられたシーフード料理が数品取り出された。


「一体何時まで飲み明かすつもりなの? 真っ暗闇の中で呑み続ける気!?」


 タラは目の前のボトルの数に、思わず仰天の声を上げた。せめて薄紫に染まる岩壁を見届けたら、店に移るのかと思っていたのだ。


「ランプを借りてきたから大丈夫だよ。それに陽が落ちても戻ってこなかったら、ヴァレリーが上からライトアップしてくれる手はずだから」

「まったく……用意周到ネ」


 呆れながらも容器の蓋を開いて、二人の間に並べていく。その中の一つは香り高いブイヤベースだった。


「どれから楽しもうか?」

「シーフードも登場したことだし、その良く冷えたカシ産の白がイイわ。折角マルセイユに来たのに、まだ味わっていないのヨ」


 カシとはマルセイユの東の町、白ワインで有名なブドウの産地だ。フルーティな辛口の白が、ブイヤベースに良く合うとの触れ込みだった。


「いいね。ブドウの品種はクレレットだってさ。ってことは結構度数が高いから、一本目で勝負がついたりして?」

「さすがにそんなに弱くはないわ」


 お互い自信を含んだ笑みを刻み、注がれた透明な液体を掲げる。闘い(?)を告げる乾杯の音が涼しく響き、二人の(うたげ)が再び始まった。


「ホント、確かにブイヤベースに合うわネ」


 この時、頭ではどんなにあの闘い前夜を思い出しても、タラの心は不思議と痛まずにいられた。そんな過去を彼女は話すどころか触れもしなかったが、シアンもそれを感じ取ったように、タラのプライベートに関わる問い掛けは一切しなかった。


 その代わりに自分の過去を少しずつ語っては、手元のグラスを空けていく。小さい頃から入れられた、伝統を重んじるパブリック・スクールの厳格な寮。たまの休みに帰っても、伯父の家もまた同じ雰囲気を保ち、自分には息の詰まる場所であったこと。それを気にも留めない従兄に敬服していたこと……そんな中でも隠れて描き続けたデザイン・ノートは宝物で、幾つものオフィスに持ち込み続けた。やがて認めてくれたデザイン会社で、陽の目を見られた二十代半ば。脚光を浴び始めた二年前。それでも今も、創作ノートは常に手元から放さないこと!


「ああ……もちろん仕事の時だけだよ」


 そう言って「今この場所には持ってきていない」のだと言い直したシアンの頬が、仄かに赤みを帯びていたのは……日暮れてきた空の所為だろうか?


「……タラ、ヨ」

「え?」


 シアンのグラスにおかわりを注ぎながら、タラはぽそりと呟いた。


「ワタシの名前。タラっていうの。こんなに自分のことを語ってくれた相手に、もうすれ違っただけなんて言えないわ」


 ただ名前を教えただけなのに、タラの頬もまた陽に照らされながらはにかんでいた。


「やった! 名前ゲット!!」


 喜びに思わず立ち上がったシアンが、タラの目の前に(ひざまず)く。驚き固まるその右頬に、温かな手が添えられた。


「タラ……とても君に合った名前だね」

「ありがと……」


 ──ティーナと呼ばれていた時代は、それが似合う自分だったのだろうか?


「では改めまして、タラ。以後お見知り置きを」

「え? あっ、ちょっ──!」


 シアンの顔がいきなり近付いてきて、途端左目の下に熱を感じた。懐かしい感覚──あの全身を巡る熱い血が、タラの内なる物をぐるりと動かしていた。


「ちょっと……一体どういうつもりヨ」


 長く触れた後、ようやく元の位置に戻った笑顔を見下ろし、釈然としない不機嫌顔を向ける。


「挨拶に決まってるだろ? やっとお互い名前を知ったんだ。これくらいのことは許されてもいい関係だと思うけど? ……あれ? もしかしてそんなにウブだったりする?? 意外だな~! そのギャップ、萌えるね」

「ちっがうわヨ! 挨拶ならほくろにしなくたってイイでショ! 第一ちっともフレンチじゃないじゃない」


 珍しく声を荒げたタラに、シアンの意地悪な視線と言葉は、更に彼女を熱くさせた。


「だってその涙ぼくろ、とても魅力的に思えたから。それに凄く美味しそうに見えて……現に美味しかった」

「ふざけないでっ!」

「ふざけてなんかいないって。そんなに顔を赤くして……そろそろ僕に惚れてくれた?」


 タラが言い負かせられない相手など、久しく現れたことはない。一度グッと唇を引き締めたタラは、夕陽から避けるように頬を逸らした。


「夕焼けに染められてるだけヨ。もうっ、冗談はこれくらいにして、ジャンジャン飲むわヨ!」

「そうこなくっちゃ!」


 まもなく温かな光は海に消え、ラヴェンダー色の闇が満ちる。夕陽を閉じ込めたみたいな赤ワインをくゆらせ、タラは一息に同じ色の唇へ流し込んだ。


 さて……この色が彼の唇へ、贈られることはあるのでしょうか?




挿絵(By みてみん)




 ◆ ◆ ◆




 それから次第に色彩は沈み、橙色を(まと)っていたカランクは、薄紫に変えられていった。


 二人はその時間をただ無言で過ごした。じっと岩壁を見詰めるタラの横顔を、シアンは気付かれないように視界に入れた。やがて紫が闇の色で覆われた頃、首に巻いていたショールを広げ、露わになっている上腕を温めるよう、タラの肩を包み込んだ。


 ぽつりぽつりと会話が始まり、夕暮れ前のような楽しい(うたげ)が戻ってきた。二人の間の足元にランプを灯し、頭上からも淡い光がスポットライトのように注がれてくる。何時間此処に居るのだろう。二人は時計を見ることもなかった。東の空にあった月が、いつの間にか頭上まで昇った時、気付けばシアンは丸太をベッドに横になっていた。


 ──やっぱり、ワタシに勝てる相手は居なかったわネ……。


 真ん中の木皿を片付け、タラはシアンの頭を自分の太腿に乗せてやった。真下に気持ちの良さそうな赤らんだ寝顔と、その唇から小さな寝息が聞こえてくる。きっと明日は二日酔いになるのだろう。いや……もうその明日なのだろうか。


 海が静かなさざ波を立て、その上には満天の星空が煌めいていた。潮風は優しく夜の冷え込みは感じない。今この時、ヴェルが得た海岸も、同じ景色と空気に(いだ)かれているのだろうか。


 ──何だか、どうも、帰れそうネ。


 タラは夜空を見上げながら微笑んだ。あの薄紫を見ても、心が拒絶しなかったのだ。このタイミングを逃す手はないと思っていた。


 満たされた想いで海と空を眺めながら、何時間かが過ぎ去ったのち、顔を上げた太陽が再び、白壁を薄紫に染め上げた。タラは自分の心がそれを受け入れられたことを再度確信し、依然目を覚まさないシアンを見下ろした。おもむろにショールを肩から滑らせ、彼の胸元に掛けてやる。


「ありがとう、シアン」


 この気持ちをくれたのは彼だ。上書きはされなくとも、帰れる自分を目覚めさせてくれた。


 ──オレンジ・レッド……ほんの少しなら、お礼にあげるわ。


 そうしてタラは身を(かが)め、シアンの頬に口づけを捧げて、その色を微かに刻んだ。




 ──ありがとう……そして、さよなら。




 タラは起こさないようゆっくり身をよけて、静かに階段を上っていった──。




 ※以降は2015~16年に連載していた際の後書きです。


 いつもお目通しを誠に有難うございます!

 次話にて「タラの未来エピソード物語」もついに最終話、更に『ラヴェンダー・ジュエルの瞳』全体の完全完結となります* まぁ続編がございますが・・・(苦笑)。

 何卒最後までお付き合い宜しくお願い申し上げます!!


   朧 月夜 拝




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