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ラヴェンダー・ジュエルの瞳  作者: 朧 月夜
【Prelude to 『Ash or Rukh』】~続編に続くひとひらの物語~
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[γ] 〈T&C〉

挿絵(By みてみん)


「どう、して……?」


 オレンジ・レッドの唇から出てきた言葉は、僅かに(かす)れた問い掛けだった。マルセイユと言ってももう随分街外れだ。それともこの店は思った以上に有名なのだろうか?


「あ! 先に弁解するけど、昨日あれから君を付け回して宿を知ったとか、今も後を追ってきたとかじゃないからね! 此処は僕の行きつけの店なんだ。君も良く来るの?」

「いえ……初めてヨ」


 青年は嬉しそうな表情を一変させて、慌てて「偶然」であることを主張した。「ご一緒しても?」とのお願いに、タラは唖然としながらも了承する。青年はカランクの美景を隠さないよう、タラの斜め右隣に腰掛けた。


「早速使ってくれてるのネ」


 降りてきた彼の首元を飾る、薄紫に目を留め微笑むタラ。


「もちろん! 凄く気に入った。これってラヴェンダー染めなんだね。巻いたらふわっと香ったよ。何処で手に入れたの? 近くのラヴェンダー祭り?」

「そ、うネ……何処だったかしら。ラヴェンダー街道を長く巡ってきたから、もう忘れちゃったわ」


 興奮気味の青年の質問に、途端嘘をついてしまっていた。ヴェル産だと打ち明ければ、すぐに身元が割れてしまう。けれど思えばどうして昨日、自分はこのショールを身に着けていたのだろう? あれ程『彼』を思い出してしまうラヴェンダーを、目にすることには消極的であった筈なのに……?


 ──自分の首に巻いていたら、自身では見えないからかしら?


 そんな答えが浮かんだ瞬間、ふと微かな笑みが零れていた。


「食事は? もう済ませた?」

「いいえ、まだ食前酒と前菜だけヨ」


 青年はそれを聞き、軽く後ろを振り返った。先程のウェイターがその気配に気付き近付いてくる。タラには聞こえないよう何かを伝え、再び満面の笑顔で彼女を見詰めた。


「そう言えば、名前を教えてもらってない。僕はシアン。綴りは「C」「Y」「A」「N」」

「あら、色の名前なのネ。その瞳から名付けられたの?」


 シアンとは鮮やかなブルーグリーンの名称だ。まさしく彼の瞳の色だった。


「そう、その通り。で、君の名は?」

「旅ですれ違った人には教えない主義なの。ゴメンナサイ」


 タラはデカンタに残った水をグラスに注ぎ、一口含んだ。その硝子の先には──驚いたように丸くなるシアンの瞳があることを認めながら。


「すれ違っただけ? これから一緒に食事をするのに?」

「食事をしても、明日には見知らぬ者同士ヨ。むしろ知らない方が楽しい思い出になるでショ?」


 左手で頬杖を突いたタラは、上目遣いで考えを巡らせるシアンの答えを待った。やがて──


「ああ、分かった。まだ僕を警戒してるんだな。怪しい者じゃないから心配しないで。僕のラストネームはエヴァンス。「シアン=エヴァンス」って聞いたことない?」

「有名人なのネ? ゴメンナサイ、残念ながらワタシ新聞も雑誌も読まないの」


 そうして視線を逸らしたタラは、遠く眼下を占める、彼の瞳の色と同じ海を目に入れた。


 ──シアン=エヴァンス。


 この時タラはその名を知っていた。


 確かイギリス人で、新進気鋭のファッション・デザイナーだ。よっぽど自身がショーに出た方が良いのでは? と思わせる程のスタイルと容姿を持ちながら、飽くまでも着せることに情熱を捧げる──まさかこんな所でそのような人物と遭遇するとは。けれど知らない振りをしたのは正解だったのかも知れない。衣装をきっかけに染色が話題に上れば、おのずと自身の知識が滲み出てしまいかねない……タラは咄嗟に取った自分の対応に、知らず安堵の息を洩らしていた。


「そっか、残念。君みたいなお洒落な女性が、知っていてくれたら光栄だと思ったのだけど。まぁ僕のことはこれから追々ね……ひと月前から仕事で此処へ来ているんだ。と言っても一昨日それも無事終えて……翌日の昨日、君とこうして出逢うことが出来たのだから、今回の企画には深く感謝をしなくちゃいけないな」


 それからシアンは同じように、右手で頬を突き微笑んだ。言葉の節々に彼女への好意がちらついていることは、タラ自身にも感じ取れる。が、二物を神に与えられたこの若者が、自身の魅力にしっかり気付いているからこその言動なのだろう。ヴァカンス気分でひと時の快楽に付き合わされるなら御免だ。タラは特に誘いに乗る気を見せず、すぐに話題を変えようとした。


「マルセイユの人じゃないのネ。ならそろそろ他の地へ?」

「いや、次の企画はまだ先だから。一旦国へ戻ろうと思っていたけど……君がしばらく此処に居るなら考え直そうかな」


 シアンはそう言いながら姿勢を正し、タラを真っ直ぐに見詰めた。


「あんまり年上をからかわないで」


 タラも頬杖をやめ、その熱視線に困り顔を向ける。シアンの真剣な表情は、その途端に驚きを見せた。


「ん? 僕の年齢知ってるの? そんなに変わらないだろ??」

「知らないけれど、年上ではないと思うわヨ。ワタシを一体幾つだと思っているの?」

「え、君って何歳? 僕は二十七だけど」


 タラもまた驚いたように目を見開いた。


「イヤだ……ラウルよりも年下じゃない! それに女性に年齢なんて訊くものじゃないわヨ」


 ラヴェルはタラの六歳下だ。シアンはそれよりも一歳若い、つまりタラより七歳も年下ということになる。


「ラウルって? 昔の彼氏とか??」

「小さい頃から知っている弟みたいなものヨ」


 タラは再びそっぽを向くように、やや左手のカランクを見下ろした。こうして会話をしながらも、幾つものキーワードが自分を過去へ押しやろうとする。二十七歳──それは彼女が『彼』を葬った年齢だった──。


「エヴァンス様、大変お待たせ致しました。ご用意が出来ましたので、こちらに置かせていただきます」

「ありがとう、ヴァレリー。いつも助かるよ」


 ふと始まった右手からの会話に、振り返るタラの瞳。シアンから何かを言い付かっていたウェイターが、大きなバスケットを空いている椅子に置き、彼の礼に応えるようお辞儀をした。


「どうぞ良い一日を」


 ヴァレリーと呼ばれたウェイターは、朗らかな微笑みを(たた)えて室内に戻っていく。


「さて……どうか機嫌を直して、(うるわ)しの君。此処は沢山の視線が背中に刺さるから、遅いランチは場所を移して楽しもう。とびきりの景色が拝める良い所があるんだ」


 立ち上がったシアンは、ウィンクを決めながらタラの右手を取った。逆の手は「遅いランチ」らしきバスケットを持ち上げる。


「視線が刺さるのはアナタが有名人だからでショ。どうぞワタシまで巻き込まないで」

「まさか、僕の背に刺さっているのは、君に見惚れる男性陣の嫉妬の目だよ?」

「ワタシを突くのは、アナタに恋い焦がれる女性陣の目ヨ……」


 お互いの言葉で二人はそれぞれ背後を見渡した。刹那周りのテーブルから注がれていた男女の視線が、サッと逸らされる気配が漂う。いつの間にか二人は顔を見合わせて、同時にプッと吹き出していた。


 それを機に、心に吹く風はゆったりと凪いだようだった。タラは繋がれたシアンの手を払わずに、導かれるように店を出た──。




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