表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラヴェンダー・ジュエルの瞳  作者: 朧 月夜
【Prelude to 『Ash or Rukh』】~続編に続くひとひらの物語~
81/86

[α] *

◆旅を終えて七年後、タラ三十四歳の初夏◆




挿絵(By みてみん)


 南フランス、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の首府──マルセイユ。


 地中海リヨン湾を臨むこのフランス最大の港湾都市に、タラが降り立ったのはもう六日前の夕暮れのことだ。


 旅慣れた彼女は港に近い手頃な宿を見つけ、「商売」の出来るシーサイドの広場もすぐに探し当てた。翌朝からその一角にスペースを借り、順調に一日数件から十数件の仕事をこなしている。


 この日もドライな空気の中を、潮の香りを含んだ風の通り抜ける木々の下、大きなパラソルで強い陽をよけて、自分の「店」を開いていた。


 白っぽいキューブ煉瓦の敷き詰められた広場は楕円形で、その長手の両端に公園を抜ける通りが続いている。気温の高くなり始めたこの時期、観光客を狙ったジェラート屋や、フランスパンのサンドイッチ屋台、貝で作ったアクセサリー・ショップ、水晶を使う占い師など、タラの他にも沢山の出店が並び、カラフルなパラソルの(もと)には結構なお客の山が出来ていた。


「メルシー ボクー」


 タラはテーブルに広げたカードをまとめながら、二十代半ばといった女性の笑顔にお礼を言った。どうやら彼女の「結果」は満足の行くものだったらしい。嬉しそうに帰るその後ろ姿に手を振り、真ん前のカフェ・スタンドでちょっと一息でも入れようかと、鞄を手に取ったその時だった。


「僕も占ってもらえるかな?」


 長い影が腰掛けたままのタラを包み込んだ。見上げれば背の高い青年が、興味深そうに彼女を見下ろしている。タラよりも幾つか年下のようだ。鞄をひとまず隣のチェアに戻し、タラはテーブルに両肘を突いて、困ったように首を(かし)げてみせた。


「タロット・カードを操る魔女にでも見えちゃったかしら?」

「え?」


 軽く驚いたような声を上げた青年は、先程までお客の女性が座っていた足元の席に腰を下ろした。


 ヘーゼルナッツ色のサラサラな髪と、ブルーグリーンの鮮やかな瞳が印象的だ。その目を丸くしてひたすらタラを見下ろす表情は、同じように困った様子にも見える。タラは片付けたカードをしなやかに広げてみせた。その指先に惹きつけられたように、青年の視線は右から左へと流れ、全てを目に焼き付けた。


「占いならお隣さんヨ。タロットではなくて、水晶みたいだけど。ワタシはカラーセラピスト。残念ながらアナタの未来は占えないわ」


 そう言ってカードを綺麗に重ね、左隣の出店へ鼻先を合わせた。青年の顔も釣られたように美麗な横顔を見せる。


「ああ、失礼。てっきり占い師かと……カラーセラピストって、何をするの?」


 タラはタラで、てっきり占いを求めてやって来たのだと思っていた青年が、こちらの商売に興味を示したのは意外だった。カードをしまおうとする手を戻し、


「今アナタに必要な『色』を教えてあげるだけ。このカードはその道具なの」


 もう一度テーブルに並べ、お客に向ける微笑みを刻んだ。


 印刷された色は全て違っている。この中から二枚、出来るだけ無意識に、インスピレーションに身を傾けて選ぶこと、更にそのお代もしっかり忘れずに伝えてみせたが、青年は迷うことなく紙幣をタラに手渡した。


「面白そうだね。でも僕が選びたい色はこの中にはない」

「え?」


 カードを見下ろしていた二人の瞳が上がり、刹那かち合う。不思議そうに瞬かせたタラの(みどり)色の(まなこ)には、食い入るように自分を見詰める青年の笑顔が映り込んだ。


「僕が欲しいのは、君が首に巻いているショールの薄紫と」


 彼は右手の人差し指で彼女の首元を指し示し、更に、


「その綺麗なオレンジ・レッド」


 それは少し上へ移動して、タラの口先で留まった。


「あら、ヤダ。これは困ったわネ……」


 寄り目で指先を捉えたタラは、それから背もたれまで顔を遠ざけ、小さく溜息を洩らした。


「カード以外の物に目が行っちゃうなんて、カラーセラピスト失格だわ」


 唇と同じ色の爪先が、おもむろにカードを集め始める。気付けば二人の表情は、再び困り顔に戻っていた。


「えっと……ゴメン。僕、いけないこと言っちゃった?」

「いいえ、謝らなければならないのはこっちの方ヨ。まだまだ未熟者な証拠ってこと。アナタの所為ではないから心配しないで。でも、ゴメンナサイ、ちょっと今日はこれで閉店にするわネ」


 タラは既に戴いていたお代を返し、パラソルの下で立ち上がった。慌てて青年もそれに続いたが、彼の身長はタラより高く、パラソルの端に頭が(かす)ってしまう。


「おっと……でもどうか自信をなくさないで。そのショール、とても綺麗だと思っただけだから」


 一歩を下がり、パラソルの外へ出た青年の耽美な微笑が、眩しい陽に照らされた。


「ありがとう。気に入ったのなら、お詫びに差し上げるわ」


 首からショールをほどいたタラも日向に出て、丁寧に折り畳み、それを差し出した。薄紫──【彩りの民】であるハイデンベルクのラヴェンダー染め。


「いや……君だって気に入って使っているんだろ?」

「大丈夫ヨ。これなら幾らでも手に入るから。良かったら使ってあげてちょうだい。少なくとも「今のアナタ」には必要な色の筈だから」

「ありがとう。大切にするよ」


 遠慮がちに掌を見せていた彼の両手が、お礼を言いながら受け取って、タラは少しだけホッとした気がしていた。数日前から「心此処に無い」ことには自身でも気付いている。だからこそこんなことが起きたに違いない。そう意気消沈していたのは確かだった。


「明日も此処に居るの?」


 青年はそう問い掛けながら広場をぐるりと見渡した。周りの出店は依然盛況で楽しそうな賑わいだ。


「どうかしら。気ままな旅商売だから」

「僕は明日もまた会える気がしているけどね」

「え?」


 今一度かち合った瞳の先は、やはり不思議そうな彼女の眼差しと、自信あり気な彼の面差しだった。


 ──これって新手の口説き文句なのかしら??


 これまでも幾つも誘いをかわしてきたタラだが、「以前会ったことがありませんか?」という問い掛けならともかく、未来を予測しての宣言は珍しい。とは言え、もう三十路(みそじ)も半ばとなった自分に、興味を抱く若者などそうは居まい。タラは青年の言葉を受け流すことにした。


「それじゃ、ワタシは行くわネ」

「ショール、本当にありがとう。また明日!」


 青年は手にした薄紫を大切そうに掲げ、笑顔で手を振り(きびす)を返した。


 ──明日なんて誰にも分からないわヨー。


 心の声で返事をしたタラは、鞄を手に取り逆方向へ歩き出す。先程示した水晶占いの店先を通り過ぎようとした時、占い師の老婆がそっと声を掛けた。


「お前さん、本当にあの若者と再会することになるよ」

「え?」


 もう今日何度目か知れない驚きの声を上げて振り向いた。けれど席には誰の姿もおらず、ただテーブルの上の水晶が陽に晒されて輝いていた──。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ