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ラヴェンダー・ジュエルの瞳  作者: 朧 月夜
【ラヴェンダー・ジュエルの瞳】エピソード短編集
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[α]Tarantina & Westy

◆タラとウェスティ共に十七歳、まもなく王位継承という時期の、とある日の二人の時間◆




「スティ! スティ~!?」


 王宮の奥の奥、森の深くに佇む古びた洋館。その回廊に良く通る元気な声と、軽やかな足音が響き渡った。

 突き当たりの扉を勢い良く開いたが、誰も居る気配はしない。興奮気味に呼び掛けた唇を引き締め、静けさの中キョロキョロと辺りを探る。薄暗い部屋の真中で立ち止まった時、いきなり後ろから柔らかく抱き締められた。


「──キャ!」

「ちゃんと居るよ、ティーナ。いつでも、どんな時でも」


 右耳の後ろから聞こえる落ち着いた声に、タランティーナは深く安堵した。もちろん彼が囁いたように、今まで何度も訪れたこの部屋が、空っぽであったことなど一度もないのだが。


「もうっ、隠れて驚かせるつもりだったの? 今日は、ラウルは?」


 少しばかりほどかれた抱擁の中で、ゆっくりと身を振り向かせ、背の高い彼を見上げる。いつも通り優しく美しい紫の眼差し、漆黒の髪は自分とは違い揺るぎなく流れ、整った面差しを凛とさせていた。


「先刻帰ったよ。すれ違わなかった?」

「ううん。……ん……」


 おもむろにウェスティの大きな掌が、タランティーナの滑らかな右頬を包み込む。近付いた彼の唇は、少女の左目尻のすぐ下──彼女を一層チャーミングに魅せる涙ぼくろに触れていた。

 その刹那、伸ばした先の彼の袖を強く握り締めてしまう。頬への口づけなど挨拶のキスと変わらない筈なのに、どうしてなのか必ず全身に熱い血が巡る。不思議な感覚を得て脱力しかけた身は、再び情熱的に抱き寄せられた。背後の揺り椅子に腰掛けた彼の膝に乗せられて、少しだけ目線の下に来た、その(おもて)をはにかみながら見下ろした。


「制服のまま来るなんて珍しいね? 急ぐ用でもあった?」

「あ! そうそう~授業で作った物を自慢しようと思って!」


 このまま見詰め合っていたら、顔から火が出てしまいそうだと思った矢先、ウェスティはタイミング良く少女を解き放す質問をした。タランティーナは慌てて立ち上がり、自分の鞄の中から大きめの布包みを取り出す。


「これ、スティにプレゼントしようと思って作ったの。良かったら受け取ってもらえるかしら?」

「プレゼント……?」


 手渡されたふっくらとした包装を、ウェスティも身を起こしながら丁寧に開いた。中から現れたのは淡い紫の塊。ハイデンベルクの工房で染められた毛糸だ。広げてみればそれは綺麗に編み込まれたマフラーだった。


「これを……私に?」


 問いながら僅かに首を(かし)げる。ヴェルは一年を通して温暖な地だ。明らかに防寒具の不要な国だった。


「エエ。アナタはきっと王位を継承したら、ヨーロッパへ出ていくことになるのでショ? 寒い季節もあるのだと聞いたわ。その時使ってもらえたらと……もちろん気に入ってくれたらだけど」

「気に入らない訳がないよ。編み目も揃って美しい。ありがとう……でもこんな授業があるとは知らなかったな」


 ウェスティは嬉しそうに瞳を細め、それからマフラーを一巻きしてみせた。


「手芸の時間に何を作っても良いって言われたのヨ。みんなは刺繍やレース編みなんてしていたけど、さすがにマフラーを作ったのはワタシだけだったわネ。だから「コレをどうする気なの?」って、みんなから質問されて……はぐらかすのに一苦労だったわー」


 そう言いながら照れ隠しにウィンクをしたタランティーナは、ウェスティに向け両手を掲げた。首の後ろへ回し、マフラーに巻き込まれた彼の長髪を自由にしてやった。


「授業以外でも時間を取らなければ、こんなに長くは編めなかっただろうね。私の為に、嬉しいよ」


 離れようとする彼女に近付き、今一度抱き寄せる彼。


「あと十日で十八の誕生日でショ? 少し早いけれど……バースディ・プレゼントも兼ねてヨ」


 再び懐に入れられたタランティーナは、そのぬくもりにそっと頬を寄せた。目の前に垂れたマフラーの房が、愛おしそうに肌を撫でた。


「もう十日か……君はその時、私が王位を継承すると?」

「……そうなのでショ? 最近王様の周りが慌ただしいもの。アナタも本当はワタシに会っている場合でないのでは?」


 少女を抱え込んだまま、改めて深く腰を沈めたウェスティは、見下ろす翠色の視線から瞳を逸らし、幽かに息を吐き出した。


「どうだろうね……私はこの国にとっては忌み嫌われるべき王子であるのだから。国民が受け入れるとは思えないな……」


 珍しく自信のない台詞を零した目の前の彼に、意外そうな表情を向け瞳を丸くする。タランティーナは先程のウェスティと同じように少しだけ首を傾げた。


「どうかしたの? スティらしくもないわ。アナタはこの国のくだらない『迷信』と『伝統』を、(くつがえ)す為に生まれたのでショ? 二千六百年のヴェルの歴史上、アナタと同じ容姿で生まれたのはたった三人……それにアナタのお母様が、今でも深く王様を愛していらっしゃるのはワタシだって知っているわ。きっとジュエルの勘違いか、気まぐれなイタズラだったのヨー! そんなこと、気にする必要なんかないわ」


 王家アイフェンマイアが所有する『ラヴェンダー・ジュエル』と、同じ薄紫色の左眼。王位継承者となるべき者であれば、本来なら黒曜石の色をして、右眼に宿されるべきであった。が、彼が美しい黒を手に入れたのは、瞳ではなく髪だった──それは相対する「排除されるべき」子の(あかし)──だが彼はこうしてこの歳まで、王の庇護のまま王宮の片隅にて、誰にも知られることなく育てられた。この事実は何を意味するものなのか? 彼はどのような宿命の許に生きてきたのか──。


「随分威勢が良いね、ティーナ。でも買い被りかも知れないよ? 実際正統な継承者となろう『ウル』が生まれたんだ。君はウルが継ぐべきだと思わないの?」


 黒い制服のデコルテを彩る、亜麻色の巻き毛を指に巻き取り(もてあそ)ぶ。そんな彼のすがるような弱々しい眼差しに、少女は今まで見せたことのないウェスティの一面に気付かされた。きっと彼も不安なのだ……此処から一度とて出たことのない自分が、世の中へ飛び立つその時が──。


「ラウルがどれだけアナタを慕っているのか知っているでショ? あの子もとても聡明だけど、アナタの賢明さにはまだまだヨ。まぁこれまでの『伝統』を変えずに、現宿主が人生を全うした後の継承であるなら、あの子もアナタに追いつくかも知れないけれど。でもあの子が一番、アナタの継承を望んでいるじゃないの」

「ウルも私も厄介な星の下に生まれたものだね……こんな目と髪を持たなければ、きっと自由に生きられたのに」

「スティ……?」


 少々投げやりに吐き出された台詞と溜息、それらをなかったことにしたいように、ウェスティはタランティーナの首筋に顔を(うず)めた。高くシャープな鼻先を軽く撫でつけ、スゥっと息を吸う。


「君は【薫りの民】でもないのに、いつも私を癒す良い匂いがする……」

「それは【彩りの民】としては、褒め言葉なのか疑問なところネ」


 苦々しく喉から笑った少女の声に、彼はふと顔を上げた。再びかち合った瞳の先には、長い(まつげ)を困ったように瞬かせる麗しい彼女が居た。


「もちろん君の肌も髪も瞳も……そしてこの唇も……どんなに私の眼を愉しませてくれたか知れない」


 そうして伸ばした右手の親指で、ウェスティはタランティーナの下唇をゆっくりなぞった。紅を付けなくとも赤みのある艶やかなそれが、一瞬驚いたように小刻みに震えた。


「今日は何だかセンチメンタルなのネ……先のことなんてどうなるか分からないけれど……アナタならちゃんとやれる筈ヨ。どうか自分を信じて、お父様の後をお継ぎになって」


 少女は少し頬を上気させて、その熱視線から逃げようとした。このままではずっと守ってきた『(たが)』が外れてしまいそうだったからだ。


「そうだね……先のことなど誰も知らない……自分でさえも。でもその時君は……隣に居てくれないの?」

「え……?」


 唇に触れていた指が腰に絡みつき、彼女はいきなり膝上に寝かされた。ウェスティの長い黒髪がドレープの如く彼女を閉じ込める。いつになく強引な態度を示した彼の様子に、タランティーナは戸惑いを隠せなかった。


「……口づけても、良い?」


 ──どうしてそんなに辛そうな顔をするの?


 そう問いたかったが、開かれた唇から音声は出てこなかった。が、やがて──。


「ダ……メ」


 やっと一言、拒絶の意志が現れる。

 思春期を迎え、彼を異性として意識し出してからのこの五年、彼女が許したのは頬へのキスだけだった。こんな若い時分に一生を共にする伴侶など選べる訳もない……きっと彼でさえも。幼な心に冷めた大人のような心が、彼女に戒めをもたらしていた。そして何故だか感じてしまうのだ。自分はこの人の傍にずっとは居られないのではないかと、「お妃」と呼ばれる日は永遠に来ないのではないかと──


「ティーナは……私のことを、愛していないと?」


 身を起こし、彼の檻から逃れた少女の背に、切なる問い掛けが投げられた。その哀しい声音に歩みを止めた彼女は、弾かれたように振り返る。其処には──(ひざまず)き、潤んだラヴェンダー色の瞳で見上げるウェスティの姿があった。


「スティ……そんなこと、ある訳ないわ。でも──」

「我が愛しのタランティーナ」


 彼は彼女の台詞を遮った。


 ──スティ?


「君が推測した通り、十日後私は王位を継承する。そして数日の内には発表したい。貴女を王妃に迎えることを」

「え?」


 真剣な表情から放たれた言葉の意味は、すぐには理解出来なかった。硬直した右手がウェスティのそれに捕まえられる。温かくしなやかな指、まるで彼の熱情が伝わったかのように、彼女の指先も熱を帯びた。


「受けて……くださいますね?」

「……」


 タランティーナが「はい」と頷かない限り、ウェスティは一生その手を離しもせず、立てた膝も戻しそうになく思われた。

 もちろん此処までの人生の殆どを、捧げてきたような相手なのだ。このまま一生を添い遂げたい……けれどそれは本当に叶うのだろうか? この不穏な予感はいつか払拭(ふっしょく)される……?


「スティ、ワタシは……」


 ──ジュエルに愛される自信がない。


 いつしかそう考えていた。

 しかしそれを告げてしまったら、ジュエルに失望を与えて生まれてきた彼こそが、自分を責めてしまうのだろう。例え彼女が自分個人の問題として、感じていることなのだと主張しても。

 現状王が所持する『ラヴェンダー・ジュエル』。宿主が子息に授けると決めた時、ジュエルは彼を認めるのだろうか? 彼が愛する彼女を愛するのだろうか──。


「アナタは……ワタシなどで、イイの?」


 ウェスティの手は、いつの間にかタランティーナの手によって握り締められていた。


「君以外に、誰が居る?」

「これから世に出れば、女性なんて星の数ほどヨ」

「だが君以上に、私を理解出来る女性なんて居ない」


 ──ワタシはアナタのどれ程を、理解出来ているというのだろう……?


 それでも自分を見上げるこの美しい瞳に、ずっと見詰められていたいという願望はあった。今はそれだけで良いのだろうか? 繋ぎとめる理由はそれだけでも──


「こんなワタシで宜しいのなら……謹んでお受け致します、ウェスティ」

「ティーナ!!」


 真摯な答えに喜び立ち上がった彼は、いつも通りでいつも以上の、愛に溢れた抱擁を捧げた。


「誓いの、キスを」


 彼の言葉に緊張した少女の(おとがい)が、柔らかく包み込まれる。


「愛しているよ、ティーナ……」


 ゆっくりと近付いた唇は、けれど今までとは違う情愛を持って、頬への口づけ以上に熱く官能的であった。全身を走る血は一巡したのち、逆流した気がするほど彼女の身を打ち震わせていた。




 ──あの時、もしアナタがジュエルの力を持っていたら、ワタシへの最初のキスに、何かを願ったかしら?




 ジュエルの力を保つ者に、与えられた魅惑の魔法。

 初めての口づけはその相手に対し、一つだけ願いを込められる。

 この時のウェスティには、未だその力は宿されていなかった。が、もし彼がそれを手にしていたのなら──




 ──今はもう、そんな想像も無意味でしかない。




 この十日後、彼は王の宣言の(もと)、正式にヴェルの王位を継承した。

 だが、タランティーナを王妃に迎えるとの発表は、流されることなく時は過ぎた。

 あの惨劇が始まりを告げ、「タラ」は「ラヴェル」の生ける『盾』となったから。




 ──それはこのファースト・キスから、半月もしない暗い夜のことだった──。




◆ウェスティの真意は、続編にて語られる予定でございます。




◇制服ではないですが、この頃のティーナとスティを再び◇

挿絵(By みてみん)




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