[74]献身
同じく失神させられていたアイガーが意識を取り戻し、苦しそうなツパイの許へ歩み寄った。ピータンも慌てたように飛んできて、ラヴェルの頬にしがみついた。
「ツパイ! ごめん……ごめんね、あたし──」
目を離さないでって言われたのに……結局あたしは何も出来なかった──。
「いいえ、ユスリハ。ジュエルの戻ったラヴェルでは、誰も止められないことは分かっていました。どうか気にしないでください」
普段の呼吸を取り戻したツパイが、そう微笑んであたしの隣へ腰を降ろした。
「ラヴェル……貴方が王家の図書室で、古い文献を調べていたのは知っていました。貴方は……鍵の付いた祈りをジュエルに願ったのでしょう?」
「鍵の……付いた?」
──祈り?
ツパイの問い掛けとあたしの呟きに、ラヴェルは顔を歪ませ小さく哂った。
「相変わらず……ツパは、何でもお見通しで……困るよ」
タラとあたしの疑問を乗せた視線が、再びツパイへ移る。
「ジュエルの継承者には唯一無二の願いが認められているのです。通常の祈りはジュエルによって精査されています。ラヴェルがユスリハに口づけて、却下されたのがそれに当たりますね。心から祈られた願いの内、叶えるべきとジュエルが認めた物は、魔法となって発動されますが、それ以外はジュエルも動きません。まぁウェスティに限っては、『宿した』のではなく『捕らえた』為に、八割方ジュエルを掌握していたようですが」
そう一息に告げ、ツパイの口元も歪んだ哂いを寄せた。
「ですがたった一つだけ、鍵の付いた祈りのみ、ジュエルは拒絶が出来ないのです。その願いがどんな内容であれ、宿主の大いなる覚悟が込められている故」
「大いなる覚悟?」
再び呟かれたあたしの声に、ツパイは一つ大きく頷いた。
「その願いを叶える代償……それが『自分の命』だからです」
「えっ!?」
そしてあたしの驚きの眼は、もう一度ラヴェルに戻された。やっぱり……ラヴェルは消えようとしてるんだ……ジュエルと共に。
「ラヴェル……貴方はジュエルに対し、ジュエル自身の消滅を願ったのでしょう? ヴェルの全ての民の為に」
「……」
返事のないことが、ツパイの問い掛けの答えを肯定していた。
でも……どういう意味? ヴェルの全ての民の為って?
「ツパイ……どういうことヨ? 説明してちょうだい」
困惑してラヴェルとツパイを見回すあたしの首が、タラの質問で止められた。
「ラヴェルは以前から、ヴェルの在り方に懸念を抱いてきました。ジュエルに守られた平和な世界──その在り様が継続して良いのかと」
其処で一旦口を閉ざし、ラヴェルへ顔を向けるツパイ。その意を汲んだように、ラヴェルは荒く息を吐き続ける唇を動かした。
「いつまでも……守られてるだけじゃ、ダメなんだ……守られていたら、本当には分からない……悲しみも苦しみも……そこから生まれる、生きる喜びも……それを……ユーシィ、君が証明してくれた……」
「──え?」
潤んで揺れる漆黒と薄紫の瞳が、あたしを捉えて放さなかった。ラヴェルは──ちゃんと分かっていたんだ。どんなに辛くても、人は真実を受け留めて、自分で立ち上がらなければいけないのだと──!
「ジュエルは何物にも屈しない……砕くことも出来ないし……地中に埋めても自力で戻ってきてしまう。だから消し去るしか、ないんだ……」
「だ、だからって! あなたが犠牲になることないじゃない!! ジュエルは意思を持つんでしょ? 時間が掛かっても何とか説得すれば──」
「無理、だよ……継承して三年、ずっとジュエルに、訴えてきたんだ……でも、ジュエルは……受け入れなかった……」
「ラヴェル……」
あたしは一言彼の名を呼び沈黙した。目の前の淡い微笑が、本当に哀しそうだったから。寂しそうだったから──彼は……ずっと『独り』だったんだ──。
「お願い、ラヴェル。もう一度考え直して? ジュエルに一緒に願お? みんなで、ヴェルの人達全員で! そしたらきっとジュエルも分かってくれる!! だから、ね! お願いだから……祈りを止めてっ!!」
いつの間にかあたしの手は震えていた。その手でそっと彼の頬に触れる。温かい柔らかい頬。この感触が消えるなんて……信じられない、信じたくない!
「ありがと……ユー、シィ。でも、この祈りは、止められない……それに、もう、そろそろ、だよ……ジュエルも随分、抵抗したけど……あと数分で、消えると思う……そ、すれば……君の、この、哀しみは……終わるから──」
「嫌よっ、嫌だ……お願いだから、死なないで!!」
「死ぬ、んじゃない……元から『なかったこと』に、なるんだ……」
そうしてついに、ラヴェルは瞳を閉じた!
「ユスリハ、彼の名前を片っ端から呼んでください」
「え!?」
いきなり変なお願いをするツパイの言葉に、再び見開かれるジュエルの瞳。
「貴女が、祈りの『鍵』を開けるのです──」
揺らいだ前髪から、ツパイの初めて見えた紅い瞳が……僅かに光り輝いた──。




