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ラヴェンダー・ジュエルの瞳  作者: 朧 月夜
◆第九章◆キスから始まる大冒険、再び!?
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[72]帰巣

 昏倒したかのように横たわったウェスティの唇が、ほんの少しだけ動いた気がした。片足を引き摺った創痍のタラが、そこから零れる言葉を聞き出そうとたどたどしく近付いた。


 ウェスティのザイーダを想像させる黄色い眼は、もう存在していなかった。以前のようなジュエルと同じ薄紫の色。衣服のあらゆる部分が紅く濡れていて、息遣いは荒く、紐のほどけた長い黒髪が青い草の上に広がった。


 彼はどうしてあたしの飛び込んだ背中に剣を突き刺さず、ピータンやアイガーの不意打ちにも気付かなかったのだろう? きっと彼なら対処出来た筈なのに。見通せた筈なのに。


 ジュエルが邪魔をしたのだろうか? それとも……ウェスティ自身が望んだ? 本当は彼もこんなバカげたこと、もうやめたかったのかも知れない。もう……訊ねることも難しいように思えるけれど。


「……ティーナ……」


 目の前にしゃがみ込んだタラに、ウェスティの命消えかかる瞳は、何とか焦点を合わせたようだった。そして現れた懐かしい呼び名。ティーナ──けれどタラは何も答えなかった。諦めたように瞳を逸らしたウェスティは、自分を嘲けるような(わら)いの空気を吐き出し……やがて事切れた。


「バカ……」


 タラもまたそんな色を含んだ言葉を呟き、大きく一つ肩を波立たせた。ウェスティの瞼を優しく閉じ、その右手が行く当てを失ったみたいに宙に(とど)まる。彼女の背後に立つあたし達には見えなかったけれど、タラは幽かに泣いている気がした。


「死んでもワタシを引き止めようとするなんて。まったく……やっぱりアナタは愚かヨ、スティ」


 揺らぐ声には愛情が見え隠れした。最後に呼んだ『スティ』という呼び掛けも、半生を共にした彼への哀悼の言葉だったのかも知れない。


「さぁて! ラウル、ジュエルがお待ちかねヨ」

「ああ……」


 気を取り直すようにタラが元気な声を上げた。ずっとしがみつかれたままのラヴェルが決まりの悪そうに頷いて、あたしは慌ててその腕を放した。


 ラヴェルはソードを地面に突き刺し、タラの隣へ腰を降ろした。ウェスティの右眼からジュエルをそっと(えぐ)り出す。その瞬間喜びを伝えるように、ジュエルが鮮やかな光を放った。涙と血に汚れた表面が、磨かれたような美しさを取り戻し、ラヴェルは自分の義眼を外して、ジュエルを左眼に差し込んだ。


 その瞬間、今までに決して見せたことのない荘厳な輝きが辺りを包み込んだ! 光から柔らかく漂う……ラヴェンダーの薫り。


「ラウル……」


 隣に座すタラの横顔が、ラヴェルの姿を目にしながら呟く。何処か畏敬の念を含んだような、少し(かす)れた声だった。


「これを当てにしてたんだろうけど……タラも無茶するね」


 そうして涼しげなラヴェルの横顔はクスりと笑い、懐から以前ツパイが手渡した小袋を取り出した──ミルモの為に残しておいた癒しの薬粉──ラヴェルはタラの傍に落ちていた短剣で軽く指の腹を傷付け、其処から(したた)る血液とそれを合わせて、タラの(ただ)れたようなフランベルジェの傷口に優しく塗り付けた。


「さすがジュエルの力は違うわネー、もう痛みがなくなった!」

「傷もその内消えるよ。あとは大丈夫?」


 その問いに「エエ」と頷くタラ。元の位置に戻ったこちら側の頬が、ふとラヴェルの右手で包み込まれた。


「アラ……なぁに? もしかして前にお願いした『お礼のキス』でもホッペにくれるの?」

「そうだよ。今までありがとう、タラ」

「どういたしまして」


 ラヴェルの鼻先がタラの向こう側の頬に近付いていった。重なる二人のシルエットがやけに美しく感じられて、あたしは瞬間顔を逸らしていた。違う……きっと、あたしはタラに妬いたんだ。


 数秒経った頃だろうか? 背けたことで二人の許へ向けられた右耳に、何かが倒れたような葉擦れの音が草地から響いてきた。


「タラ……?」


 ウェスティの遺骸に並ぶようタラは横たわりピクりともしない。その横で悠然と立ち上がったラヴェルの背中は、いつになく凛としていた。風が巻き起こる。黒いマントがたなびき、その上のラヴェンダー色の髪から毛先の黒みが、風に(さら)われるように消えていった。


「タラに……何をしたの?」


 あたしは不思議と恐怖を感じ、発した疑問は震えていた。足先が遠ざかろうと、つい後ずさりをした。


「大丈夫だよ……ちょっと眠ってもらっただけ」


 振り向いたラヴェルの面差しは、今までの彼とは全く違っていた。力強い瞳から発せられるみなぎるエネルギー、弓なりに上がる口角には自信が満ち溢れ、これこそがジュエルの力を得た本来の宿主の姿なのだろうか?


「約束したね……ご褒美の、頬にキス」


 真っ直ぐあたしへ歩みを進める颯爽とした足取りと言葉に、あたしは一瞬ギクりとした。何……これ? 凄く、嫌だ……キスなんて、しないでほしい──!


 その時あたしは思い出した。ツパイが最後に言った言葉。




『ラヴェルから目を離さないでください。少し……気になることがあるのです』




 これがツパイの気になることなの!?


「あ、あの……約束したけど……それは後のお楽しみってことで~」


 あたしはおずおずと、次第に足早に──ラヴェルに身体を向けたまま、遠く離れようと下がり続けた。でもどうやったって、普通に前進するラヴェルの方が速いに決まっている。結局追いつかれて、彼の長く細い腕が腰に絡みついた。


「えと、あのっ、や、やっぱり後にして──」

「ごめん、もうこれ以上時間は取りたくないんだ。最後のお願いだから──」


 ──最後!?


 うなじが逆側の掌で抑え込まれる。ラヴェルの唇があたしの右頬に近付いてきて──


「ラ……ヴェ……?」


 触れた途端、其処からラヴェンダーの強い香気が現れ、まるであたしの鼻腔から脳に到達し麻痺させたようだった。意識が……遠のく──


「ユーシィ、今まで本当にありがとう。……『なかったこと』にする、時間の始まりだよ──」


 哀しそうで嬉しそうなラヴェルの眼差しを、重い瞼が隠していく。


 ああ……ずっと言われていなかったから、そんなこと、すっかり忘れていた……。




 『なかったこと』




 ラヴェル……一体、何をしようというの──!?




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