[71]集束 *
「「ユーシィ……」」
ラヴェルとウェスティ。二人の声が重なった。
「ユスリハ……ちゃん?」
あたしの腕の中から震えるタラの声も聞こえた。良かった……無事だ。そして──あたしも。
「ウェスティ」
あたしは立ち上がり振り返って、背後で剣を降ろすウェスティに声を掛けた。
「あたしを連れていってください」
左手に抱えた──ラヴェンダーの花束を胸元へ引き寄せ、彼の瞳に懇願する。
「……そうまでしてタランティーナを救いたいと?」
あたしの願いに驚き駆け寄るラヴェルは、再び上げられたウェスティの剣で動きと言葉を止められた。
「はい。あたしを、信じられませんか?」
「そうだな……」
ウェスティの左の口角が愉しそうに上がってみせた。視線はあたしを舐めるように全身を蠢き、その左眼は……やはりあのザイーダの黄色い眼だった。
「地色の髪を以前のように流し、私が設えた純白のドレスを身に纏う……ラヴェンダーのブーケを手に、なんて……随分良く出来た演出だ」
「貴方と再会する時は……これが相応しいと思ったまでです」
そう……この白いドレスこそが、あの飛行船に取りに戻った『忘れ物』だった。そして髪色を戻さなかった理由は、ミルモへの想い以外にもあったのだ。
「まぁいい。私も今後のことを思えば『花嫁』は必要なのだから」
依然ラヴェルを尖端で捉えながら、ウェスティはあたしを胸の内へ収めた。左手はタラに刺されて、血液を流しながら下へ垂らされたままだ。あたしの白いドレスを汚したくないと思ったのだろう。
「タランティーナは約束してあげよう。だがウルは別だ。そして……彼を倒す前に『証明』が欲しい」
「証明?」
ふとウェスティへ顔を上げる。横目に映ったラヴェルの表情には、悔しさが滲んでいた。
「『花嫁』としての誓約だよ。立会人がウルとタランティーナとは……これまた最高の演出だな」
「ダメだ……ユーシィ!」
ラヴェルの大声に瞬間胸が潰れた。でも……これはもちろん想定内だ。いえむしろ……あたしはこの時を待っていた。
花束を右手に持ち替えて、左手をウェスティに伸ばす。ずっと上にあった彼の頬に触れるや、腰を屈めてそれはあたしの少し上まで降りてきた。怖ろしいザイーダの瞳。でも、もう片側は……ラヴェルの髪色の優しいジュエル。
「誓いの……口づけを」
あたしはそう告げて顔を近付けた。それでもウェスティは警戒するように瞳は閉じず、右手の剣も下げられることはなかった。
まもなく触れる唇の距離──その時。あたしの右手はおもむろにブーケを落とした。代わりに手にした物、それは──。
「こんな鈍らで私を殺れるとでも?」
「あっ──」
あたしが手に持ち彼を貫こうとしたそれは、ウェスティの血に染められた左手で押し留められていた。街で購入したこの日の為の『道具』──ブーケに隠れる短めの、ナイフ。
「これくらいは見通していた範囲だ。両親を殺したザイーダを見た君が、私の許へなど来るとは思えなかったからね」
ウェスティは嘲笑うように唇を吊り上げ、ナイフを刃ごと掴んだ手に力を込めた。万事休す、だ……此処からひとまず逃れるにはどうしたらいい!?
「良いことを教えてやろうか? ユーシィ。私は君に拘ったつもりはない。ジュエルが求めたからこそ君を選んだがね。何故私がヴェルから逃げた民を先に狙ったのか、分かるかい? 国外で殺戮がなされれば、ヴェルに残る民はもはや脱出出来ないだろう? 私は網を張らずして、彼らを封じ込めたのだよ。ヴェルへ戻れば幾らでも花嫁を選ぶことは出来る……ふふ、分かったね? 君はもうタランティーナと同じ、用なしってことさ!」
「あ……ああ……」
この時ウェスティは今までで一番、残酷で残忍な悪魔の笑顔を描いた。殺される──心の底から感じられた恐怖が、あたしを芯から痺れさせた。
「ユーシィ! 惑わされるなっ」
ずっと立ち尽くし、沈黙していたラヴェルが急に叫んだ。ウェスティもあたしもハッとそちらへ目を逸らす。ウェスティへソードを突きつけたラヴェルの右眼はいつになく険しかった。
「何っ!?」
同時に隣から困惑の言葉が降り注がれた。ラヴェルからウェスティへと移したあたしの視界には、後ろから回り込んだのだろう、飛び掛かるピータンとアイガーに剣もナイフも手放した、背を丸める長身が映った。その肩先から胸元へ──ラヴェルのソードが真紅の軌跡を描いた!
「ユーシィ!!」
伸ばされた手に手を重ね、すぐさま引き寄せられたラヴェルの胸にすがりつく。いつの間にか首へ巻きつけた黒いマントが包み込み、浮かび上がって二人背後の木の枝に飛び移った。
「無茶しないでくれ!」
「でもっ!」
あたしは……そしてラヴェルは──。
もうお互いを抱える腕を放さなかった。嫌だ、もう……離れたくない!
その想いを湛えた潤んだ瞳が、ラヴェルの二の句を黙らせていた。きっと彼はこう言いたかった筈──「此処でしばらく隠れていて」と。
「君も頑固だね……早くしないとタラも二匹も危ない。これから飛び降りるけど覚悟はいい?」
「うんっ!」
あたしは抱き締める腕に力を込めた。
「行くよ? スティまで辿り着いたらジュエルに祈って。もうそれが唯一のチャンスかも知れない」
「わ、分かった!」
あたしの返事が終わりを告げる前に、ラヴェルはあたしごと地上へ飛び降りていた。着地する寸前に前方に移動し、苦しげな足取りでタラに近付くウェスティの背後へ降り立った。
「「ジュエル!!」」
ラヴェルとあたしの祈りの声が、広い背中に反響した。
「ウル! もう終わりだ……全員死ね!!」
振り向いたウェスティの左眼は焦点が合っていなかった。狂ったような奇怪な嗤い、胸元を押さえた左手は、その手とその胸を裂くように溢れる真っ赤な血潮で染められていた。
「死ぬのは、そっちだ!!」
ラヴェルの怒声にジュエルが反応した! 右眼から発せられる淡い紫の光の波。放射状に広がり、と共に、ウェスティがザイーダのような地獄の呻き声を天へと貫いた。
右手に走る戦慄を何とか落ち着かせ、前へ突き出す!
あたしがずっと放さずにいたナイフとラヴェルのソードは、ウェスティの腹部に埋め込まれた。同時に見える、苦しみの影の先にタラ。左足はもう立つのもやっとだろうに、彼女もレイピアをウェスティの背中に衝き立てていた。その尖端が彼の胸から垣間見えている。そして左脛と右肩先は、それぞれアイガーとピータンに噛みつかれていた。
全員で……やったんだ──。
タラとピータンと、ツパイの想いを抱えたアイガーと……そしてラヴェルと、ラヴェンダー・ジュエル。みんなで──七つの力で。七分の一に分けられた心の痛みは、きっと全ては侵食しない。同じ辛さは分け合えて癒されて、あたし達をきっと一つにしてくれる!
ジュエルの光は朧げになり、瀕死となったウェスティの面差しを顕わにした。
その長身がゆっくりと、左へ倒れ草の上に落ちた──。
○今回のラヴェンダーのみ、作者自身が購入し母に贈った物を撮影した画像です。
鉢植えですが、ブーケ風でしたので*
◆第八章◆とどめを刺すのは、だあれ!? ──完──




