[70]戦闘 〈W&R〉
あたしは匂いを辿るアイガーを追い掛けて、とにかく走りに走った。いつもの格好とは違う上に、髪も纏めていないのでとても走りづらい。それでも今もうもしかしたら、ラヴェルとタラは闘い傷ついているのかも知れない、そう思えばこそ……そんなことなどどうでも良かった。
アイガーの行き先は海とは正反対の山道だった。初めはそれなりに広い道幅だったけれど、進むにつれ細くうねってゆく。袖や裾が草を掠め、徐々に行く手を遮り出した。最後には草を掻き分けながら泳ぐように進んで、その繁みの中でアイガーがふと足を止めた。そして気付く……土と草の焦げた臭い……この先から感じる。
あたしは身を屈め、草叢の切れ目から遠くを望んだ。木々の乱立する隙間に細く長い人影が映った。視界の真正面に横顔を見せる立ち姿のウェスティ。彼の視線の先、三本の幹分離れた距離にはレイピアを構えたタラが相対していて、ラヴェルは──同じ程度の間隔で、ウェスティの背中にソードを向けていた。
周りは小花の咲き誇る美しい森の真中なのに、あちこちの地面から灰色の煙が湧き立っていた。見れば一メートル程の円状に草が燃え燻ぶっている。ウェスティの魔法なのだろうか? 既に二・三十のそんな痕があった。加えて幾つものザイーダの屍骸も。二人はこの攻撃をかわしながら、ウェスティの懐を狙ってきたのだろうか?
ウェスティは攻めの姿勢を見せず、ただ凛と立っていた。以前あたしを迎えに来た時の馬にも乗れる軽装に、髪を後ろで一つに縛っている。その両腕は自然と垂れているように見えたけれど、両手には……二本の細身の剣が握られていた。
「タランティーナ」
今までまるで静止画のようだった風景が、ウェスティのタラを呼ぶ声で動き出した。ラヴェルが剣を構え直し、と同時にウェスティの右手の剣が、身体はタラに向いたまま、ラヴェルの目の前の空間を捉えた。
「君の体力ではそろそろレイピアをあしらうのも難儀だろう? 剣士の君なら、私の『フランべルジェ』を知らない筈はない。この刃に襲われたら……その美しい顔も身体も、一瞬にして醜い物に変わる」
ウェスティの台詞はこの状況をまるで愉しんでいるようだった。そうして左手の剣が依然動かないタラの顔前へと上げられる。両手どちらの剣も刀身が燃える炎のように波打っていて、確かに……あれで切り付けられたら、傷口は見られたものではないだろうと察せられた。
「おあいにくサマ! ワタシだってみすみす餌食になる気なんてないわ」
タラの返した言葉はいつも通り自信に満ちたものだった。けれど……その息遣いはとても荒い。きっと……虚勢を張るのが精一杯なところまで体力を消耗している、それは明らかだった。
「相変わらず口は減らないようだ。今命乞いをすれば、少しは考慮しないでもないのに……まったく愚かな女だよ、君は」
左の剣が更に上がった。ウェスティが一歩タラに近付き、それに伴いラヴェルもまた一歩を進めた。
「ウル……お前は愚かでないなら、これ以上近付かない方が良い。私を仕留める前に、彼女は血まみれになる」
「くっ……」
ラヴェルが悔しそうに声を吐いた。分かっているんだ……ウェスティの言う通りだと。
「ラウル、ウェスティの言葉なんか信じるのはやめなさい! アナタも剣士なら相手を倒すことに集中しなさい!!」
「……」
ラヴェルは何も答えなかった。それはタラが自身を犠牲にするつもりでいるということなの? 三人の立ち位置はもうどうにも動けるとは思えないほど完璧な流れを帯びていて、誰が時を進めてもウェスティに分があるように思われた。
「ウェスティ……アナタこそが愚かだわ。このワタシを手に入れられなかったなんて!」
その流れに一石を投じたのはタラだった。タラは突き出すべきレイピアを左から右に振り抜き、ウェスティの胸元を掠めながら、それを機に後ろへ飛び退って、彼の攻撃範囲から逃れ遠のいた。
「君の色香に溺れて人生を終えるほど、小っぽけな野心ではないのでね……が、まだ逃げられる程の余力を残していたとは──惚れ直したよ」
ニヤリと哂ったウェスティの口元が、おもむろに真一文字に戻る。同時に背後からラヴェルが切りつけ、ウェスティは頭上で両手の剣をクロスし、ラヴェルのソードを受け留めた。
「そんな野心なら、ワタシに溺れた方がマシだわっ!」
タラは肩で息をしつつも吠えた。片手を地面に着き、低い体勢から前方へ飛ぶ。レイピアの切っ先はウェスティの左足を狙い、が、彼は右の剣で依然ラヴェルを支えながら、左の剣でそれを打ち払った。レイピアごとウェスティの左方へ飛ばされたタラは、地面を滑り草を均しながら転がった。
「タラっ!!」
ラヴェルが叫び、ウェスティに今一度振り被った。反転し片手で剣を交え、もう片方の剣がラヴェルに襲い掛かる。彼の両刀が自由な限り、ラヴェルには勝ち目がないのかも知れない。一方を封じても、もう一方が攻め続けては──自身を守るだけで限界なのだ。
「そろそろお遊びは終わりにしようか、ウル。が……先にタランティーナを眠らせてあげよう」
「スティ……!」
タラが動けない今、もはやラヴェルに対抗策は有り得るのか……それでも何とか懐に入り込み、剣先をよけながら、ウェスティに切り込み続けた。静寂の森に刃のぶつかる高い音が響き渡る。けれどラヴェルの攻撃は徐々に弱まり、防御一辺倒になり始めた。彼だってウェスティの魔術を避けてきた疲労が溜まっているのだ。タラと同じように。
「ウェスティ……殺るなら早く殺りなさい」
その時二人の闘いを止めてしまう程の哀しげな声が聞こえた──タラ。
「タラ……?」
「ほう……ついに観念か。君らしくもないが」
「青春を捧げたアナタに、命までも捧げてあげようって言うんじゃない。男冥利に尽きるでショ?」
タラは横倒しの上半身を辛そうにもたげるも、その瞳は未だ誇りという輝きを失ってはいないように思われた。
「タラ! やめろ!!」
剣で行く手を阻まれたままのラヴェルが必死な声を上げた。きっと……タラはラヴェルを好機に導く為、自己を囮にしようとしている……それを感じたのだと気付かされた。
「ウル、彼女との最期を邪魔しないでくれ」
「ぐふっ──」
云うやウェスティの右眼が光った。両手の剣がその光を吸収し、それは波動となってラヴェルを吹き飛ばし、背後の幹へと打ち付けた。背中の衝撃が肺の中の酸素を一気に吐き出させる。
「さて……どうやって命を奪われたい? こうしている間にウルにチャンスを移そうとしているなら無駄な話だ。以前よりは成長したようだが……剣も魔法も私の方が勝っている」
「そうネ。それにラウルは左眼が見えない上に、ミルモに力を使って疲労困憊ヨ。彼にアナタが倒せるなんてはなから思ってないわ」
「ほお? あの毛先の黒みは、単なる趣味かと思ったが」
え──? ウェスティはジュエルの偽りに気付いている!?
やっぱり二度も同じ手に掛かるような簡単な相手ではないのだ……そしてそれを知りながら、あたしがミルモを癒すまで、ウェスティはラヴェルに時間を与えた──それだけの自信と余裕があるということだ。
やっとのことで上半身を起こしたタラは、目の前まで歩み寄った高い位置の面を見上げた。
ウェスティの言葉にも動揺を表わさず、頬に乗せる不敵な微笑み。いや、もう捨て身なのかも知れない。ウェスティはそんな彼女の視線に合わせるように、おもむろに膝を落とした。
「ウルはこれから時間を掛けて八つ裂きにしてやろう。それを君に見せてあげられないのは……残念だがねっ」
「ぅあああああっ!!」
台詞の終焉と共にウェスティの右腕が上下し、タラの左足首にフランベルジェが衝き立てられた。タラの悲鳴が轟き、あたしは咄嗟に草叢から飛び出して、近くの幹の影に隠れた──大丈夫。ウェスティには気付かれてはいない。
「好い声だ……君にも時間を掛けるべきか?」
「……その通りヨ……たっぷり、弄んで……ちょうだい!」
刹那タラの背後から光る何かが現れて、それは地に着いていたウェスティの左手の甲を突き刺した。短剣? タラはこの時を待っていたの!? でもこれで……ウェスティの左手は封じられた!!
「つぅぅ……さすが私を魅了してきただけの女ではあるか。が、そういうことなら──もはやこれで終わりだ!」
「タラぁぁぁ──!!」
呼吸を取り戻したラヴェルが叫んだ。
ダメだ……! 彼じゃ間に合わない!!
再び立ち上がったウェスティの右手が振り上げられる。その足元で達観の微笑を湛えるタラへ向かって、あたしは急ぎ足を踏み出していた──!!




