[7]感知
「いったた……」
慌てて救急箱を持って来たラヴェルに手首を掴まれそうになって、あたしはもう一度噛まれては困るとその手を逃がし、「自分でやるわ」と取り出された消毒液を受け取った。
「ごめん……後でちゃんと叱っておくから」
「いいよ~叱るなんて……あたしがあんたの髪の毛取ろうとしたのが悪いのだし」
「頬に付いてた」と言葉を添えたが、突っ走ってきた間に剥がれ落ちたのだろう、もう其処に髪はなかった。
「ユーシィは優しいね」
絆創膏を差し出しながら、相変わらずのニコニコ顔が微笑む。
違うって……ピータンが叱られちゃったら、あんたからの脅威に対抗出来なくなるからよ。優しいのではなくて、打算的だと言ってほしいわ。
あたしはその顔に苦笑いを返した。
「そろそろ休む? ベッドはあの、後部の壁に埋まっているのがそうだよ」
ラヴェルの指差した先に視線を向ける。確かに船尾方向の壁一面には上下左右に二つずつ、計四つの透明扉があって、内側はカーテンらしき布で目隠しされていた。
「あの中がベッド?」
「そう。カプセル式になっていて、ちょっと狭いけどそれなりに快適だよ。頭から入って、足を扉側にしてくれる?」
「え? 普通足から入るんじゃないの?」
まぁどっちだっていいけど……お願いされる理由なんてあるんだろうか?
するとラヴェルは周りの片付けを済ませ、あたしをその壁へと手招きした。
「これ、緊急時の脱出用カプセルなんだ。パラシュートは奥側に付いているから、扉側に頭を持ってくると、落下時に逆立ち状態になっちゃうんだよ。扉のロックはその横のボタンを足で押してくれればOK。頭側の天井部にシュート用のボタンがあるから、それは脱出する時以外は押さないでね。まぁ一応誤押し予防用の透明アクリルで守られているけど」
「な、なるほど……!」
あたしは感嘆の息を吐きながら、ラヴェルが開いた左下の扉を覗き、カーテンを寄せて頭だけを突っ込んだ。扉の横のロックボタンと、ふかふかの布団のずっと向こうの天井にある、小さなボックスに目を凝らす。あれがきっとシュートボタンなのだろう。寝ぼけて押さないように気を付けなくちゃ。
「で、どのカプセルで眠ればいいの?」
今一度戻って立ち上がる。ラヴェルは「見た其処で大丈夫だよ」と示し、自分はその隣で寝ていることを告げた。うーん……それとも上で寝てみようかな? と好奇心の瞳を上部の二台に向けてみたが、
「ごめんね、上はどっちも物置き状態なんだ」
そっか……残念。
「物置って何が入ってるの?」
特に詮索する気もなかったけれど、そのまま何気なく質問を続けた。ラヴェルは少々苦々しく、
「右側は後で合流するタラの私物。左側は……今日は『二日目』か……明後日にはきっと分かるよ」
タラ? 明後日??
そう言って洗面所に促すラヴェルにうやむやにされてしまったあたしは、心残りを感じながらも歯磨きを済ませ、既に薄暗がりにされたリビングを寝台の方向へ歩いていった。──が、
「あんた、わざわざあたしを待ってたの? 別に先に寝てても良かったのに」
ラヴェルは壁にもたれて腕を組み、静かにこちらを見詰めていた。
「ああ、洗面所待ち? ごめんね、先に使わせてもらって。それじゃおやすみ~」
何だか妖しい雰囲気を感じて、敢えて明るく取り繕った。い、嫌な予感がする……カプセルはロックして眠ろうっと! と扉に手を伸ばし屈んだところ、
「ひやぁっ!」
後ろから長い腕が伸びてきて、あたしを直立させ腰に絡みついた。
「ちょっ、何すんのよっ!!」
案の定ヒュウっと音がして、ピータンがあたしに襲い掛かってくる。なのにラヴェルの抱き留める腕とは逆の手が、それを見事にキャッチしていて……何よ~ピータンもご主人様には敵わないって訳!?
「んー、おやすみのキスでもしようかと思って」
「えぇっ!?」
余りの驚きに固まってしまう。やっぱりこいつは何処か頭のネジが緩んでいるに違いないっ!
「それって契約違反でしょ!? も、もう放してよっ!!」
「ほら、『なかったこと』に出来るから」
こいつ……まさかあの金貨も『なかったこと』にするつもりなんじゃないでしょうね??
「なーんて、ね。さすがに冗談だよ。驚かせてごめん。おやすみ、ユーシィ」
あたしを支えていた掌がスッと離れ、頭のてっぺんをふんわり撫ぜた。拗ね気味のピータンを肩に乗せ、ウィンク一つ、自分のカプセルに潜り込んでしまう。
「んなっ、なっ! なぁっっ!!」
あたしは憤慨して唸り声を上げたけれど、ラヴェルのカプセルの照明が消され、淡い闇のシンとした静寂の中、独り怒りに震える自分がバカらしくなった。それに──
強引な茶目っ気を押し出したラヴェルの瞳が、何処か寂しそうだったからだ……。
──一体何だって言うのよ、もう……。
少しやけ気味にガシガシとカプセルに入りながら、ふと思い出した。そうだ……今も僅かに見えた……あの不自然な違和感のある“揺るがないモノ”。あれは多分、ラヴェルの右眼から感じられていた──。