[68]拒絶 〈T&R〉
その夜は、いつ・どんな方法でウェスティから交信がなされるのか、はたまた突然奇襲が訪れるのではないか? と気が気でないまま、それでも夜半には眠りに落ちていた。明け方の薄明かりが差し込む中、何処からか水の滴る音が響き、ふと瞳を開く。えと……これって……浴室の音かな。昨夜全員湯浴みは済ませた筈なのに、一体誰が使っているのだろう?
あたしはだるそうに半身を起こし、うなじで髪を一つに纏めた。もしウェスティだったら、ザイーダだったら……まぁあたしが気付く前にラヴェル達が気付いているとは思うけれど……近くに立て掛けてあった傘を手に取り、忍び足で暗い廊下を進んだ。
「どうしたの? ユーシィ」
「ひゃっ」
途端ガラりと浴室の引き戸が開いて、出てきたのはラヴェルだった。タオルで髪を掻きながら、キョトンとした眼で見詰めている。あたしは思わず剣の如く構えていた傘を、胸に抱き締めてしまった。
「ちょ、ちょっと何でまた湯浴みなんてしてるのよっ、それもこんな時間に~! ──あれ?」
薄暗がりの中でも気付いてしまった。ラヴェルの髪の先は、出逢った時のように三センチ程が黒く染まっていた。
「あんまり見せたくなかったから、この時間にしたんだけどね……自分が疲労を溜め込んだとジュエルがスティを欺けているのなら、それ相応の芝居をしないとと思って」
「そ、そう……」
お互いの気まずい表情がかち合う。染められた毛先は以前のように闇に溶けていた。
「それじゃ、また眠るから。ユーシィもゆっくり休んで」
──え?
薄く笑んだラヴェルはすぐさま踵を返し自室に戻ろうとした。でもその姿はもう寝着ではなく、普段愛用しているブルーグレーのつなぎを着ていたのだ。ウェスティの急襲にも対応出来るように、との備えとも思えたけれど、あたしの唇は即座に到った考えを言葉にしていた。
「もう……本当はウェスティから呼ばれているのね?」
はたと立ち止まる、ラヴェルの足元。
「どうして……? 何で隠したの!?」
返事のない・振り向かない彼の前まで進んで問い詰めた。黒曜石の義眼が、涙を湛えたように潤んで光った。
「君をこれ以上巻き込みたくないんだ。ユーシィが眠っている間にカタを付けてくる」
いつも微笑を刻んでいるその面が、いつになく真顔になった。
「い、嫌よ……あたしも連れていって!」
「ダメだよ、ユーシィ。これはタラと自分の問題だ」
嫌だ……そんなの。あたしにだって関係はある。あたしの両親だって、ウェスティに殺されたんだ!
第一……もうラヴェルにこれ以上、辛い重荷を背負わせたくない!!
「お願いだから! あたしにだって仇討ちなんだからっ! ちょっと待ってて、すぐ支度するから!!」
「ユーシィ……」
あたしの大声にあたし以外の部屋の扉が開いて、ピータンとアイガーと、そして赤い革のつなぎを着たタラが現れた。
「やぁだ、ラウルったら見つかっちゃったのぉ?」
「……ごめん」
タラは後ろ髪を掻きながら、その手にはもうレイピアが握られていた。
やっぱり嫌だ……タラにもウェスティのとどめなんて刺させたくない!
「ユスリハちゃん。心配しないで大丈夫ヨ。朝食の支度して待ってて~すぐ戻ってくるから!」
「タラ……」
変わらないにこやかな笑顔。でもきっと……その裏には拭い切れない哀しみと苦しみを抱えている。
あたしは部屋に戻ろうと向けていた背を返し、タラにゆっくり近付いた。視線は高い位置にあるタラの微笑みを見上げながら、いきなり両手だけを伸ばしレイピアを奪い取った。
「いやーん! 意表を突くなんて、ユスリハちゃんのイジワル~~~!!」
驚いた声と苦笑いはおどけていたけれど、さすがのタラも慌てたようだった。
「お願い……少しだけ待ってて。あたしが支度をするまでの十分……いえ、五分でいいの」
「ユスリハちゃん~アナタのお陰で三日間たっぷり稽古が出来たの。ラウルも立派な剣士に昇格したんだから! 気にしないでココに居てちょうだい」
タラは調子を崩さずにいたけれど、その眼は笑っていなかった。左手を差し伸べて歩み寄るその姿に、あたしは真剣な瞳を向けながら後ずさった。
「ユーシィ」
そんなあたし達を厳しい声色が止めていた──ラヴェルのあたしを呼ぶ声。
「悪いけどこれ以上、君と遊んでいる暇はない」
「遊んでなんかっ──」
「レイピアを返してくれ。それと……しばらく辛抱してて」
ラヴェルは自分の肩に掛けていたタオルの端を手にし、それを揺らしながら何かを唱えた。やがてタオルは長く細く変化して、あたしの胴に巻き付き、エントランスへ引っ張って、真ん中に聳える柱にあたしを括りつけてしまった!
「君の魂胆は分かってる……自分達が危うくなった時、捨て身の盾になるつもりなんでしょ? 昔のタラのように……でもスティだってバカじゃない。もうその手は通用しないよ」
「だけどっ!」
あたしはロープと化したタオルに拘束されながら、柱を背に反論の言葉で食い下がった。だけど……だって……花嫁はあたし独りなのだもの。きっと『その時』に役に立てる筈!
「ピータン、アイガー、君達もじっとしてて」
ラヴェルは次に金網状の傘立てを手に取り、それを数回さすって再び何かを唱えた。徐々に大きくなっていく傘立てはやがてドーム状となり、ピータンとアイガーを覆うケージとなって二匹を囲ってしまった。
「嫌よっ、ほどいて! お願いだから連れていって!!」
自室へロングソードを取りに戻り、エントランスを出ようとするラヴェルの背に、最後の嘆願の叫びを放つ。けれど振り向いたその顔には、もう微笑みなんて形容は有り得なかった。
「君は足手まといなんだよ」
「あ……」
こちらを見詰める揺るがない瞳は、もうあたしを映していない。
「ラウル……」
さすがのタラも、その冷たい言葉に閉口したみたいだった。
「行こう、タラ」
「ウ、ウン~」
「ラっ──」
名前を呼ぶ前に扉は閉じられ、二人の姿は隠されてしまった。
「ラヴェル……ラ、ヴェル……──」
あたしの呼び声は小さく淋しくエントランスに反響した──。




