[66]宝箱 *
それからあたし達は互いの涙を拭いて、おじさんに全てを打ち明け、全員で花摘みの唄を歌いながら沢山のラヴェンダーを摘み採った。
途中上空の強い風が厚い雲を吹き寄せて、ちょうど太陽が顔を出すように丸い空を顕わにしてくれた。其処から注がれた光のカーテンは、まるで真白いオーロラのようだった。
「お姉ちゃん、ママの仕事場へ行こ」
おじさんにお代を払ったのは、片手では少し持て余す程の花束を二つ分だけ。それも「初回サービスだよ」と相場の半額にしてくれた。あたし達は深くお辞儀をしてにこやかに手を振り、反対の手はお互いの手を握って弾む足取りで山を降りた。
ミルモの自宅はお義母さんの両親が手入れをしてくれているらしく、空き家でありながらも小綺麗に片付けられていた。香水作りの作業場も、ミルモが言ったようなラヴェンダーの散乱は既になく、西からの暖かな光が整然とした様子を照らし出している。
「これだけあれば沢山作れるわね」
あたしはおじさんが用意してくれた麻袋から、ラヴェンダーの枝を取り出して、ミルモが難儀そうに抱えてきた平たいザルの上に乗せた。もう花房がかなり落ちていて、袋を逆さにすると、むせぶ程の強い香気が紫色の粒と共に辺りを煙らせた。
「いい香り~!」
「ミルモはラヴェンダーが好きなの?」
ツパイと三人で枝から穂を外しながら、ニコニコ顔のミルモを覗き込んだ。
「うん! だからパパとアタシはラヴェンダー畑を見に行ったの。今日のとこじゃなくて、もっと有名な遠い島。そこでママはあの唄を歌いながらラヴェンダーを摘んでいて、アタシはラヴェンダーの妖精さんが現れたのかと思ったんだ。ママがラヴェンダー色のワンピースを着て、沢山のラヴェンダーを抱えて、あの唄を歌ってたから」
「素敵ね! だからママはこっちに来ても、ラヴェンダー畑を見つけたのね」
「ママはパパとミルモのお家に住んでも、ラヴェンダーが近くにあるから嬉しいって笑ってた。おじいちゃんとおばあちゃんも一緒に引っ越してきて、近くに住んでるんだよ。ココなら香水の仕事が出来るからって……それで約束したの。「アタシにも、いつかね!」ってプレゼント」
「ラヴェンダーの香水ね……」
ミルモは頷きながら押し黙ってしまった。フローラさんはその香水を作る前に襲われてしまったのだろうか?
「元気出して! 香水とはいかないけど、立派な芳香蒸留水を作りましょ! 大きな蒸し器は何処かにあるの?」
あたしは掌を合わせて払い、気持ちを切り替えるように声を張って立ち上がった。ミルモも応えるように口元を引き締めて見上げ、あたしを隣のキッチンへ誘った。指し示された戸棚から大鍋を見つけてコンロに掛け、途中購入した山の天然水を注いだ。
「あ、ツパイ、ありがと」
タイミング良く花粒の山となったザルをツパイが運んできてくれた。蒸し網の上にガーゼを敷き、その上にこんもりと乗せる。更にもう一つの蒸し網を入れて、ボウル状のお皿を置き、最後に逆さにした蓋で密封して火を点けた。
「これで沸騰したら、蓋の上に氷を乗せて……」
蒸気が花の香を含み、天井の蓋に付いたそれが真上の氷に冷やされ、すぐ下のお皿に蒸留水となって溜まるという仕組みなのだ。氷は天然水のお店で買うことが出来た。
一時間以上は掛かる為、蒸留水の方はツパイに任せ、あたしは入浴の準備をして、ミルモを脳天から足の先まで綺麗に洗い上げた。クローゼットから見つけた自分の洋服に着替えたミルモは、もう誰も孤児などと思うことのない可愛いお嬢さんだった。
「もうちょっとで出来そうね。花束を纏めるのにラッピングペーパーやリボンを買ってきましょうか?」
あたしはお代を払った見栄えの良い花穂を視界に入れて、ミルモに問い掛けた。
「ママが香水瓶を包むのに、綺麗な紙を買ってたからきっとあるよ! えっと……確かココに……」
作業場の扉に近い戸棚を開き、引き出しをごそごそと探るミルモ。その手の届かない高さの棚に、空の香水瓶が幾つも並んでいた。芳香蒸留水を入れる為の大きめの瓶を、あたしも探そうと手を伸ばした──その時。
「あっ……た──!!」
手にする前に思わず零れた声が確信していた。右から三つ目の小瓶のすぐ後ろ。薄紫色の液体が注がれている。そしてその瓶の下に敷かれた小さなカードには──
「お誕生日、おめでとう。ママの、大好きな可愛いミルモ。これからも……ずっと、仲良くしてね……沢山の愛を、込めて……フローラママ、より……」
「お、姉……ちゃん? そ……れって──!」
フローラさんはザイーダに襲われる前に、香水を完成させていたんだ!
これが此処に在ったのは、包装紙を選んでいる時に襲われて、慌てて隠したのかも知れない。
あたしのメッセージを読み上げる声は、後半涙に震わされていた。
「ミルモ……ママはちゃんと約束、守ってたのね」
「ママ……──」
愛らしい小瓶とメッセージカードを両手に、あたしはミルモの前にしゃがみ込み手渡した。
受け取る小さな手も微かに震えている。あたしはその手から香水瓶が落ちないように、彼女の手の甲を包み込んで、涙で濡れた笑顔を向けた。
それから再び沢山泣いたミルモは、もう一度顔を洗い、花束を抱え、小さなペーパーバッグに入れられた芳香蒸留水と香水を右腕にぶら下げて、あたし達の見送りに元気な笑顔で手を振った。
祖父母の温かな微笑みと抱擁と、柔らかな光溢れる部屋の灯り。その優しさに包まれていく小さな背と、芳しいラヴェンダーの薫りに満たされながら、あたし達も心躍る気持ちで帰路に着いた──。
■香水瓶
2011年、チュニジアで購入した物です。
◆第七章◆消えた理由を、どうやって!? ──完──




