[64]花唄 *
ツパイとあたしはラヴェンダーの花々が見渡せる、とっておきの場所を見つけ腰を下ろした。
「ちょっと早かったかな……おじさん、まだ来ていないみたい」
雲が依然立ち込めている為、ラヴェンダーは濃い紫色に見えた。風がないので芳香も微かだ。
「ユスリハがミルモに拘るのは、同じ【薫りの民】の義娘だから。だけではないのでしょう?」
つと横に座るツパイを見る。彼女の面もこちらを見上げていた。口角はやんわりと上がっていて、仄かに微笑んでいるように見えた。
「うん……テイルさんの所で思ったの。嘘の未来で元気にするよりも、本当の過去を知って受け入れて自分の一部にして、先に進むべきだって」
「……それをラヴェルに知ってほしい。そう思ったのではないですか?」
ツパイは何でもお見通しね。あたしは弱々しい笑みを見せて頷いた。
「大丈夫ですよ。ユスリハの想いは、もうラヴェルに届いていると思います」
「え?」
今一度顔を突き合わせる。ツパイは数秒それに付き合ったけれど、まもなく正面を向き、ラヴェンダーと空の境界へ鼻先を合わせ、あたしはその横顔を覗き込んだ。
「貴女がこの旅で幾つかの成長を遂げたように、ラヴェルもまた人としての階段を昇りました。貴女がミルモを任せてほしいと言った時、彼は貴女の気持ちが分かったからこそ、それを受け入れたのだと思います。──ですから。どうか自信を持ってください。貴女の心からの言葉には、ちゃんと力が込められているのですよ」
「力……」
ふと胸が熱くなった。あたしの心からの言葉。それがミルモにも届くだろうか?
それからしばらくツパイとあたしは吹き始めた風を受け流しながら、そよぐ紫色の波と薫りを心から楽しんでいた。
「ユスリハはミルモに話していなかったのですね……」
「ん? 何を?」
突然開かれたツパイの口元と、そこから現れた言葉に首を傾げる。強くなってきた風が一瞬ツパイの伏せた瞼をちらつかせた気がした。
「貴女のご両親が既に亡くなっていることをです」
「ああ……そのこと」
少し照れ臭く思いながら、目の前の両膝を抱え込んだ。足先に視線を落とし、ゆっくりと告げた。
「そんなことで同情票を得てもなぁって……それにあたしには祖父が居たから。独りぼっちになってしまった訳ではなかったから……」
「そうですか……」
そこで斜め下から昨日のおじさんの呼び声が聞こえてきた。あたしは立ち上がり大きく腕を振って、ツパイを連れ立ちおじさんの許へ駆けていった。
「やあやあ遅れて悪かったね。おや、今日はワンちゃんの代わりに弟クンかい?」
「ツパイと申します、おじさん。今日はお世話になります」
おじさんの言葉に慌てて訂正しようと開けた口元から、声が出る前にツパイはそれを受け入れた挨拶をした。……いいんだ? ──『弟』のまんまで。
「それじゃあ、籠は此処へ置いておくよ。鎌と切り鋏は扱い易い方を使っておくれ。悪いが摘んだ花は後で見せてくれるかい? 売り物として出せる物だけお代を頂くってことで……それ以外は約束通りタダであげるよ」
「ありがとうございます! おじさん」
あたしは早速籠を背負い道具を手にして、ツパイと共に木々の間を走る通路へと入っていった。まだまだどれも沢山の房を付けている。薫りもとても豊潤で、まるで紫色の靄の中を彷徨っているようだった。
「三家系の乙女には共通の唄があるのをご存知ですか?」
「唄?」
後ろからツパイが問い掛けて、あたしは歩みを止め振り返った。
「花摘みの唄です。ラヴェンダーを摘む時には必ずそれを歌うのが習わしなのですよ」
「花摘みの唄……」
するとツパイが面映ゆそうに小さく歌い出した。やがてそれは、いつもの抑揚のない言葉遣いからは想像出来ない、朗々とした歌声になった。
麗しき 乙女よ 彼の花を 手になさい
その彩と その薫り 癒しの 力を
「あっ……!」
「思い出しましたか?」
「う、うん……」
そうだ……うちの傍には花畑がなかったから、母さんは殆ど街の花市場で材料を買っていた。でも数回だけど花畑に仕入れに行ったことがある。それはラヴェンダーだっただろうか? 確かにその唄を歌っていた!
「続き、分かるわ……こうでしょ?
揺れる 紫は 彼の なびく髪
その手 いつか取って 微笑み 返すの
……よね?」
「そうです」
ツパイの唇がニッコリと微笑んだ。あたしも応える。そう……ラヴェンダー色の髪の彼──ラヴェル。
あたし達はもう一度初めから口ずさんで、数束のラヴェンダーを摘んでいった。
麗しき 乙女よ 彼の花を 手になさい
その彩と その薫り 癒しの 力を
揺れる 紫は 彼の なびく髪
その手 いつか取って 微笑み 返すの
「「その唄は……!!」」
──え?
あたし達の唄を聞いた二つの影が驚きの声を上げ、あたし達は手を止め、身を起こし振り向いた。
其処には──
「おじさん? ……あっ……ミルモ!?」
眼を見開き固まったおじさんと、その向こうにアイガーを連れたミルモが、同じような表情で立ち尽くしていた──。




