[63]憤怒
「おはよー、ツパイ」
ロガールさんのお宅で目覚めた朝の真逆だ。あたしの呼ぶ声に向けておもむろに寝返りを打つ。相変わらず瞳を見せないツパイの表情は、それでも驚いたみたいだった。
「ユ、ユスリハ……お、おはようございます?」
ツパイは慌てて布団から這い出し、
「なかなか良いコテージですね」
首を左右にぐるりと巡らせ、部屋の様子に口角を上げた。
「うん、とっても快適よ。で……そろそろ起きられますか? 朝食もまもなく出来ますよ」
と、あたしはツパイの口調でウィンクしてみせた。ツパイは珍しく吹き出し、あたしもそれに吊られて笑顔になった。
「どうですか? ラヴェルの調子は?」
ツパイは寄ってきたアイガーの頭を撫でた。「アイガーから全て聞いています」と言い、こちらへ顔を戻す。一番にラヴェルを心配してきたのは、王宮で彼の許、仕事をしていたからだろうか?
「んーあたしも日中は出ていたから、剣術の方は良く分からないけど。準備は整いつつあるんじゃないかな。料理や掃除は分担してやってるわ。昨夜はタラがラムのハーブ焼きとサーモンのキッシュを作ってくれて、すっごく美味しかった!」
「それは僕も食べたかったですね。ラヴェルも楽しんでいるのなら何よりです」
後半の台詞には何か引っ掛かるものがあった。ツパイはラヴェルの何に安堵したのだろう?
「ではユスリハ、着替えて顔を洗ったらリビングへ参ります。そして今日は貴女のお供を致しますよ」
さすがね。あたしは微かに苦笑しながら、それでもツパイという助け舟に、心強さを又一つ得た気がした。
「ありがとう、ツパイ。助かるわ」
着替えに手を伸ばすツパイに背を向け、あたしは部屋を後にした。
★ ★ ★
それから三日振りの全員揃った朝食を済ませ、三日目となるミルモの居場所へ足を進めた。今日はこんもりとした雲が空を埋め尽くし、お陰で少し空気が優しい。それでも自己主張の強い太陽が恋しかった。あのラヴェンダー畑には、山陰から注ぐヴェールのような光のドレープが、きっとお似合いだろうと思っていた。
「此処なの。ちょっと待っててね」
ツパイとアイガーを残して、忍び足で建物の隙間に身体を滑り込ませる。先に広がった中庭の視界はいつになく暗く、目を凝らしてみてもミルモの姿は見当たらなかった。
「こんにちは。君がミルモですね? 僕はツパイ。このアイガーの飼い主です」
と、キョロキョロと落ち着かないあたしの後ろで、ツパイの挨拶が聞こえた──って……ん? ミルモ!?
「毎日良く飽きないわね~そんなに暇なの? だったら早く次の街へ行けばいいのに」
昨日の少し馴染んだ感覚は消えていた。またふりだしに後戻り、か……いや、もっと分が悪そうだ。言葉の棘が胸に痛い。
「ミルモはアイガーが好きだと聞きました。これから少々お付き合い願えませんか?」
「……? あんたって何歳? こっちの人は飼い主じゃなかったのね。別にどっちでもいいけど」
こっちの人って言われた~……仕方がないけどやっぱり辛い……。
「ユスリハもまた僕の家族ですから、アイガーの飼い主と言えますよ。ああ、ちなみに僕の外見は十歳程度です」
「外見??」
ツパイのへこたれない淡々とした返しに、ミルモはペースを乱されていた。これならもしかしたら心近寄れるかも?
「とにかく……アタシ、あの小島だったら行かないわよ。行くんだったらもうココには来ないでっ」
「ミルモ……」
あたしはつい名を呼びながら立ち尽くしてしまった。こんなことじゃダメだ……こんなことじゃ……。
両拳を握って顔を赤くしたミルモは、くるりとあたし達へ背を向けた。その肩は怒っていて、何物をも受け入れる余地はなかった。やがて一歩を踏み出し遠ざかろうとする。
「ミルモっ!」
それでもあたしの叫びに何とか彼女は足を止めた。少しだけ戻される視線。でもそれはまだ憎しみを帯びている。
「ミルモ……お願い、あたしの話を聞いてほしいの。あたし……少なからずあなたのお父さんとお義母さんが居なくなった理由を知っているわ。お義母さんがあなたを捨てて、お父さんと去ったのではないことを、ミルモにちゃんと分かってもらいたいの」
「ウソ……ウソばっかり! あんた、あの女の仲間だったの!? どうりでおんなじ匂いがすると思ったっ! ……あの女に頼まれたの? アタシをダマして、やっぱりどこかに売ろうとしてるの!?」
「ちがっ──」
「あんたなんか、自分のパパとママのところでぬくぬくしてればいいじゃないっ! アタシは誰も頼らない……! アタシは独りでもちゃんと生きていくんだからっ!!」
途端駆け出す小さな影。あたしは無意識にその後を追いかけていた。近付いた後ろ姿に最後のお願いを投げかけた。
「ミルモっ、聞いて! あたし、あの島の……ラヴェンダー畑で待ってるから! ずっと待ってるから!! お願いだから必ず来てね!!」
それでもミルモの駆け足は止まらなかった。
「アイガー、付いてあげてください」
ツパイはアイガーの背中を撫で、アイガーは一吠えミルモを追った。
「ごめん、ツパイ……やっぱりあたしじゃダメなのかな……」
とぼとぼともう一つの小さな影の許へ戻り、意気消沈とばかり頭を垂れる。
「ユスリハらしくないですね。まだ勝機はあると思いますよ。アイガーを信じて、僕達はラヴェンダー畑で待ちましょう」
「そ、だよね……」
あたしは薄く笑んで振り返った。ミルモとアイガーの消えた街角へ、瞳の焦点を合わせ息を吐いた──。




