[61]誘導
翌朝。あたしは大きく深呼吸をした。昨日のリベンジを果たしたい! 今日こそはミルモと心繋がりたい!! どうしたら出来るのかなんて全く分からないけれど、とにかくやってみるのみだ。エントランスの扉を勢い良く開いて、刺すような太陽光にも負けず外へ出た。
「行くよ! アイガー!!」
後ろに続くアイガーですら、たじろぐ程の大声を上げていた。ちょっと力み過ぎただろうか? あたしはもう一度深呼吸をして、そっとアイガーの頭を撫で、「ごめん」と笑い駆け出した。
引っ張られるようにして走り始めたアイガーが、途端一気にあたしを追い越してゆく。さすがは牧羊犬だ。下り坂であることも手伝って、見る見る内に白黒の身体は点になった。
「ア、アイガー~速いって~~」
北西の砦で待っていてくれたアイガーは、あたしが追いついたのを認めて再び走り出した。まさかミルモの許まで走っていくつもりなの!?
「ふぁっ……つ、辛い……」
それでも結局最後まで、アイガーを追い掛け走り抜いてしまった。中庭の手前で膝に両手を突き、肩で息をして整えている間に、頭の向こうから人の気配を感じた。
「ねぇ……アタシになんか用があるの?」
「へぇ?」
まだ息が上がったままのあたしは、つい変な返事をしてしまった。視界に小さな汚れた靴先が入り、見上げれば昨日と同じ、アイガーにじゃれつかれる不機嫌そうなミルモが居た。
「ご、ごめんね……アイガー、ミルモのこと……本当に気に入っちゃったみたいで……あー疲れたっ」
何とか起こした身で息切らし答えた。
「ふーん。変な犬と変な飼い主ね。あっちに水飲み場があるから少し飲めば? アイガー、一緒に行こ」
「あ……」
ミルモがアイガーの名前を呼んでくれた!
あたしは慌てて一人と一匹の後を追った。
背の高い噴水のような水飲み場は、上下二ヶ所から水が注いでいる。アイガーは下の出口の溜まり場から、あたしは上の出口から手で掬い、しばらく無言で飲み進めた。
「ありがとう、ミルモ」
夢中で飲み続けるアイガーの横で、その様子を穏やかに見詰めるミルモ。煉瓦の仕切りに腰掛けた小さな姿に、あたしは一息ついてお礼を言った。
「それでー? 昨日みたいに、アイガーを走らせられる場所を案内しろって? もう十分走ったみたいだけど?」
なかなか棘のある質問だけど、言葉数は明らかに多くなって、昨日程の警戒心はないように思えた。
その言葉に笑ったあたしも、アイガーを挟んで仕切りに座る。
「ううん……昨日帰りにお土産屋さんの店先で、ラヴェンダーの産地だって知ったの。まだ何とか咲いているみたいだから、一緒に行ってみないかなぁって」
特に決めていた台詞ではなかったものの、不思議と口を突いて出ていた。
「ラヴェンダー……」
ふいに曇りうな垂れるミルモの面。やっぱり……きっとお義母さんは、それで香水を作ってたんだ。
「いやっ、ラヴェンダーなんて……大っ嫌い!」
「ミルモ……」
あたしはその言葉に、あたしを含むヴェルの民全てが拒絶された気持ちがした。そしてその代表──ラヴェル。
「パパは……そのラヴェンダーの所為で居なくなったんだ! ずっと優しいママの振りしてたあの女にっ、パパは……パパは連れていかれちゃった──!!」
頭を抱えて顔を隠すミルモは、小さく小さく身体を屈めて、自分の殻に閉じ籠もろうとして見えた。
「ね……ミルモ。本当に絶対にそうなのかな……?」
「え?」
あたしは咄嗟に上げられたミルモの瞳に、膝を抱えて微笑みかけた。
「だってそのママはずっと優しかったんでしょ? 今あなたは言ったもの。『ずっと優しいママ』だって。ミルモがそう思ってるから、きっとその言葉が出たんだよ。そんなママがあなたを置いて、パパと一緒に出ていくと思う? 本当は違う理由があるんじゃないかな?」
「……違う理由って?」
ザイーダに殺されたから──真実を伝えたい。でも……それは時期尚早に思われた。あたしは言葉を呑み込むように、喉元の唾を呑み込んだ。
「そ、それを探しに行ってみない? ラヴェンダー畑へ。何か手掛かりが見つかるかも知れない」
「……」
ミルモは困ったように再び俯いてしまった。あともう一押しなんだろうか? その殻を破れたら、ミルモのピースは手の内に入る?
「ア、アタシ、やっぱり行かない!」
あたしの焦りが伝播してしまったのかも知れない。
ミルモは急に立ち上がり、背を向け走り去ってしまった。
今回はあたしのミルモを呼ぶ声も、アイガーの慰める啼き声も、届くどころか口から出てくる隙も与えてはもらえなかった──。




