[59]糸口 *
「ファースト・コンタクトは失敗かぁ……」
あたしは街の中央の大きな教会入口で、大理石の円柱にもたれ溜息をついた。
痛い程の太陽が真上に昇り、それから逃れるように日陰を見つけて早十五分。水飲み場から掬った水をドライフルーツの空いた袋に入れてやり、アイガーはヘの字顔のあたしの隣で、それを美味しそうに舐めていた。
「どうやって誤解を解こう……」
まさかミルモが両親をそんな風に思っているなんて予想もしなかった。ミルモのお父さんはどれくらい前に【薫りの民】の奥さんと知り合い再婚されたのだろう? ミルモは義理の母親となった彼女と仲良く出来ていなかったのだろうか?
「とりあえず……明日また挑戦しよ」
飲み終えたアイガーの視線を感じ、あたしは気落ちして重くなった身体を何とか起こした。もうランチタイムは過ぎているけど空腹は感じない。とぼとぼと歩きながら必要な『道具』を探す為、観光客でごった返す人ごみの中を歩き始める。あの昨夜取りに戻った『忘れ物』と共に必要な道具だ。
「アイガー、此処でちょっと待ってて」
あたしは大通りの角にお目当ての店を見つけて独り入っていった。どのお店も小じんまりとしているが、そこそこの品揃えがある。幾つかを手に取り感触を確かめ、しっくりきた物を一つ購入した。
それから数軒先のウィンドウに、もう一つ買おうと思っていた物が垣間見えて足を止めた。……どうしようかな、と迷いながらも再び入店する。──ピンク・グレーの染髪剤。街に着いたら戻したいとラヴェルには言ったけど……ミルモを想えば、こんな明るい髪色にする気にはなれなかった。
全てが成功した時、お祝いに染め直そう。
その時の為に──そう決めて、あたしは握り締めた髪染め粉も所望した。
その後も何の気なしにブラブラと店先を覗きながら、コテージの方向へ足を進めてゆく。観光地なのでとにかく土産店が多い。手刺繍の美しい壁掛けや木彫りの食器、銀細工。どれも購買欲をそそるけれど、その度にミルモの拒絶の眼差しがチラついた。
「あ……これ、ラヴェンダー?」
入口横の背の高い木枝に、幾つもぶら下がった可愛い布袋を見て、アイガーも顔を上げその香りに鼻を寄せた。ラヴェンダーのサシェ。この辺の特産だろうか?
「お嬢さん、お一ついかが?」
鮮やかな民族衣装を纏った中年女性の店主に声を掛けられた。目の前の一つを枝から抜き、あたしの掌に乗せてくれた。
「ラヴェンダー、近くに咲いてるんですか?」
渡された物は小さな花柄で鳥の形をしていた。顔を近付ければ、独特で爽やかなハーブの香りが漂う。
「ええ、この街の向こう、東の砦から二キロ程先の小島に群生地があってね。まだギリギリ咲いているかしら。橋が掛かって船に乗らずとも行けるから、一度行ってみるといいよ」
ラヴェンダー畑の小島──あたしはハッと店主からサシェに眼を向けた。【薫りの民】であるミルモのお義母さんは、其処で香水を作っていたのかも知れない。
「あ、ありがとうございます! 行ってみます! あの、これ下さい」
あたしは手の中の小鳥を差し出し、一つ光明を得られた気持ちと共に、そのサシェを手に入れた。
★ ★ ★
夕食用に数種の魚介を買い求めて、一番暑い時間にコテージへ戻った。
リビングにも前の庭にも誰も居ない。きっと練習を終えて、この活動しにくい時間帯は休むことにしたのだろう。エントランス左右のタラとラヴェルの部屋は、どちらも扉が閉じられていた。
キッチンで貝を洗い、とりあえず砂抜きの為に水に浸した。あたしも少し休もうか? お礼を言いながら見下ろしたアイガーも気付いたのだろう、頷くように首を振り、ツパイの部屋へと戻っていった。
「ミルモの誤解って……」
自室のベッドに横になり、小鳥のサシェを顔の上にぶら下げた。匂い立つラヴェンダーの香り。こんなに心穏やかにしてくれるのに……あの『炎』を思い出したら、また胸が痛み出してしまう。
それからしばらく悶々と考えている内に、いつの間にかうたた寝を始めていた。ミルモのパズルはどうしたら解けるだろう? ピースは何処に隠されているのだろう? 【薫りの民】──余り覚えていないけれど、あたしの母さんもラヴェンダーの香水を作っていただろうか? 母さんの香水はどの色も綺麗で、どの香りも芳しかった。父さんはそれを誇らしげに街へ売りに行った。時々一緒について行った大きな市場で、二人はあたしに美味しいフルーツやお菓子を買ってくれた……父さん、母さん……あたしは──!?
=コン、コン=
その時ノックの音が響き、あたしはふと目を覚ました。あれ……やだな……涙が流れている。
「ユーシィ、帰ってたんだね。……大丈夫?」
顔をゴシゴシと擦り、普段の調子を心掛けて扉を開く。目の前に現れたラヴェルの「大丈夫?」は何に対してだったのかしら? ミルモのこと? あたしのこと? いや「今、時間大丈夫?」との問い掛けかも知れない。
「うん、大丈夫だよ。ウロウロしてきたら少し疲れたのかも、ちょっと寝ちゃってた」
いつになくにこやかな返答をしてみせたのは、『大丈夫でない部分』を隠す為だったのだろうか。自分でも分からなかった。
「シーフード買ってきてくれたんだね。夕食は何?」
「? あんた、そんなこと訊きに来たの? 一応イカ墨と貝のリゾットのつもりだけど」
言って愕然とした。あたしも依然ラヴェルを「あんた」と呼んでいる……何て酷い呼び方だ。
「いいね。じゃ、楽しみにしてるから」
「え? あ、あのっ」
ラヴェルがニッコリ笑って踵を返したので、あたしは思わず引き留めていた。きっとミルモとの初接触を心配して来てくれたのだと、敢えて訊かずに戻ろうとしているのだと気付かされた。
彼はあたしの声に立ち止まり、今一度振り返った。でも、どうしよ……ミルモのことは言いたくないし、一体何を話せばいいのよ!?
「ユーシィ」
困って俯いた左頬が、刹那ラヴェルの右手で包まれ上げられる。視界は彼の足先から真剣な表情に変えられて──
「全てが終わったら……もう一度、キスしてもいい?」
──え!?
あたしは声も出せないまま、しばし固まってしまっていた──。
■円柱のある教会
■手刺繍
■銀細工
■民族衣装
※以降は2015~16年に連載していた際の後書きです。
毎度シャシャリ出てきまして恐れ入ります(汗)。
いつもお付き合いを誠に有難うございます!
五十一話より挿入してきましたクロアチアの写真もこちらで最後となりました。
観光名所・街の景観・名物料理や名産品・民族衣装など、それなりに網羅してご紹介出来たかと思います。
所によっては文章をお読みいただくに当たり、むしろ邪魔になってしまった箇所もあるかも知れませんが、作品と共に画像もお楽しみいただけましたなら幸いでございます*
今後はもうラヴェンダーの画像程度になりますが、物語はまだあと十八話、そして相変わらず薄ぼけたイラストも挿入予定でございます(苦笑)。
引き続きユスリハとラヴェルの恋や未来の行く末をお楽しみに、最後まで見届けていただけたらと願います*
朧 月夜 拝




