[56]場所 〈Y&R〉+*
街の大通りは東西に延びていて、ラヴェルは途中北方向へ曲がり、狭い路地の階段を登っていった。街灯にはその下にある店の売り物が、看板代わりに描かれている。もうそれなりに遅い時間なのに、まだまだ店もテラスも盛況だった。
進んだ先には日中見掛けた北門が聳え、その下をくぐり坂道を上がればゴンドラ乗り場だった。さすがに昼間の勢いはないが、それなりに人は行き来している。けれどその殆どがカップルで、少々目のやり場に困るようなお熱い状況も多々見受けられた。
そんな目に毒な視界を眼下へ向ける。滑らかに上昇するゴンドラが、街の明かりからどんどん離れてゆく。次第に黒々とした海と云う闇の世界に、卵型に煌めく街が浮かび上がった。
「少し眺めていく?」
丘に辿り着くまでの短い時間ですら、惜しむように美しい夜景に見とれてしまった。きっとそれに気付いたラヴェルは、あたしを慮ってくれたのだろう。お互い飛行船から必要な荷を取り、あとは帰るだけとなったところで、ふと足を止め問い掛けてくれた。
「う……ん」
タラがからかってくれたお陰で、ちょっと同意するのに躊躇してしまった。そうでなくとも乗り場横の展望スペースは、愛を語り合う恋人達で溢れているのだ。
「あ、空いた。行こう?」
「……うん」
フェンス越しの一組が去っていくのを見つけたラヴェルは、埋まる前にとあたしを急いで連れ立った。
海から吹き上がる風が心地良い。降りてゆくゴンドラの向こうに再び光を集めた街が見えた。ずっと彼方に点々と並ぶ灯りは船だろうか。もしかしたら飛行船かも知れない。
「凄い……綺麗だね」
あたしは眩しい程の夜景を目に焼きつけながら、独り言のように呟いた。こんなに美しいのに……でもその中には幸せな人と不幸な人がいる。
「凄い……綺麗だと思う」
左上からゆっくりと落ちてくる返事に、何気なく視線を合わせた。いや……合うのはおかしいでしょう。その言葉と共にある瞳の行き先は、夜景じゃなくあたしって──。
気付かなかった振りをして、頬が熱くなった顔をおもむろに戻した。そう言えば……初めの頃は平気で「恋してる」って言われたっけ。冗談だろうと聞き流したけれど、今のラヴェルはあたしをどう思っているのだろう? そして今のあたしは……どう思っているの? 今なら──彼が何かを言えば、あたしはそれを受け入れられるのだろうか?
「自分は……ユーシィに好かれることなんて、きっとないから」
刹那思い出された台詞に、心の奥底がズキンと痛んだ。あの時は驚いただけだったけど……この辛い痛みは何だろう?
あいつはあたしに触れる資格なんてないとも言った。資格──あたしの両親が殺されるきっかけを作ってしまったから……でもそんなの、十一歳の彼には予測出来る筈のない未来だった。あたし自身、ラヴェルに責はないと告げた今は──彼の中で何かが変わっただろうか? 強情な彼を変えることは出来ただろうか?
「風向きが変わった……ユーシィ、そろそろ行こう」
ぼぉっと光の渦を見詰めていた横顔へ、ラヴェルはその台詞と共に身体を九十度回転させた。もう行っちゃうのか……望む時間は短く感じるものね。
「あ、あの……っ」
更に続けて九十度回転した彼の背中へ、瞬間声を掛けていた。振り返るラヴェル。いつものうっすらとした優しい微笑み。
「あたし……一つお願いがあるのだけど」
「お願い?」
真剣な瞳にちゃんと聞かなければと、あいつはあたしの隣へ戻った。
「あたしに……ミルモを任せてもらえない?」
「……」
言葉がないまま驚きの表情が返される。これが夕食の途中、あたしが一生懸命考えた事柄の一つだった。そしてもう一つが、此処まで取りにきた“忘れ物”。
「ありがとう、ユーシィ。でも──」
「あんたを疲れさせたくないのもあるけどっ。……ちゃんと真実を伝えて、ジュエルじゃない力で……人としての思いやりで彼女を立ち直らせたいの! 少し時間が掛かるかも知れない。でも──」
「いいよ」
「え?」
お互いにお互いの二の句を止めた後で、ラヴェルはニッコリ笑ってあたしの願いを受け入れてくれた。
「そんな風に考えてくれてるなんて知らなかった。ありがとう……とても助かるし……とても嬉しい。時間は気にしなくて大丈夫だよ。その分こちらは剣の技術を磨けるのだから。ミルモのこと、宜しく」
「うん! うん!!」
思わず抱きついてしまいたくなるくらい嬉しかった。あたしにも出来る! 役に立てる!!
「じゃ、風向きが戻らない内に帰ろう。ユーシィ、悪いのだけど帰りのゴンドラは独りで乗ってくれる?」
「……え?」
さっきから風向き風向きって何だろう? それにどうしてあたし独りで??
「持ってる物が持ってる物だから。ゴンドラ内で見つかって没収されても困るんでね」
ラヴェルが取りに戻ったのは、布で覆われた二本の長い──タラとラヴェルの剣だった。
「じゃ、じゃあ、あんたはどうやって帰るのよ? 歩いて丘を降りる気?」
丘と言うより山と言える程の高さだ。暗闇の中、一時間以上は掛かるに違いない。
「いや、飛んで帰るよ。もちろんユーシィのゴンドラが降りきる前に、乗り場に着いて待ってるから」
「うん……」
たった十分足らずの移動の間なのに、独りにされるのが淋しく思えた。ダメだな……明日からは単独行動するつもりなのに。
そんな落ちてゆく気持ちを察したのだろうか、ラヴェルが今一度問い掛けた。
「それとも一緒に飛んでいく? この風なら二人でも問題ないし、コテージまで直接戻れると思う。ただ……また抱き締めることになるけど」
差し出された提案にハッと顔を上げていた。が、最後の言葉で明るく返そうと思っていた返事は、正直に喜びを表して良いのか分からなくなって、ふと歪んだ面持ちになった。
「べ、別に……気にしないわよ。今まで散々抱き締めてきたくせに、どうして今更そんなとこ気遣うの? あ、あたしはもう一度空を飛んでみたいだけだしっ」
「……そ?」
「そうよっ!!」
耳の先の赤みが頬まで到達した気がして、あたしは途端踵を返し歩き出した。「ユーシィ、こっちだよ」呼ばれ慌ててあいつの背中に駆け寄る。ラヴェルは乗り場の向こうの崖っぷちに屹立し、剣を入れた袋が背中側に回るよう肩掛けした。それからいつもの黒いマントを鮮やかに纏う。
風は完全に丘の後ろから海へ向け下方に強く流れていた。一つに結われたあたしの髪が、頬を撫でながら揺れた。
「大丈夫そうだね。では……失礼、プリンセス」
言いながら相対したあいつは、心の準備が出来ないままのあたしをお姫様抱っこした。
「念の為に両手を首に回してくれる? ──うん、ありがと。じゃあ、行くよ? ユーシィ」
「う……うん」
ラヴェルがたった一歩を前進した。急に重力の衝撃に晒されて、グッと瞼を瞑ってしまう。それがふわりと風に包まれ──。
「ほら……コテージが見えるよ」
あたしは強く握り締めていた彼のうなじの両手を和らげた。光の街へ真っ直ぐ降りていったと思うや、弧を描くように右へ旋回する。笑顔のラヴェルと笑顔を取り戻したあたしは、明かりの点いた温かな『我が家』へと、吸い寄せられるように流れていった──。
◆第六章◆頼ってばかりはいられない!? ──完──
■狭い路地
■看板代わりの街灯
■ライトアップされた城壁
■丘からの夜景




