[54]孤児 *
ラヴェルは日暮れる海を右側に進みながら、左下の城壁内側をチラチラと気にしていた。あたしもその後を追い掛けつつ、何を探しているのだろうと眼下に目を向ける。南東のカーブ、小さな島々の景色を楽しめるよう望遠鏡の設置された広場の手前で、ラヴェルは急に足を止め、あたしはその背中に顔を突っ伏してしまった。
「ご、ごめんっ」
「いや……いきなり止まったのは自分だから、ごめんね。この真下……小さな女の子、見える?」
「え……?」
その言葉であたしは壁に寄り添い、少し身を乗り出して、城壁が作る広い陰の中に、膝を抱える少女を見つけた。
「ジュエルの最後の救出者──名前はミルモ、六歳。君と同じ【薫りの民】の子だよ」
「あたしと……」
真上からでは良く分からないけれど、じっと動かない彼女は全てから隔絶されて、ただ独り時が過ぎゆくのを待っているみたいだった。
「彼女の母親が【薫りの民】だった。ザイーダに襲われた時にご主人も一緒に居て、共に攫われて殺害された。ミルモは友達の所へ遊びに行っていて無事だったらしい」
「あ……でも、それならあの子も標的に入るでしょ? それともあたしみたいにウェスティの花嫁候補に選ばれたの!?」
そうよ……いつか子を産める歳になれば、彼女もウェスティの花嫁か脅威の対象、どちらかになり得る筈。
「実はあの子は父親の連れ子で、実質【薫りの民】の血を継いでいないんだ。二度とスティに狙われることはないから安心して」
「そ、そうなんだ……良かった」
ホッと一息安堵の空気を吐き出したあたしを、ラヴェルは柔らかく見詰めていた。
「明日からしばらく午前はタラと剣術の練習、午後は此処を訪れてミルモと接触を図るから、自分が必要な時は此処へ来て。もちろんアイガーに語り掛けても、ピータンを通して想いは伝わるから、それでも十分大丈夫だよ」
「……」
当たり前のようにこれからを語るラヴェルに対して、あたしは何も言葉にならなかった。どうしよう……ラヴェルがミルモの哀しみを癒せば、その苦しみはウェスティの思う壺になる。
「こ……此処が彼女の家なの?」
見える景色は縦に長い幾つかの民家で、彼女が身を縮込ませる草地は、その共同中庭のようだった。
「ううん、ミルモの家は街のもっと内側に在る。でもそちらには帰らずに……この辺りは孤児の溜まり場なんだ」
「溜まり場……」
観光客が沢山訪れ、沢山のお金が落とされる煌びやかな街。なのに見えない片隅には、そんな恩恵に与れない弱者が身を寄せひしめき合っている。まるでウェスティの美しい外見と醜い内面を模したような、裏腹な二面を手にした世界……。
「ごめん、辛い気持ちにさせて。でもこれ以上、何かを内緒にしておくのもユーシィに悪いから……」
後ろ上方より遠慮がちに差し伸べられた想いが、あたしにハッと顔を上げさせた。何をしてるんだ……あたしはもう、ラヴェルに淋しい顔を見せないって決めたのに!
「ううんっ、こっちこそごめん! 大丈夫だよ、それより正直に話してくれてありがとう」
あたしは気持ちを切り替えながら、薄い笑みを面に乗せて振り返った。
「じゃあ……今日のところはこれで戻ろう。まだ城壁はあと半周もある。少し早足になっても良い?」
「うん。そろそろお腹も空いてきたし、タラも待ちくたびれちゃうしね!」
元気を取り戻したお互いの微笑みがかち合って、あたしは少しはにかみながら前を歩き出した。あんなに小さな子供が空腹を抱えてしゃがみ込んでいるというのに、これから美味しい食事が待っているのかと思えば、さすがに気が引けてしまう。それでも今は忘れよう。あたしに唯一出来ることは、ラヴェルに『明日』を忘れさせ、楽しい『今』を与えることなんだから──。
目前の高い建物が作る街への死角。それが進むにつれ、真っ正面に大きな鐘塔を出現させた。ぐるりと巡り、その塔の向こう側に再び海が見えた頃、西からの暖かな光を溶かした空は、優しいラヴェンダー色に染まろうとしていた──。
■孤児達の溜まり場のイメージ(左下)
■夕暮れ時の街




