[51]覚醒 *
「うっわー! 本当、すっごく綺麗!!」
遅い昼食を終えたあたしは、コクピットの窓から思わず叫んでいた。隣にはニコニコ顔のラヴェル。眼下には濃紺の海原に抱かれたような、大陸からポッコリ飛び出たオレンジ色の街並みが見える。それは楕円形の城壁に一周囲まれて、とても一体感のある風景だった。
あれからあたしはタラの抱擁の中で必死に涙を堪えた。そして自分と約束したのだ。もうラヴェルに淋しい顔は見せないと。せめてウェスティと対峙するその時まで、この旅路くらい楽しい時にしてあげたい。
そう意を決めたあたしは気持ちを切り替え、ラヴェルの代わりに昼食を作った。たまにはスープ以外でも、あいつを唸らせたい。タラに手伝ってもらい少し手の込んだ料理に挑戦してみた。あたしが真剣になっている内に、同じく集中していたのだろうラヴェルが汗だくになって戻ってきて、その時にはもうお昼はとっくに回っていた。それから彼がシャワーを浴び終えた頃にやっと食事が整った。
そんな料理を称賛しながら全てを平らげてくれたあいつは、その後雑用を済ませ、あたしを操船室へ誘った。遠く東南に遙かに続く海が見え、それに近付くにつれラヴェルの昨夜話した街が見え始めた。
クラウシア国・トゥーヴルーニーという街。(註1)
「あの街、全部屋根がオレンジなの?」
「そうだよ。観光地だからか、景観の統一に努めてるらしい。新鮮な魚介類も多いから楽しみだね」
嬉しそうに細められた瞳がこちらを望む。良かった……いつものラヴェルだ。
「さて……飛行船は手前の丘に降ろす。ユーシィ、独りでやってみる?」
「えっ!」
と、そんな安堵の心が一波を立てた。独りで……出来るのだろうか?
「もちろん隣に居るから。大丈夫、丘の頂上は平坦でとても広いんだ」
「うん……」
あたしは励ます言葉に支えられて、見下ろす為に背伸びしていた身体を操縦席に滑らせた。その位置からは計器の間に真っ直ぐ前方を見据える窓と、足元の向こうを確認出来る小窓がある。ゆっくりとラヴェルが横に腰を降ろし、緊張の横顔を温かく見上げた。
「いいね? ロガールの所へ降り立った時を思い出して。大切なのは右手の感覚とタイミングだけだよ。ほら、見えてきた……あの丘の草が繁った部分。あれを目標にして」
あたしはラヴェルの言葉を一つ一つ噛み砕き、その都度頷いて操縦桿を握り締めた。集中力を吸い込むように呼吸し、自動操縦を解除する。丘の周りはごつごつとした赤土の荒野なのに、示された場所だけが、青々とした丸い印を描いている。
「うん、良い調子だね。これで方角は真っ直ぐ定まった。あとは降りるだけだから、もう肩の力は抜いて。あの感覚を取り戻して……操縦桿が自由になるあの感覚」
「うん」
それでもその瞬間を見極められるのか、あたしにはまだ不安があった。ついチラチラと助けを求める視線を送ってしまう。けれどそれに気付いているのに、ラヴェルは手を伸ばそうとはしなかった。
徐々に近付いてくる緑のマーク。風は一定で穏やかで、あたしの味方をしてくれている。心を全てに開放しよう。きっと船は『その時』を教えてくれる──。
「あっ、今……っ」
「上へ引いて」
慌てたあたしの言葉が、穏やかなラヴェルの声で落ち着いた。『瞬間』を得たあたしの手は、焦ることなく滑らかにレバーを引き上げていた。
「OK! 少しずつ前へ傾けて」
導かれるように降下する飛行船。やがてあの羽のようなフワリとした着陸が、あたしの手中に収まった!
「やったー!!」
「おめでとう、ユーシィ!」
両腕を掲げて喜びを表すあたしに、明るく投げ掛けられる祝福の言葉。あたしはそちらを向いて上方の両手をあいつに寄せた。
「ありがとう、ラっ──」
ハイタッチしたお互いの掌が、パチンと勢い良く重なった──だけなのに。
「……? どうかした、ユーシィ?」
何だろう、真っ正面に相対することが、いやにやけに面映ゆい。
「う、ううん……えっと~あたし、タラに自慢してくる!」
自分の気持ちに戸惑った所為か、立ち上げた身体がバランスを失い、続いて身を起こしたラヴェルの胸の中に飛び込んでいた。
「大丈夫?」
どうも大丈夫でないような??
「ご、ごめん~つまずいちゃった! ……それじゃっ、行ってくるね!」
今までどんなに抱き締められても、こんな風に顔が熱くなることなんてなかったのに──。
「自分はゴンドラの管理事務所に停泊手続きをしてくるから、タラと適当にしてて」
ゴンドラの管理事務所?
「は、はーいっ」
訊ねたかったけれど、赤面した顔を見られるのが嫌だった。あたしは向けた背をそのままに、お先に操船室を後にした──。
[註1]クロアチアのドゥブロヴニクという世界遺産の街をモデルにしております。




