[5]操縦
それから食後のアイスティーを差し出したラヴェルは、同じ表情のまま同じ席に着いた。けれどあたしは外を見たいとそれを受け取り、右舷の窓に沿って並ぶベンチ式のチェストに独り腰掛けた。何処までも続く真っ青な空と、眼下の海のような緑に目を向ける。
この飛行船は『半硬式』と言って、ゴンドラを吊り下げる部分や、機首から尾部まで通ずる骨格が金属で出来ている。他に軟式や硬式があるけれど……まぁその中間に当たるタイプだ。
修理を頼まれた祖父に連れられて、訪ねた先で様々な飛行船を見てきたあたしでも、この稀少機は余りお見かけしたことがない。また何か異常事態が起こる前に、細部を頭に入れておかなくては、と早速心に決めた。
それでもつい眼下に広がる美しい景色に目を奪われて、なかなか立ち上がれない自分が居た。祖父の直した飛行船に、お礼を兼ねて何度か一緒に乗船させてもらったことがあるけれど、もちろんこんなに長い滞在は初めてで、それも夜のフライトは小さい頃からの憧れだ! 今日は低空飛行でも雲はなさそうであるし……満天の星空を滑るなんて……ああ、どんなに素敵だろう!!
──こんな奴と、二人きりじゃなければね……。
と、あたしは背中に感じた幽かな悪寒に、恐る恐る振り返った。
「ユーシィは、やっぱり何度も飛行船に乗ってるんでしょ?」
メチャメチャ近い真後ろに、片膝をチェストに乗せたラヴェルの顔があった。
「あ、あのねぇ~! 前置きもなく、他人の背後を獲らないでくれる!?」
「んん?」
こいつは誰にでもこうなんだろうか?
「近いって言ってるのよ! まったく……あ! そんなことより、あんた何で落ちてきたのよ?」
「ああ……それは」
あたしが犬でも追っ払うように右手を振ると、さすがにラヴェルも後ろへ下がり、ストローでグラスの中身を飲み干した。
「ちょっといい調子で上昇気流に乗り過ぎちゃってね、そこに別の気流がぶつかって来て……で、失速した」
「よ、良くそれで、ココまで無事でいられたわね……」
飛行船はとにかく驚くほどデリケートな乗り物だ。簡単に風に煽られて、そのバランスを持っていかれてしまう。この船はヘリウムガスだから損傷だけで済んでいるけれど、昔のように水素だったら大爆発を起こしかねなかった。
「あんたの話が本当なら、相当レベルの高い操船士ってことよね? あの……良かったら操縦の方法を教えてもらえない? あたし、技師の資格が取れたら、飛行船で行きたい所があるのよ」
「もちろん。お安いご用ですよ」
ラヴェルの即座の了承に、あたしは瞳を輝かせた。と同時に今更ながらの肝心な疑問が……それじゃあ一体、今誰が操縦しているというのだ!? ──あ……ラヴェルの言った『もう一人』? でもそんな人、操船室を修理している時でさえ見なかったよね……?
「では改めまして、コクピットへご案内致しましょう」
空のグラスをチェストに置いたラヴェルは、時々現れる変にバカ丁寧な言葉遣いと優雅な仕草で、あたしの手を取ろうとした。が、あたしはスッと身をかわして先を歩いてみせる。こいつのペースに呑まれたら、また何をされるか分かったものじゃない。
キッチンの脇に在る階段を降りて、階下の船首を目指す。突き当り正面に幅広の一枚扉があり、その中が操船室になっていた。
やっぱり誰も居ない……。
先に入室したラヴェルの向こうには、操縦桿が見えるだけで、誰も座ってはいない。
「ねぇ、どういうこと? まさか透明人間が操縦してるって言うんじゃないわよね……?」
思わずおどおどとした声色で、キョロキョロと辺りを見回してしまう。計器は安定しているとはいえ、明らかに飛行中であることを示すように小刻みに振れている。
「うん? あれ……知らないの? 『自動操縦』だよ」
「えっ!?」
刹那に驚きの声を上げてしまった。あたしが田舎暮らしだからなの? 都会の飛行船はそんなに発展を遂げているの?? ──いや、これからはそういう時代よね……そうなると自動操縦機器のメンテナンスも出来る技術が必要なのか……──どうしよう、何にも知らない。
返事も出来ずに固まっているあたしを、それでも失望した顔などせずに、ラヴェルは横から見詰めていた。
「今、その辺りの知識がないことに、困ったなって思ったでしょ、ユーシィ? 大丈夫だよ、これから合流するメンバーに、詳しい者が一人いるから。君はエンジン部門を賄ってくれればいい。もちろん君が知りたいと言うなら、きっと教えてくれるよ、ツパは優しいから」
「ツパ?」
──合流??
ともかくこいつから飛行船の『操縦方法』と、そのツパという人から『自動操縦の仕組み』を学べるのなら、この旅路はあの金貨以上のメリットがあることは確かだ。こんな願ったり叶ったりのチャンスってあるのね! と、喜んだあたしの幸運は──今思えば、いつまで続いていたのだろう──。