[44]覚悟 〈Y&P〉
それからあたしは渡された寝着には着替えず、サイドテーブルの引き出しに見つけた小さな冊子へ、ツパイから聞かされた物語を書き出した。
箇条書きにされたそれを見詰めて、何度も心の中で呟いてみる。更にその内容から幾つかの質問文を作成し書き留めた。今度はその文章を諳んじる。小一時間もした頃、ピータンが不思議そうに瞳をクルクルさせ、そんなあたしを眺め始めた。あたしは苦笑いをうっすらとした微笑みに変えて、何気なく一組の窓を押し開いた。
涼しげな初夏の夜空に大きな月が浮かんでいる。いつになく光が強く感じられ、周りの星はその存在を搔き消されていた。真円の月光が流れ落ちる眼下には、眠りについた静かな木々。その間には……ラヴェルが潜んでいるのだろうか? 窓辺に立つあたしの影は、彼の瞳の映す中に在るのだろうか?
あたしは助けられるべきなの? それとも此処があたしの居るべき場所なの?
声に出して問いたかった。──誰に? ラヴェルに? ウェスティに??
二人に訊いても、どちらが正しいかなんて判断出来るのだろうか?
それでも──今はそれしか方法がない。
決意するように背筋を伸ばすと、後ろからピータンが「行こう」と誘うようにあたしの肩に留まった。そうね……やってみるしか他にないのだ。
──行くよ、ラヴェル。
あたしは森に紛れているかも知れない彼の許へ、念を送るように瞳を凝らし、ピータンと一緒にテラスを目指した──。
★ ★ ★
ウェスティの言った通り、日中食事をした天幕の隣には、大きなソファとその両端に可愛いランプが配されていた。腰掛けるややんわりと沈み、全身が包み込まれるような心地良さを抱いた。背もたれに寄り掛かった視線の先には、部屋から見た満月が見事に収まり、それは眩しいくらいの輝きを放っていた。
さて……彼は来るだろうか? 来たら……どう切り出そう?
暗唱した質問を、音のない世界でひたすら脳内に焼きつける。が、心の準備が出来ない内に、背後から気配と足音と、あの優しい声が近付いてきた。
「具合は良くなったのかな? ちょうど良い風と月明かりだね」
背中を流れる緊迫の衝撃。
「は、はい……結局あれから眠れなくて……えと、用意してくださってありがとうございます。とても座り心地の良いソファですね」
笑顔を何とか作り出し振り向いた時には、もうウェスティはすぐ後ろに居た。
「隣に良いかな、お姫様?」
「も、もちろんです」
そんなおどけた問い掛けに、ラヴェルの口調を思い出していた。もしかしたら……あいつのそういうところと愛称を付けたがるのは、小さい頃を共に過ごしたこの人の影響なんじゃないだろうか?
あたしの即答で並んで坐した彼の長い脚は、スラリと組まれ流された。
「……ユーシィ」
「は、はいっ」
って、そんなこと考えてる場合じゃなくて、会話の主導権を握らなきゃ!
が、慌てて返事をした顔をそちらに向けた途端、右頬が広い掌で包まれた。
「抱き締めても……良い?」
ええっ!?
逆側の腕があたしの背とソファの間に割り込み、腰の辺りに巻きついた。いきなりの展開に驚きは声にならないまま、ウェスティの懐に引き寄せられてしまった。
「あ、あのっ、困ります~」
恥じらうように彼のサイドへ手を当て逃げようとする。なのにウェスティの両腕はいつになく頑なだった。
「少しの間で良い……君の香りを感じたい」
ゆっくりと圧し掛かる大きな影。後ろへ傾いたあたしの身体は結局ソファに押し倒される形になって、一緒に降りてきたウェスティの面は、一定の間隔を保ったまま、あたしの真上で微笑んでいた。
流れる漆黒の髪が、雨のように降り注ぐ。
「ごめん……本当に少しで良いんだ。【薫りの民】の香りは、王家の者にはとても魅惑的でね」
耳の真下にウェスティの顔が近付き、鼻先を首筋に撫でつけながらスウっと息を吸う。
そして──
それは……あの昨夜感じた『スティ』の仕草そのものだった!!
「ピ……ピータン!!」
驚愕と恐怖で金縛りに遭いそうな唇を、それでも何とか動かし叫んでいた。
ツパイは……嘘をついていなかった……──。
突然溢れ出す大粒の涙。
ラヴェル……助けて!!
あたしはウェスティの上着を握り締める両手に力を込めた──!




