[4]色彩 〈R&P〉
ニコニコ顔から放たれた直球を『なかったこと』にするかのように無視して、あたしは「いただきます」と両手を合わせ、手元のパスタを早速口に入れた──瞬間。
「「お、美味しいっ!」」
え??
自分の叫びに重なった同じ言葉に驚いて、刹那目線を真ん前に上げる。此処にはこいつしかいないのだし、ピータンがそんな男の声を上げる訳もないので、それは明らかにラヴェルだった。
「いやぁ、このスープ美味しいね。空の旅が続くと野菜が不足気味だから、恋しかったのもあるだろうけれど。味わいがとても深くていい」
と、ラヴェルは感慨深い息を吐き出して、再びスープに手を付けた。
「そ、そりゃどうも。あんたのパスタもめちゃ美味しいわよ」
「これだけのスープを作る君に、褒められるなんて光栄だね」
もう一度上げられたお互いの視線がかち合う。微笑みと戸惑い。あたしはラヴェルの嬉しそうな表情が面映ゆくて、咄嗟に俯き無言で食事に集中した。
こいつの言っていることは本当なんだろうか?
一体こんな男勝りでガサツな女を、何処の誰が好きになるというのだろう……。
つい自分の仕草と言葉遣いに、そんなことを思ってしまう。格好さえもシンプルなシャツとパンツに、工具をいつでも手元に置けるようにと、長細いポケットの並んだショートエプロンといったいでたちなのだ。それでも唯一髪だけは伸ばして、頭上から結わえた後ろ姿は女性らしいのかも知れない。けれど長髪の理由はそうありたい為なんかじゃない。小さい頃に母さんにせがまれて伸ばしていた髪。あの時は結ばず流していたけれど……それでもそれが『あの人』と、再会する為の目印になると思うから。
そして『あの人』の美しい艶やかな、長い黒髪への憧れもあった。その髪の隙間から見詰めてくれた宝石みたいな瞳。あの漆黒の髪と薄紫色の瞳だけが『あの人』を探せる唯一の手掛かり……漆黒……薄紫?
そう言えばこいつの瞳は漆黒で──
「あんたって、随分変わった髪色してるけど、まさかそれ、地色じゃないわよね?」
ラヴェルの髪は『あの人』の瞳を思い起こさせる薄紫色をしていた。でもどうしてなのか毛先三センチ程だけが黒い。黒く染めていた薄紫色の髪から、染め色が抜けてしまったように。でも薄紫の髪なんて、この世の中に実在しない筈──。
「……ああ、これ……元は黒髪だよ。ちょっとアレンジして、ツートンにしているだけ」
「変わった趣味ね」
すぐさま返したあたしの答えに、ラヴェルは初めて苦笑いらしき表情を見せた。その時、あのキスされた後のやり取りで感じた変な違和感が……不自然な……何だっけ、これ?
「自分の街では流行ってるんだよ。君だって淡いピンク・グレーだなんて、珍しい」
そこで掛けられた言葉に、少し前の過去と今の不思議な感覚は、遠くへ追いやられてしまった。
「これはね~夏休みに入ってすぐ、クラスメイトに無理矢理染められちゃったのよ。あたしにはこの色が似合うとかって。休みが明ける前に戻さなかったら、先生から大目玉だけどね。本当の色はかなり白に近いホワイト・ゴールドだから、ブリーチしなくても簡単に染まっちゃう。だからみんな面白がってさ~」
フォークを置き離した掌に頬を乗せ、瞳を天井へやった。多分あれは唯一の家族を亡くしたあたしへの、友人達の思いやりだったのだろう。元気づけと気を紛らわせる為の……ピンクなんて明るく可愛い色を持ってきたのは、前向きに進ませようとの励ましだったに違いない。
「いや、でも君の碧い瞳には、とても似合っていると思う」
同じように頬杖突いたラヴェルが、目の前で温かみのある笑顔を向けていた。
あたしは一瞬鼻の頭に熱を感じたけれど、どちらも否定するかのように首をプルプル振るわせる。スープボウルを抱え、赤面した顔を隠すように口を付けて飲み出した。──まったく……こいつと二人きりなんて、どうにもやりづらいわ。
この髪色は正直嫌いじゃない。でもこのままじゃ、きっと『あの人』はあたしに気付いてくれない。
「別に……あんたの髪もあたしのも、その内伸びれば落ちちゃうでしょ」
漆黒と薄紫なんて『あの人』の色に出逢った所為か、やたらと思い出してしまうことを少し気まずく感じながら、あたしは投げやりな返事をした。
「名前……呼んでくれないんだね」
「え?」
幽かに寂しさを感じる台詞に驚いて、慌ててボウルをテーブルに戻した。
「だ、だって、別に此処にはあたし達しか居ないのだし? 呼ばなくたって分かるでしょ」
“まあね” ──そんな応えが聞こえてきそうな伏せられた瞼を見詰めて、ふと疑問が湧き上がる。
「そう言えば、ずっと独りで旅してるの?」
それから、おもむろに瞼は開かれた。
「いいえ。もう一人居ますよ」
「え? もしかして、モモンガの数え方も知らないの? 一人じゃなくて一匹でしょ」
ラヴェルから寂しい雰囲気は消え去って、再び今までのにこやかな笑顔が戻ってきた。あたしは何となくその続きを訊けないまま、いそいそと残りの食事をたいらげた──。