[37]出生
それから小一時間、和やかな散策と食事は終わりを告げ、落ち着きを取り戻したあたしは、昨夜の不眠を理由に部屋で休ませてもらうことにした。もちろんおやつ代わりに戴きたいと、沢山のフルーツを籠一杯受け取って。
けれど実際は心穏やかに戻った訳じゃない。単に目の前の衝撃を端へ押しやっているだけだ……ラヴェルの盗んだ目的と、ウェスティの取り戻した方法──つじつまは合っていて、何の矛盾もない。
「ピータン……何処?」
扉を開き振り向いて、廊下に誰も居ないことを認めて声を掛ける。鍵がないのが残念だけど、きっと声は洩れていないだろう。
「ピータン? ねぇ~ピータンったら!」
どうしよう……布団をめくっても、クローゼットの引き出しを開いても見当たらない。此処に居ないとしたら廊下へ出たのか、それとも窓の外へ?
あたしは慌てて窓際へ走り、血眼になって探し回った。何処か隙間から出ていっちゃったのかしら……もしそうだとしたら、ちゃんと戻ってくるだろうか!?
「ピィ、タァ~ン!!」
左端の二枚窓を押し開き、思わず嘆きの言葉を吐き出した。室内の明るさに慣れた瞳には、外の光は眩しくてふと細める。その真っ正面から何かが物凄いスピードで近付き、咄嗟に瞼を思いきり瞑っていた。
「きゃっ!!」
いきなり顔面を覆った毛むくじゃらに驚き、気付けば床に尻もちを突いていた。そのままとにかくその柔らかい物体を怖々引っぺがす……って、ピ、ピータン!?
「もう~何処行ってたのー!? 心配したじゃないっ! あんなに此処に居てって言ったのに~!!」
『すみません、ユスリハ。城の構造が知りたくて、偵察に行かせていたのです』
「へっ!? ピータンが喋った!?」
両掌の上の毛玉ピータンを凝視する。明らかに彼女からそれは聞こえたけれど、この声は……!
『とりあえず無事なようで安心しました。ウェスティの許も居心地は悪くなさそうですね? ……余り良いのも考えものですが』
「ツ……ツパイ!?」
当のピータンは他人事の如く真ん丸な瞳を輝かせ、鼻をヒクヒク果物の匂いを嗅ぎ取っていた。
★ ★ ★
「どうして? どうやって?? いや、その前にまだ……ツパイが起きるのは明日でしょ!?」
テーブルに移ったピータンは、まずは籠の中からはち切れそうなブルーベリーに齧りついた。その間にもツパイの答えは流れてくる。
『アイガーに起こしてもらいました。ですが実際には意識のみです。肉体はあのカプセルの中で眠っています。アイガーとは主従の関係を結べましたので、彼の見聞きしたことは全て伝えられました。そしてアイガーとピータンも……あのラヴェルが倒れた際に、共に看病をしたことで深い友好関係が構築されたので、今はアイガーの波長を利用して、ピータンの身体へ送り、音声に変換しているという状態です』
「は……あ……」
分かったようなそうでないような感じではありながらも、あたしは何とか返事をしてみせた。
「あ! ねっ……二人も無事なの!?」
『はい、ご心配には及びません。傷一つ負うことなく着地出来ました。……ユスリハ、この時点でウェスティと遭遇するのは、こちらにとってはイレギュラーな事態でした。貴女を連れてきたことが影響しているのですが……ともかく状況が想定外となりましたので、貴女に全てをお話しなければなりません。長くなりますので一度しか言いませんから──集中出来ますね?』
最後の言葉で、背筋にピリリと電流が走ったようだった。その問いに「うん」と頷く。けれどその前にどうしても謝りたかった。
「ね、ツパイ……先に一つ……あの、ツパイが眠る前、本当にごめんなさい……ちゃんと向き合えなくて、ぼぉっとしたままで……」
しばしの沈黙が挟まれ、やがて変わらぬ声が答える。
『いいえ、ユスリハ。こちらが悪いのです。貴女を連れ出したのはラヴェルであるのに、彼は何も答えなかった。そして僕も……だから貴女がああなったのは必然なこと……それでもどうか僕達を赦してください。ラヴェルは貴女から笑顔が消えることを、一日でも遅らせたかったのです』
「笑顔が消える……?」
それは一体どういう……?
『これから話すことが、貴女にとって非常に酷な内容だということです。けれどそれを信じるか、ウェスティの言葉を信じるかは、どうか貴女自身で決めてください。僕は……ラヴェルもタラも、貴女のことが大好きです。もしもこちら側の言い分を信じられなくとも……それだけは忘れないでくださいね』
「ツパイ……」
あたしは胸に込み上げるものを感じて、一瞬しゃくり上げるように涙が溢れそうになった。それを堪えてお礼を言う。本当は「あたしも大好きだよ」って返したかった。でも今は……どちらを選ぶのか決められていないのだ。感謝の言葉しか渡せなかった。
『では……まず。王国ヴェルのことはタラから多少は聞かされましたね? 西の海に存在する僕達の祖国は、他国との交流を持たず独自の世界を築いてきました。隔離されたそんな小さな島国が、ずっと問題もなく平和にやってこられたのは、王家アイフェンマイアが所有する『ラヴェンダー・ジュエル』のお陰でした』
ベッドサイドに腰掛け、テーブルの上でフルーツを頬張り続けるピータンを見詰めながら、あたしは神妙な顔で頷いた。
『王位とジュエルの継承は男系による世襲です。王族の男子であれば、誰でもジュエルの継承者を生み出せる要素は持っていますが、基本王の許に生まれる傾向にあります。生まれた男子の中でもジュエルに選ばれし者は、特殊な姿をして生まれます。二十八年前、王と王妃が授かったウェスティも、そのような姿で生まれ出でる筈でした……が、彼は真逆の姿で現れました』
「真逆?」
つい零した声に、口一杯チェリーを詰め込んだピータンがあたしを見上げた。
『はい……彼は愛されざる者として生まれたのです』
「え?」
ピータンの黒々としたつぶらな瞳が、ラヴェルの黒曜石の瞳を思い出させた──。




