[31]名前
「タラ……ユーシィまで殺さないでくれ……」
ギュッと抱き締められたタラさんの胸の中で、呆れたように諌めるラヴェルの声が聞こえた。
「ユーシィって言うの? あ、きっと違うわね? うーんと、ユリシア? ユーシェルヌ?? いえ、ちょっと待って~どうせラウルのことだから、本名は違うんでショ!」
と考え込む為に唇に指先を持っていかれたお陰で、あたしもやっと解放された。
「ふぅ……はぁ……ユ、ユスリハです。タラさ、……ん? ラウル??」
ラウルって誰? ラ・ウ・ル……『ウル』!?
「ヨロシクネーユスリハちゃん! で? ちょっとラウル、アナタ自分の彼女に本名明かしてないってどういうことヨ!?」
本名──確かにラヴェルはあたしユスリハをユーシィ、ツパイをツパと少しずつ変えて名前を呼ぶ。それじゃラヴェルもラウルで……もしかしたらタラさんも??
「タラ、残念ながらユーシィは彼女じゃない。それに本名なんてどうでもいい。それより少しは集められたの? もう……限界だ。昨夜スティに身体を乗っ取られた」
ラヴェルは悔しそうに俯いて唇を噛んだ。『スティに身体を乗っ取られた』──やっぱりラヴェルはウルなんだ。ではスティは? 彼の別人格なんだろうか?
タラさんはそんな彼の様子を目の端に入れて、薄っすらと苦笑し小さく口笛を吹いた。
「ふうん~隠すことなんてないのにー。ネェ? ラウル=ヴェル=デリテリートくん! あーそれともアイフェンマイアにしておく?」
「タラ!!」
いつも飄々としているラヴェルが、完全にタラさんのペースに呑み込まれていた。ラヴェルにも天敵(?)が居るのね。そして……ラウル=ヴェルで、ラヴェル? アイフェンマイアも名前の一種なんだ。
「まぁまぁ、ちゃんとたっぷり集めてきたから怒らない怒らない! その毛先見たら十分分かるわヨォー、でも乗っ取られるなんて物騒な話じゃない! てことはもう近いのネ? んで? まさかユスリハちゃんを襲っちゃったワケ??」
「あ……」
冗談のように推測された直球の質問がまさしく的を射て、つい声を洩らしてしまった。辛そうなラヴェルと、点になったタラさんの瞳があたしに集中する。やがてタラさんはそれを細め、ほんの一瞬険しい面差しを見せた。
「もしかして……ラストネーム、ミュールレイン、なのネ?」
「え!?」
どうして皆、あたしの名前を言い当てるの!?
「『彼』は【薫りの民】を選んだ、か……まぁ分からなくもないわネ」
「タラ……」
ほんのりしんみりとしたタラさんの言葉に、切なそうに名を呼ぶラヴェルの声が震える。『彼』って、【薫りの民】って……?
「ヤーネ! アナタがそんな顔してどうするのヨ! とにかく、コレ、渡すわヨ」
気持ちを入れ替えるように大きな声を上げたタラさんは、藍色のウエストポーチから、以前ツパイが託したような小さな革袋をラヴェルへと放り投げた。
「随分見つけてくれたんだね……助かるよ、タラ」
「そうヨォ~床板の隙間までまんべんなく探してきたんだから! お礼のキスくらいホッペにしてくれたってイイもんだわ」
「それは……全てが終わった時かな」
ラヴェルはおどけた返しに、やっと少し笑みを見せる。
「相変わらず出し渋るわネン! 何でもイイから早く行ってきなさいって。ワタシ達はリビングで待ってるわ」
「うん……ありがとう」
あいつは革袋をギュッと握り締め、いつもの淡い微笑を湛えてあたしの横をすり抜けていった。
「あの……一つ弁解しますが、い、一応襲われかけただけで、襲われては……いません」
「そ? ……とは思ったけど……なら安心したわ」
ラヴェルの名誉の為にも言っておこう。そして自分自身の貞節の為にも。
タラさんはあたしの肩を優しく抱いて、ゆっくり階上へと促した。
「あの、彼は何をしに、何処へ……?」
階段を昇りながら涙ぼくろの色っぽい隣の美女を見上げる。あれはツパイの薬とはまた違うのだろうか。
「あのコは浴室へ行ったの。髪を染めに」
「……へ?」
あれって染髪剤!? 確かに……戻ったリビングのシャワールームから水の流れる音が響いているけれど、わざわざ髪染めを何処まで取りに行かせたっていうのよ!?
「うちは代々染色家なのヨー、あ! 申し遅れたけど、ワタシはタランティーナ=ヴェル=ハイデンベルグ。長いからあのコと同じくタラって呼んでくれればイイわ」
「タランティーナ=ヴェル……──ヴェル?」
ミドルネームがラヴェルと同じ??
「ちなみにツパイはツパイ=ヴェル=ユングフラウ。……もう気付いたかしら?」
「……あっ!!」
ずっとずっと昔の微かな記憶が甦り、やがて欠けている何枚もの内の、一枚のパズルがやっと完成した。小さい頃、母さんが読んでくれた絵本に、そんな名前の王国があった──。




