[25]落涙 *
それからのツパイとあたしは、まるで声を失ったかのように喋らなかった。
ツパイは今晩眠りにつくまでの時間を、看病しながら過ごすとラヴェルの部屋に立てこもり、意気消沈して首の垂れたあたしは、それを見かねたロガールさんに連れられて、放牧地の柔らかい草の上に座り込んだ。目の前で白い子山羊が親に甘えるように飛び跳ねている。そんな元気な姿が、真逆とも云えるラヴェルの突然の異変を、尚更痛烈な物に思わせる。ううん、違う。突然じゃない……テイルさんの許を旅立ってからのあいつの眠そうな顔──あれもきっと『事後』の疲労だったんだ。
「大丈夫かい? ユスリハ」
アイガーと一通り家畜達の様子を見て回ったロガールさんは、少しためらいがちにあたしに声を掛け、隣に腰を降ろした。逆隣には慰めるように伏せるアイガー。
「はい……すみません」
膝を抱えて出来るだけ小さく丸まったあたしは、多分迷子の子供みたいだっただろう。
「ラヴェルは相当負担を溜め込んでいるな。あの髪色は尋常じゃない」
「──え?」
つま先を見下ろしていた視線を刹那上げる。あいつの髪って、染めてるんじゃないの?
「彼の髪は元々薄紫だ。が、毛先が黒々としているだろう? あれはあの『術』の副作用だよ」
「そんな……」
人間に有り得ない薄紫色の髪。信じられることではないけれど……でも思えば、此処まで信じられないことばかりだった。ツパイの成長が緩やかなことも、あいつが他人の苦しみを吸い取ることも。
「ユスリハは彼と出逢ってすぐ、右眼の違和感にも気付いたそうだね?」
「え、ええ……」
驚きの眼がその問いに震える。震えなかった瞳──でもあたしが義眼だと思った右眼は、あいつの本物の瞳だった──。
「あれもまた『影響』だな。ラヴェルは……昨夜私に義眼の不調が災いしているのだと嘘をついたが、それくらいお見通しさ。……デリテリートの義眼が、逆の眼にそんな悪影響を与える訳がない」
「……ロガールさん?」
真っ直ぐ先の空に向けられた横顔は、どうしてだか悔しそうに唇を噛んでいた。ロガールさんも気付いたんだ……時折神経が断ち切れたように動かないあの眼に。でも、その表情は一体……?
「ああ……独りごちて悪かったね。ラヴェルのご祖父とは旧知の仲なんだ。彼の腕は神の如くと言っても過言ではなかった。そんな彼の遺作が、あんなことを招く筈はないからね」
「そうなんですか……でも、あの……遺作って……?」
あたしの問いにつぐまれた唇。ふと現れた侘しそうな面差しは、あいつの時々見せる寂しげな表情と重なった。
「彼もあの化け物に殺されたそうだ……私の息子と同様にね」
「……」
ラヴェルの、おじいさんも……。
刹那顔をそむけてしまう自分が居た。ギュっと瞑った瞳から涙が零れ落ちそうになって、思わず隠すように、抱えた膝に顔を埋めてしまう。
どうして……どうして皆あの化け物に愛する人を奪われるの?
泣かないでと訴えるが如く、あたしの足の甲に顎を乗せたアイガーが潤んで見えた。強ばった肩を柔らかく包み込んでくれる、ロガールさんの厚い手が温かくて優しくて……おじいちゃんのしわくちゃな掌が思い出された。
今ならばきっと尋ねた全ては語られるだろうに、あたしの徐々に大きくなる泣き声は止め処なく、涙は結局言葉にはなってくれなかった──。
★ ★ ★
泣くことがどうにも出来なくなるほど疲れ果てたあたしは、いつの間にか陽の光がオレンジ色に染まるまで、草の斜面に横になり眠ってしまった。
放牧を終えた家畜達が、連なり我が家へと山を降りる。番いの白馬の内、がたいの良い牡馬の背に担がれたあたしは依然目覚めることはなく、山の奥へ消えていく美しい夕焼けも見られずに帰路へと着いた。夕食の時間まで屋根裏部屋に寝かされて、起こされても尚ぼおっとした頭で食事を進め、気付けばツパイの言葉にも曖昧な理解のまま相槌を打っていた。
ラヴェルもまた目を覚まさなかった。食事の片付けを済ませたツパイは、呆けたようにロッキングチェアを揺らすあたしを一瞥した後、再び数時間あいつの看病に集中した。やがて夜も更けベッドに潜り込む頃合いに、これから三日は起きられないのだからと飛行船で休むことを告げ、送るアイガーと共に小さな後ろ姿は闇へと消えた。
「ユスリハ……どうかラヴェルのこと、宜しくお願いします」
そう頭を下げたツパイにまた、一雫涙が零れて言葉は風になった──。
此処までお目通しくださり誠に有難うございます。
本文の重苦しさに添わないのどかな画像で失礼をしております(汗)。
全て数年前に筆者がスイスを旅した際、撮影をした写真でございます。
乳牛はスイス原産から改良された「ブラウンスイス」という種類になります。
朧 月夜 拝




