[23]薬効 〈E〉+*
「それでは、ロガール。『お目当て』の所へ連れていってくれます?」
朝食を済ませ、ツパイとあたしが片付けを終える頃。のんびりロッキングチェアでお茶を嗜んでいたラヴェルは、そう言いスックと立ち上がった。
「ああ。だが……本当に連れていくのか?」
「貴方が構わなければ」
ラヴェルの微笑みに、苦笑いで頷くロガールさん。お目当てを連れていく……誰か他に居るの?
「こっちだ。ユスリハも来るかい?」
ロガールさんは扉に手を掛けながらあたしへ振り返った。ラヴェルと共に事情を分かっていそうなツパイに続けて、あたしも慌ててその後を追った。
向かった先は併設された家畜小屋だった。先程の美味しい牛乳を提供してくれた茶色や灰色の牛が十数頭、白馬二頭の向こうには、羊や山羊が沢山居る。親達の間に隠れた子羊や子山羊が、大勢の人間に驚いたように可愛い高い声を上げていた。
「もうすっかりおいぼれだぞ。それでもいいのか?」
「理由が別の所にあるのはロガールも分かっていますよね? 元気になりますよ」
再度念を入れて確認する問いに、自信を持って答えるラヴェル。二人が立ち止まった一番奥の壁の下に、ぐったりと横になった痩せこけた犬が見えた。
「名前はアイガー。これでも立派な牧羊犬だったんだ」
ロガールさんは腰を屈めながら、毛足の長い白と黒のお腹を優しく撫でた。息遣いも荒く、辛そうに伏せられていた瞼が僅かに開かれ、主人の憐みの言葉に申し訳ないと詫びているようだった。
「アイガー、ラヴェルだよ。……ツパ、例の物を」
同じようにしゃがみ込み額に触れたラヴェルが、背後のツパイに手を差し伸べる。ツパイは無言で首肯し、何やら懐から小さな革袋を手渡した。
「悪いのだけど、アイガーと二人にしてくれる? ピータン、君もだ」
沢山の動物達に怯えるように、ラヴェルの首の後ろにしがみついていたピータンを、あいつはそっとツパイに託した。目配せされたロガールさんも意を汲んだように、あたし達を外へ誘いながら、次々と小屋の留め具を外して、全ての家畜を裏山へ放牧した。
「ねぇ……ツパイが渡したあの袋はなあに?」
思いがけず追い出された小屋の手前で、ふと尋ねる。
「あれはお薬ですよ。僕の一族は代々薬剤師なのです」
「え! へぇ~そうなんだ!!」
其処で一つ納得の行く道筋に辿り着いた。テイルさんが急に元気になったのもツパイが訪れた後だ。よっぽど即効性のある特効薬なのかも知れない。
「僕が眠っている間、大丈夫でしたか? ユスリハ」
「え?」
急に問い掛けられて驚きの声を上げてしまった。大丈夫ってどういう意味?
「此処までの旅路、きっとラヴェルは何も教えてくれなかったのでしょう? そろそろ堪忍袋の緒も切れるのではないかと」
図星よ、ツパイ。いい加減このハテナだらけをどうにかしてほしいわ。
心の声はその表情と深い溜息に滲み出ていたらしい。ツパイは幽かに苦笑して、
「この後ラヴェルに打診してみます。僕が再び寝入る前には多少のことはお話致しましょう」
「その約束、絶対よ~ツパイ!」
一つでも二つでも……もうとにかく分からないことばかりで満たされているのは辛かった。そして其処からウエストへと繋がる何かが見つかればと、あたしは切なる希望に胸が震えた。
が──その時。
家畜小屋の奥から犬の鳴き声が徐々に近付いてきたのだ。って、犬って、アイガーしか居ないわよね?
「ア、アイガー!?」
閉じられた扉を内側からガリガリと擦られたので、あたしが開くや白黒の影に飛びかかられた。すっかり元気になって真上に跨った姿は、あの時のテイルさんの変貌振りに似ていたけれど、何かを訴えかけるように吠えるのを止めないことには少し違和感があった。
「アイガー、ラヴェルに何か遭ったのですね?」
「えっ?」
すぐ横で傍観していたツパイが呟いて、それに反応したアイガーが振り向き一吠えする。ツパイはキッと扉の向こうへ顔を寄せた。誘導するように走るアイガーの後ろを二人で急いで追いかけた。
先刻までアイガーの横になっていた突き当たりには、先程までのアイガーと同様、ぐったりと倒れ伏したラヴェルが居た──。
■アイガーのモデルはボーダーコリーです。
■分かり辛いですが、以下が名前の由来となりましたスイスの山、左端がアイガー、右端がツパイの名前の一部、ユングフラウです。




