[1]遭遇 〈Y&R〉
「ちょっと……どういうことよ……」
あたしはお腹の底の底から暗く低い声を吐き出して、目の前でニッコリ微笑む『唐変木』に問い掛けた。
背の高いそのアホ面に、この世の仇でも見つけたみたいな鋭い視線を上げる。奥歯を噛み締め食い縛り、握った両拳は胡桃ですらカチ割れそうなほど、力が込められていた。
「どういうことかってぇ、聞いてるのよぉっっ!!」
肩を怒らせて、あたしは更に吠えた。こんな大声上げたって、隣の家はずーっと遥か遠くの片田舎だ。けれど内から込み上がるこの怒りを、ヨーロッパのど真ん中とも言える此処から、全世界に発信したいくらいなもんだわ! 本当に……事と次第によっちゃあ、ただじゃ置かないんだからっ!!
「え……えと……あ、ら??」
『こいつ』もようやく事の重大さに気付いたらしく、やっと笑顔に困惑の兆しを宿し、あたしの様子に瞳をパチクリさせた。でも……あれ? 何だろ……何か、不自然……?
「どういうことかって……自分としては、助けていただいたお礼のつもりなのですけどね」
そうして気障なウィンクを一つ投げ、先程までの何も考えていないような満面の笑みに戻りやがった。まったく……ムカつくわ……何にって……こんな『朴念仁』を助けちゃった自分に、よ!
「普通そういうのって、手の甲とかホッペとかに、するもんなんじゃないのかしら……!」
思わず殴り掛かりそうな右腕を左手で抑えつけて、あたしは少し俯き唇を打ち震わせた。見下ろす視界は『こいつ』の纏う黒いマント──って、その時代遅れなマントは何なのよっ。
「ふふ……バレた? ほら、君の唇、魅惑的だったから」
「はぁっ!?」
み、み、み……魅惑的っ!?
「そ、そんな見えすいたお世辞言ったって、許さないんだからっ!! ……返してもらうわよ……」
「??」
相変わらずの懐っこい子犬みたいな笑みを刻んで、『そいつ』は首を傾げてみせる。うぬぅ……益々忌々しい! 絶対絶対返してもらうんだからっ!!
「麗しきお姫様に、自分は何をお返しすれば良いのかな?」
「あんたって……よっぽど他人を怒らせるのが好きなのね……!」
あたしはとうとう『そいつ』の首元を引っ掴んだ。やがて唾を飛ばしてまくし立てる。
「何をじゃないわよっ! あたしのっっ!! ファースト・キスを、よっっっ!!!」
見える清々しい翠の風景に、心からの雄叫びは辺りの全てを停止させた──。
★ ★ ★
この一時間程前までは、あたしの真ん前には平穏で平凡な世界が広がっていたんだ。
いつも通りののどかに始まった夏休み──高校最後の貴重な夏休み──
──の筈なのにぃ……! この始まりは一体何だ!?
「ふむ……なるほど。そういうこと、ですか。ではお返しすることに致しましょう」
と『そいつ』は変わらぬ表情で、あたしの腰に腕を回し、頤に手を掛け引き寄せた──って!?
「ちょっ、ちょっとっっ!!」
「んん?」
『こいつ』には学習能力って物がないのかしら!?
「一体何をする気なのよっ!?」
「んー、戴いた口づけを、口移しで返そうかと」
「ああっ!?」
もう……頭痛を催しそう……。
今一度大声を上げて説教でも始めてやろうかと、深く息を吸い込んだところ、けれど『そいつ』はふと真剣な表情を見せた。……何だ、そんな顔も出来るんじゃない。
「さすがにそろそろ冗談は終えましょうか。いえ、まさかこんなにお美しいご令嬢が、初めての接吻でございましたとは、大変失礼を致しました」
「あんた……良くもそんな歯の浮いた台詞が言えるものね」
「ご心配なく。自分の歯は浮いておりません」
「こっちの歯が浮きそうなのよっ!」
「では再びの口づけで、その歯を見事に押さえてみせま──」
さすがに呆れ果てて、あたしの掌が『そいつ』の口元を塞ぎ中断させた。何でこんな奴に唇を奪われた上、バカ丸出しの漫才をやっていなきゃいけないのか……そう……それは平和そのものだった一時間前に遡る──
──ガッシャーン!!
まるでそんな擬音が見えそうな、耳をつんざく音だった。
独りキッチンで朝食のスープを作っていたあたしは、思わず慌ててお玉を手にしたまま表に飛び出していたんだっけ。ささやかな花壇の向こうの広い家庭菜園に、大きな飛行船がもうもうと灰色の煙を巻き上げて、まさしく不時着していた。
その粉塵を吸い込んでしまったのだろう『そいつ』が咳き込みながら現れたので、取る物も取りあえず救助に向かってやったというのに……飛行船の修理までやってあげたというのにぃぃぃっ!!
「とにかく気嚢に穴が開かなくて良かったわね。これでもう大丈夫。ちゃんと飛べる筈よ」
損傷箇所の全てを修繕してチェックを終えたあたしが、そう言いながら振り向いた途端、その『洗礼』は待ち構えていたのだ。ああ~もう~~思い出したくもないっ!!
「とにかくっ! もう万事OKでしょ? お礼はいいから早く飛んでっちゃってよ! そうでなくてもうちの畑、大損害なんだからっ!!」
あたしはしばしの回想に幕を閉じて、正面に立つ『そいつ』に再び噛みついた。
まったく……周りは平坦で広大な牧草地なのに、よりによってうちに落ちてくるなんて~!
「いえいえ、そんな訳にはいかないでしょう。もちろんお詫びとお礼はさせてください。それと……先程の口づけもちゃんと『なかったこと』に致しますよ」
「あぁ……はぁ!?」
いい加減会話も面倒になったあたしの両手を取り、『そいつ』がおもむろに掌に乗せた物とは──
「うっそ……!」
零れ落ちそうなほどの煌めく金貨! そして見上げた視線の先に──
=『なかったこと』に、致しませんか?=
不敵に口角の上げられた微笑みと、自信みなぎる漆黒の瞳があった──。
この度は数多あります小説の中から、拙作にお目を留めてくださいまして、誠に有難うございました。
二人の名前は次回最後に現れますので、どうぞしばしお待ちください。
どちらが〈Y〉でどちらが〈R〉か、そしてどんな名前であるのかも、どうぞお楽しみにしてください。
それでは二人が織りなす空のファンタジー、これからお付き合いどうぞ宜しくお願い致します。
朧 月夜 拝