死神
最近、上田は芸能人や政治家といった著名人の急死のニュースを見る度に、良いなあと思っていた。急にお迎えが来たなんて、何とも羨ましい。自死できる勇気もまた羨ましい。なぜ、誰からも惜しまれる人のところに死神は降りて、誰からも顧みられることもない自分のところに来てくれないだろうか。
上田には、小さい頃から虚無感があった。努力して嫌な思いもして名誉や地位を獲得しても、何かを極めても、死んだ後に持っていけるわけではない。遺産は家族に残せたとしても、自分が使えるわけではない。それなのに、どうしてこんなに毎日つらい思いをして生きなければならないのか。上田は、外では明朗に過ごしてきたが、心の底では何のために頑張るのか、何で死んではいけないのか、いくら偉い人に話を聞いても、本を読んでも、理解できなかった。
その虚無感がここ最近になって急激に巨大化してきた。表現するとすれば、通常時が幼児くらいのサイズだとしたら、今は3メートルほどの巨大な影が常に自分を包んでいるかのようだった。何をするにも億劫だった。その気持ちが次第に、心の底に常に沈殿していた「どうせ死ぬのだから何をしても意味がない」という考えをさらに大きく育てた。
しかし上田には死ぬ勇気がなかった。痛そうだし、苦しそう。つらいのは嫌だ。寝ているうちに静かに息を引き取るのが上田の理想の死に方だ。だから死神に迎えに来て欲しいのだ。
そんなことを家のソファで座り込んで考えているうちに、上田はあることを思い出した。中学生の頃に読んだ『自殺大事典』という本の最後の方に、死神の召喚の方法が書いてあったことを。
本棚を漁ると、少し色褪せた事典が出てきた。少し興奮しながら上田はページを繰った。
サンタ・ムエルテ。
メキシコで信じられている神様だ。見た目は、骸骨に大きな鎌を持った、まさに「死神」そのもの。他にどんな神様を信じていても、お礼をすれば信仰オーケーという懐の深さと、これもお礼さえずればどんな願いでも叶えてくれると言われている、世界中で人気の神様だ。特定の宗教を信じているわけではないが、ちょうど三週間前に神社に初詣に行ったばかりだから、上田には有難かった。
召喚方法はシンプルだ。まずサンタ・ムエルテの像かお守りを手に入れる。界隈では有名な神様というだけあって、大手ネット通販で手頃な価格で簡単に手に入れられる。お守りでも構わないが、像の方がより願いが叶いやすい。ただし像の場合、よりきちんとお礼をし、その後も仏壇のように丁寧に扱わないといけない。
上田は願いを叶えることを優先して、像を注文した。禍々しいものなのだろうと思っていたが、意外とカラフルで親しみやすいデザインのものが多かった。メキシコで信じられている神様だからなのかもしれない。
次にお供え物を用意する。これも別に生け贄を用意するという必要はなく、仏壇に供えるのと同じように果物や花で問題ないらしい。上田は、花屋で手頃な花束と、スーパーでみかんとりんご、惣菜のローストビーフを買ってきた。
そして魔法陣を描いてその中に入り、祈る。何でも、魔法陣は神様と直接対面するのを避け、身を守ってくれるのだという。本の中では、魔法陣に入らずに直接願いをするのは極めて危険なので、いくら死にたくてもこれだけはお薦めしないと書かれていた。上田は苦しい死は望んでいないので、大人しく魔法陣をA3用紙に見様見真似で書いて、その中に入った。魔法陣はフリーハンドでよく、コンパスや定規で正確に描く必要はない。ただし線と線を必ず繋げること。
願いの方法は神社でするのと同じように、心の中で祈るだけだ。ただし、願いが漠然としていると思わぬ方向にことが進む場合があるので、できるだけ具体的且つ詳細に述べる。
また、祈るだけではダメだ。願い事が叶ったらすることを合わせて宣言しておかなければならない。例えば、部屋を掃除するとか、ジョギングするとか、ゴミ拾いのボランティアに参加するとか、自分の日頃の行いを律することや、社会貢献活動が一般的に良いとされている。
今日の夜、いつも通りに床に就きます。その眠っている間に、静かに苦しくなく息を引き取りたいです。もし願いが叶うのなら、この魂をサンタ・ムエルテ様に捧げます。
上田は魔法陣を出ると、いつも通り身支度をしてベッドに潜り込んだ。各種SNSのアカウントを削除したり、遺書を書いたりしようかとも考えたが、結局自殺に向けたことは儀式以外一切しなかった。朝起きたときに遺書が目に入れば恥ずかしいし、消すと必要な人に連絡が取れずに困ることが考えられたからだ。
果たして、上田の願いは叶い、目を覚ますことはなかった。眠りに就いてから四日後、無断欠勤を続け連絡も取れないことを不審に思った同僚が、上田が一人で暮らす家を訪れ、死体を発見した。
サンタ・ムエルテを含む死神は通常、生物の魂を次の輪廻転生へと導くために送り出す処理を行う役割を担っている。しかし、サンタ・ムエルテ上田の魂を刈り取った後、暇なときのボールや枕として扱っている。