11.終わり
曲の出だしは、フルートから順番に次の楽器の音が交じり合っていく。
ピアノの出番まではもうすぐだ。
ありさの心境は依然整っていない。
それでも弾くしかない。
演奏はもう始まってしまったのだ。
次の小節から、いよいよピアノが入る。
客席の人々は期待に胸を膨らませている。
どんな入り方をするのか。前回のように、人の心に沿った演奏がまた聴けるのか。
短く息をつき、鍵盤に乗せた指を、ゆっくりと叩き始める。
演奏にピアノの音が入った。
なんとか、出だしは問題なく入ることができた。
だが、心はまだ荒れたままだ。
それでも、一心に弾き続ける。
最後まで弾かなければ……。
(なんかリハーサルの時と違くない?)
(急ぎすぎでしょ)
オーケストラのメンバーの声が聞こえる。
それに合わせて曲調を少し変える。
(今日の演奏あっさりしてる?)
(前のほうがよかったなー)
前の演奏はどんなだったか……。
思い出せない。
(やばい。オケとずれてきてる)
(ピアノどうしちゃったの?)
わからない。
人の声で、自分のピアノの音が聴こえない。
それでも、弾き続けなければ……。
なぜ?
誰のため?
何のため?
わからなくなってしまった。
音楽で人を笑顔にしたい。
あの子の笑顔のように……。
(でも、私は笑えない……)
そして、ピアノは止まってしまった。
客席がざわつく。
指揮とオーケストラは、動揺しながらも演奏を続けている。
一層心の声が大きくなる。
ありさは、指を止め俯いたまま。
やがて、その手が胸元のコサージュへと伸びた。
ゆっくりとコサージュを外し、それを右手に収める。
ホールの柔らかい光を受け、止め具が鈍く輝いている。
「ひゃっ!」
客席から、小さな悲鳴が漏れた。
それを皮切りに、客席内でざわつきが大きくなる。
震えて目を見開いている者もいる。
誰もが皆、一点を見ていた。
舞浜ありさ。
ピアノの前に一人座る女性。
淡い青味がかった白いドレスを着た美しい女性。
そのドレスに、赤い点が滲む。
そしてのその点が次々と現れ、広がっていく。
両の耳からは、鮮やかな赤い血が流れ落ちている。
その右手には、赤く染まったコサージュが握られていた。
演奏は止まり、会場内は大きな悲鳴に包まれた。
晴れた昼間……。
街は、道行く人で賑わっている。
様々な音が交わる中、街頭モニターからは、ニュースの声が流れていた。
「耳に重症を負い病院で入院中だった、ピアノストの舞浜ありささんが、引退を発表しました」
「期待の演奏者だったために、非常に残念です。なお、退院については未だ……」
強い風が吹き、その声はかき消された。
風は、人と建物の間をすり抜けていく。
その先には、一際高いビル。
そして、その屋上にはひとつの人影があった。
「せっかく望みが叶ったのに、なんでやめちゃうんだろー」
そう呟く一人の少女。
「人間てホント不思議だなー」