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苦しい下山

3章


1.


「ゾンビとヴァンパイアの一番の違いは何だと思う?」

ビィが言った。


なんだよそれ、と僕が言う前に


「倒し方!」

と神白が答えた。

「ヴァンパイアは心臓に杭を打つ。ゾンビは銃で頭を撃つでしょう」


「そうだっけ」

僕はぼんやり考えたが、どちらについてもあまり知識は無かった。正直、ゾンビとヴァンパイアに言うほどの共通点があるのかどうかも、よく分からない。


「ヴァンパイアはね、人の家に侵入できないんだよ」

とビィは言った。

「家に招かれないと入れないの。だから変身したり言葉を話したりして、人とコミュニケーションをはかるの」


「そう考えるとすごく礼儀正しいですね。ていうかコミュニケーション取れるなら、退治する必要もあんまり無いような」


「でも、血を吸うからね」


「巨大な蚊だと思えば、まあ、無理か」


「キョンシーは?」

僕は昨夜の神白の言葉を思い出して聞いた。


「キョンシーねえ。キョンシーは戦場の伝説なんだよね」

とビィは言った。

「ヴァンパイアは『死体が墓から出てくる』っていう、よくある墓場の怪談なんだけど、キョンシーは昔、中国で、戦死した兵士を自宅に帰す習慣があったことがその起源なんだよ。遠征した先で兵士が死んだら、その身体を棒に括り付けて、生き残った者達で担いで帰るの。山越えをしなければいけないから、寝かせて運べないんだよ、肩のところを括って立たせた状態で運ぶわけ。それも一人や二人じゃないわけよ、戦争だからね。で、『実はただ運んでるんじゃなくて、死体がひとりでに歩くような黒魔術を使ってるのだ』っていう怪談が出てくるわけ」


「黒魔術じゃなくてもその絵面は怖いね」


「キョンシーは家に侵入できるんですか?」

と神白が聞いた。


「入れるんじゃないの? キョンシーは操ってる人が居るからね。その人の命令次第だと思うよ。

実はゾンビも、元ネタのアフリカの伝説では術者がいて。墓場の死体を黒魔術で蘇らせるっていう伝説なの。

キョンシーは暗殺者として使われるんだけど、ゾンビはたいてい、農場で働かされるそうだよ」


「蘇らせる目的に土地柄が出ますね」


「実際、死体にやらせたいほどの仕事って、限られてくるよね……」

僕は軽く口を挟みながら、なんだこの会話は、と思った。

山道は登るより下るほうが辛い、というのは本当だった。

身体は軽く感じるのに、脚だけが酷使されていく。まだ1時間も歩いていないのに、膝から下に痺れとも痛みともつかない奇妙な浮遊感が付きまとい、僕は先程から何度も足をもつれさせていた。


神白は何度か、転びそうになる僕の腕を掴んで支えたが、「大丈夫?」とか「休もうか」とは一言も言ってこなかった。


速度のペースを作っているのはビィで、彼女は喋りながらぴょんぴょんと危なっかしい身軽さで下っていく。

上機嫌な顔だったが、足取りは決して緩めなかった。


明らかに怯えている。


無理もない状況、と言えばそうなのだけど、しかし彼女にしては怯えすぎじゃないかという気もした。

僕や神白はともかく、ビィには自分の一声でヤツラを停止させる「隠しコマンド」がある。万が一、ヤツラに追い付かれたとしても恐るるに足らないと思うのだが……


そんな僕の考えを察したのか、ビィがふと振り返って言った。

「お兄ちゃん、私の『ていし』コマンドはもう死んだと思ってね」


「死んだ?」


「昨日使った時点で、私がコマンドを仕掛けていたことは向こうにバレた。向こうはプログラムを読み返して該当のコードを除去する。バグを取り除いてアップデートするんだよ。コマンドは何個も仕掛けてるんだけど、今頃は全部消されてるかも」


「次に出くわすゾンビは、新バージョンだということ?」


「そういうこと」


「まるでスマホだな……」


「そうそう、彼らは独自の通信回線も搭載してるから、ほんとにスマホだよ」


「通信も? でも、ネットは落ちてるのに……」


「そもそも、ネットが落ちてるのは日本だけだよ。ちょっとした設備があれば今でも海外のネットは見れるよ。だから私は昨日もツイートしてる」


「ツイート……」

Twitterなんかしてる場合なのか。

まあ、ビィみたいなIT系コミュニティの連中は地球が滅びる瞬間に「滅亡なう」くらいは投稿しそうな風潮がある。それは知っているが。


「ネットが止まっているのになぜネットが見れるんですか?」

と、神白が聞いた。

ビィがすぐには答えなかったので、神白は「僕たぶん、すごく素人的な質問をしてると思いますが」と付け足した。


「日本では全国の基地局が止まったから通信ができなくなった。なんというか、集配センターを潰せば手紙が届かなくなるのと一緒だよ。中継してくれる場所がなくなったってこと。ただ、住所や道路はまだ残ってて機能してるし、手紙も破棄されてはいない。だから自分で道を調べて繋げばいいってことなの」


「へえ……何だか、それだけ聞くと簡単そうに聞こえますね」


「私もテクニックの詳細は知らないんだ。知っている人を知っている、っていうだけで」


「あとどれくらいなの?」

僕は我慢していた言葉をついに口にしてしまった。


降りても降りても代わり映えのない石と笹薮と腐りかけた樹木の風景だ。しかも道が曲がりくねっていて全く先が見えない。どこかでずっと川の流れる音がしているが、川は一向に見えてこない。


「3分の1くらいは来たんじゃないかな? なんとなくですが」と神白は言った。


そんな事くらい僕だって言える。


「お兄ちゃんはさ、受験生なんだから私達より博識でしょ。何か披露できる雑学とかないの?」

ビィは階段のように続く木の根の段差を跳んで下りながら聞いた。


「はあ……雑学?」


「そう。『ジャガイモは根ではない』とか」


「うーん」

喋って気を紛らわすしかないということか。

「……水1リットルとアルコール1リットルを混ぜると、合計は少し減って1.9リットルくらいになるらしい」


「ほんとですか? なんで?」神白が食いついた。


僕は無視して、

「全ての回転する機械は、ある回転速度に達したとき突然ガタガタ震え出して壊れる」


「えっ。それはどういう……」


「逃げようとする相手をクロロホルムで気絶させることはできない」


「マジですか?」


「漫画で陰陽師や忍者が使う『おんなんとか、そわか』っていう呪文の殆どは弘法大師が伝えた真言宗の真言」


「えっ、えっ」


ああ、馬鹿な人相手に知識をひけらかすのは楽しいな。


「解説はないの?」

ビィが言った。


「解説ねえ」


「クロロホルムで気絶しないってのは本当ですか?」神白が聞いた。「ドラマでよく、あるじゃないですか」


「最近のドラマでさすがにそんな場面ないでしょ」とビィが言ったが、


「いやいや、僕はつい去年も観ましたよ」と神白は言い張った。「お昼のサスペンスドラマってすごいんですから。台詞や演出は完全に昭和なのに、小道具はスマホだったりするんですよ」


しかしそんなもの観てるのはニートと主婦だけだろう。ドヤ顔で言うようなことじゃない。


「クロロホルムは大昔に手術用の麻酔として使われたんだけど、結構大量に吸ってもあんまり効かないこともあったりで……

暴れる相手に無理やり嗅がせても眠らせることはできないし、量を増やせば早く眠るというわけでもないんだよ」

と、僕は解説した。


「へえ。そうそう便利な薬って無いんですね」


「そういえば、悪霊退散の、」

ビィが言いかけた言葉を中途半端な所で止め、立ち止まった。


ビィの視線の先、今来た道を振り返る。


木の根が抱え込んでいる大岩の脇を降りたばかりだったので、道がえぐるようにカーブして、先ほどまでいた場所がまったく見えない。


しかし、先ほど僕たちが通ったと思われる方向から、不吉な音が聞こえた。


足音。


熊や猪の類ではないだろう。ここまで無防備に音を立てて歩く獣はいない。

道は一本しかなく、音は明らかにこちらへ向かっている。


どうしよう、と思う間も無く、カーブの先から足音の主が現れた。


「うげー」

とビィが言った。


どことなく日本人らしくない、無表情な顔。ほとんど模様が見えないほど色褪せた迷彩柄のシャツに、くたびれたジーパンという姿だ。

僕たちを見ても足取りは全く変わらず、ズカズカと近付いてくる。


ビィが口を開く気配があったが、

「使うな!」

と神白が叫び、ためらいなくそいつに掴みかかった。


化け物の腕がばね仕掛けのように反応し神白を掴み返したようだったが、そのままふたりは脇の笹薮になだれ込み、その先で急斜面になっていたらしく姿が掻き消えた。


「えっ、ちょっ」


「大丈夫?」

とビィが叫ぶ。


返事の代わりに、ガサガサと藪を分ける音がする。

「うう」と、神白なのか化け物なのか分からない声。

樹々が視界を遮っているためか、距離感が分からない。


ビィを見ると、表情は冷静だったが、顔色が青ざめていた。


やがて何の音もしなくなった。


遠い水音と、鳥の鳴き声だけ。風も無い。

おびただしい数の樹と、草と、土と石とが、示し合わせた嫌がらせのように沈黙している。


もう、神白がどこから落ちたのかも分からない。


いきなり目の前の藪が大きく揺れて、神白が這い上がってきた。

僕は思わず後ずさってしまった。


「大丈夫。退治した」

神白は淡々とした顔だった。

闘ったからというより、斜面を駆け上がったせいで息が切れている。


「さっすが。強いね」

ビィが茶化すように言った。


「殺したの?」


僕の質問に神白は答えず、

「コマンドはなるべく使わないで。いざという時に取っておきたい」


「でも、連中がどのコマンドを消してどのコマンドを取りこぼしているか分からないんだよ。死ぬ直前に使ってみて不発だったら結局死ぬよ」


「じゃあ、もうその闘い方は当てにしないことだ」

神白は静かに言いながら、先へ立って歩き出した。


「はあ。感じ悪いねー」

ビィはニヤニヤしながらその後を追った。

僕も慌てて続く。


しばらくの間、無言で行く神白の背中に向かってビィは「ヒーローさま」「脳筋」「群れのボス」など、えげつなく煽り続けた。


僕も人の事は言えないが、こんな事ばかりしていたら、昨日までの仲間にゾンビを差し向けられるのも無理はない。


神白はビィの煽りを全て黙殺し、分かれ道に来ると「先を見てくるんで、ちょっと待っててもらえます?」と言って、1人で右側の道へ入っていった。


僕は木の根が盛り上がったところに腰を下ろして、脚を休めた。


ビィは左の道の方へ行きかけたが、また戻ってきて、

「暇だなー」

と言った。


「暇? 僕の疲れを分けてあげたいよ」


「いや、疲れてるけどさー、頭が暇じゃん」


「頭がねぇ」


「ネットが無いし」


「大自然があるよ」

僕は終わりの見えない森に目をやった。


「原始人は暇だっただろうな、と思う。うん」ビィは大きく伸びをして首をぐるりと回した。「大自然なんてさ、3日も見てたら飽きるじゃん? だから文明を作ったんだよね」


「違うと思うけど」


神白が戻ってきた。

「こっちは、やめたほうが良さそうです。下りなんだけど、どんどん川から離れていく」


「川から離れないほうがいいの?」


「まあそうですね、一般論としては、川沿いに下れば必ず下山できる。日が暮れる前には目処をつけたいですね」


日が暮れる前には?

今、まだ朝と呼べる時間である事を思うと、僕は思い切りげんなりした。


「やっぱり、バスにでも乗ったほうが良かったんじゃない?」

さくさく歩き出してしまった2人を追いながら、僕は思わず吐き出した。


「無理だよ、まともな道じゃあ、必ず先回りされる」

と、ビィ。


「それに、山道にいる間は安全ですよ」と神白が言った。「何せ、ヤツラは歩くのが下手だから、こういう道だとなかなか追ってこれない。さっきの奴もたぶん、10人以上送られた中の唯一の生き残りでしょう。他はたぶん、途中の崖から落ちるとかで自滅してますよ」


「はは。コスパ悪い」

ビィが笑った。


「僕のほうが自滅しそうだよ」

明け方に慌てて飛び出したので、ろくな装備もない。口にできそうなものはペットボトルの水と、食べかけのカロリーメイト、ガム3枚だけ。足の小指には靴擦れができ始めていた。


それから先は、全員が無言だった。

下り坂が急にきつくなり、集中してないと転げ落ちて行きそうだった。


会話が無くなると、森は本当に静かだ。

自分の足音だけが、ズンズンと頭の中に響く。

道は曲がりくねっているが、景色は代わり映えがなく、新しい情報が何もない。

不思議と疲れは感じなくなっていき、それはランナーズ・ハイのようなものと言うよりは、単調な作業の連続による催眠状態に近かった。


こんなに激しく運動している最中にも、うっかり眠ってしまうことがあるんだろうか。


最後尾にいたはずが、いつの間にかビィを追い越していて、急に腕を掴まれた。

「お兄ちゃん、待って」


昼寝から叩き起こされたような、奇妙な感覚に陥った。


先頭の神白が立ち止まって、じっと先を見ていた。


僅かに上り坂になっていた獣道が、その先で下りに転じており、そのためにまるで道が途切れてしまっているように見えた。


その向こうで、チリチリと高い音が鳴り続けている。まるで、鈴を引きずっているような音。そして草を分ける足音。

音は一定の速さで、こちらに近づいていた。


「早すぎる」

神白が、信じられないという口調で言った。


回り込まれたのか。


この山の登山道は無数に枝分かれしていて、降り口も沢山あるから、上と下から挟み撃ちにされることはほぼ無いだろうというのが僕たちの見解だった。

そもそもヤツラの不器用な歩き方では、麓側からここまで登ってくるのには相当の時間がいるはずだ。

その考えが甘かったのだろうか。


それとも、道を間違えていたのか?

山に分け入って下っていたつもりが、県道付近をうろうろしていただけなら、簡単に回り込まれてしまうこともあり得る。

もしこの数時間の苦しい行軍が徒労だったとしたら……考えただけで胸が悪くなりそうだった。


ビィの指が僕の腕に食い込んでいる。


逃げ隠れすることもできず、呆然と立ち尽くす僕たちの前に、ついに足音の主が現れた。


今朝のヤツとだいぶ体格が違うな、と感じて、一呼吸置いてからそれが数田であることに気づいた。


「………誰?」

ビィがものすごく不審そうな声で言った。


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