「停止」コマンド
4.
「ゾンビ」を捕まえる取り組みは各地で行われており、服を脱がせるとその腹部にUSB端子のような人工の孔が見つかることも、その界隈ではよく知られていた。
しかしそれが本当にUSB端子であることに気づいたのは、おそらくこのB山で活動するグループが最初だった。
このグループも、元々は神白が指揮していたのと似たような武闘派の自警団だった。しかし、出入りしていた西橋という学生が「端子」に気付き、拘束したゾンビをパソコンに繋いだ時から、すべてが変わってしまった。
無類のITガジェットオタクである西橋は、ゾンビの腹部に埋められた機器からソースコードを読み取ることに成功し、またそれを書き換えることで彼らの動きを変えられることに気づいた。
西橋はSNSを通じて同様の知識を持つ者たちを呼び集め、ソースコードの書き換え実験を繰り返した。
そうして、B山はいつの間にか付近の村をも巻き込んだ巨大な実験場と化していったのだった。
「プログラムに使われている言語は珍しいものではないですし、操作方法は意外と単純です。根本的な仕組みはブラックボックスですが、とりあえず動かすことは可能です」
リーダー格らしき男が、どうにも言い訳がましい口調で僕たちに説明した。
「ただ厄介なのがこいつらの自爆癖で。だいたい捕らわれそうになると捨て身で激しく暴れて、捕まえたころには損傷がひどくなってる。無傷のまま生け捕りにするとさっきのように『爆発』します。そのため、普通に戦っててもお腹の機構に気付く人がほとんどいないのだと思います。なんとなく機構があるなとは思っても、詳しく調べるチャンスがない。
私たちの研究がここまで進んだのは、とにかく偶然や幸運が重なった結果です。本当に偶然にも、無傷に近い状態で昏倒した個体を手に入れられた。それを西橋さんがすかさず解析してくれた。ソースコードの記述から自爆のトリガーを予測することで、ある程度の時間は自爆させずに彼らを捕らえておけるようにもなりました。
しかしやっぱり、ある程度の時間までです。いずれは自分が囚われの身であることに気づき、爆発してしまいます」
僕と神白が座っている椅子は白かった。テーブルも白い。出された紅茶は上品な香りの湯気を立てている。
しかし、先ほど見た生々しい血の衝撃はまだ全然消えていなかった。
僕の手はずっと小刻みに震えていた。
あいつらはどうやら人の心を持たず、また並の動物らしい知能すら持っていない。
だがその身体に血が通っている。
あんなにたくさんの血が……つまり、僕の身体と変わりない量の血が。
そもそも自分自身の身体に大量の血が通っていることすら、僕はふだんよく考えたことは無かった。
「キョンシーというのを思い出しますね」神白が言った。「昔、流行ったんですよ」
神白が僕を見たので、僕は「妖怪だっけ?」と言った。
「キョンシーは人間の死体です。死体に禁断の呪術をかけ、術者の意のままに動く操り人形として復活させる」
「そういうものであることを祈ってますよ」
リーダー格の男はなぜか苦々しい顔で言った。
「え、どういうことです?」
「彼らの『材料』が死体であることを心から願ってるということです」
「え、でも……」
「分かりませんか?」男は苛立ったように言った。「我々の懸念は、彼らの材料が生きた人間なのではないかということです。その疑いはどうしても晴れない。だからここにいるメンバーたちは日々怯えています。自分たちは恐ろしいことをしているのではないかと」
僕はぼんやりと、男の顔を見つめてしまった。
「そのふたつは何か違うんですか?」と神白が言った。
男は鼻白んだ。
「ぜんぜん違うと思いますがね」
「ヤツラの元が生きた人間だったと思うより、死んだ人間だったと思うほうが、罪悪感が減るということですか?」
「げんに我々は罪など犯していません」男の声は一段高くなった。「彼らの機構に書き込まれた、他者を傷つけろという指令を書き換えて、壁を塗り替えるという無害な指令を与えているんです。今はまだ無意味なことしかさせられませんが、もう少し調整が進めば町内の清掃とか、警備とか、そういう有用な指令を与えられるようになります。そうすれば……」
「ヤツラと共存することができる?」神白は冷たく遮った。「問題はそういうことではないと思いますよ」
「でも、他者を攻撃し続けるなんて彼らは望んでいないはずです。もし、ですよ、もし、彼らが元は生きた人間だったとしたら」
「死んだ人間なわけないじゃん」
僕は我慢しきれなくなって言った。
「え」と男は間抜けな声をあげた。
「馬鹿じゃないの? 死んだ人間を蘇らせて動かすなんてできない。ヤツラは生きてた人間を手術してあの形にしたものだよ。それ以外に可能性があると思ってたの? もし、事故か病気かで死にかけた人を使ったのだとしても、あんな形で好き勝手に動き回れるってことは、正しく治療すれば蘇生する見込みが十分にあったってことじゃん」
男が唖然とした表情をみせたのは、ほんの一瞬だった。
彼はすぐにその顔を引っ込めて、重苦しい無表情に戻り、「そう……そうですね」と言った。
「いずれにしろ既に死んでいる」神白は低い声で言った。「あなたたちは、死人に鞭打ってるだけですよ。恐ろしいことをしてるんじゃないかって、そりゃ恐ろしいですよ。罰当たりです。それは自分たちで日々実感してるんでしょう?」
「けど、殴り殺すよりはずっとマシです」と男は言った。「我々は彼らを救済しているつもりです。今はまだ、その技術が未熟なだけで……」
「その点についてはいくら話し合っても分かり合うことはなさそうですね」神白はそう言って、まだほとんど手をつけていない紅茶のカップを少しだけ押しやった。「伊東君、帰って寝直そう」
「待ってください、このことをですね、口外されては……」
「おいおい、口止めする気ですか」神白は呆れたように言った。
「そのためにこうしてお引き止めしてるんです」
「いや、諦めてくださいよ、それはさあ」
「こればかりはどうしても、困るんです」
「かと言ってあんたたちが纏まった大金を積めるようには思えないし、まさかちょっとしたお小遣い程度で僕の口を塞げるとは思ってませんよね? それとも武力を使いますか? 監禁するにしても拷問するにしても、そんなことする設備も度胸もあるようには思えませんね」
「もちろんそんなことできません。お金もありません。だから正直にすべてお話ししてるんです」男は白いテーブルに突っ伏すようにして頭を下げた。「お願いしますよ。『爆発』のことを言いふらさないで欲しいんです。実験が続けられなくなってしまいます。我々の実験を邪魔することであなた方に何かメリットがありますか?」
「逆に、実験をすることでどんなメリットがあるんですか?」
「すべては、元の生活を取り戻すためです。彼らが現れてから、この国は衰退する一方じゃないですか。何かをしないと。立ち向かわなければ」
「うーん、じゃあやっぱり僕とあなたが分かり合うことはないな、と思いますよ。ご存知かもしれないですが僕はずっとM県でヤツラを殴り殺す活動をしてきたんです。それが唯一の方法だと信じていたからです。今もその信念は変わりません。僕は地獄へ行くつもりですよ。ヤツラは歩く死体でしかないし、僕はそれを正しく葬ってやってるだけですけど、それでも自分が地獄へ行くだろうと思ってます。不謹慎で罪深いことをしている自覚はある。けどあなたたちのしてることほどじゃないですね」
「けど、……」
「あなたたちはあなたたちのやり方を正しいと信じるわけでしょう? なら隠し立てすることもない、堂々と続ければ良いと思います。僕を口止めして何になります? いずれどこかから漏れますよ。今、あなたが僕たちにしてるように、真摯に自信を持って世間にご説明なされば良い」
僕は神白の言い分を聞きながら、まあなんと威勢のいい口調でクズのような主張をできるものだと思っていた。
神白の言っていることは要するに、何らかの悪意によって自我を失わされた人間を、もはや人とは見做さずに抹殺するということだ。信念というより信仰に近いものなのかも知れない。そしてそれは間違いなく狂信の部類だ。
地獄へ行く覚悟がある? そういう捨て身な態度がいちばん厄介で、傍迷惑になるのだろう。
かと言って、目の前の男の言い分も僕はいけ好かなかった。
血みどろの人体実験を繰り返しながら、「救済」とはよく言えたものだ。
「そんなことできないのは分かってるでしょう?」男はすっかり困り顔だった。「『爆発』の可能性を町の人に知られたら、もう『試走』はさせてもらえない」
「別に町の人々に触れ回る気は無いですけど、絶対誰にも口外しないとお約束はできませんよ」
「そこを何とか、我々がある程度安心できる程度には何かお約束をしていただけないかと」
「何とか、とか言われても。僕はそもそもこんな事だろうと当たりをつけてわざと今日踏み込んだんですから。僕が今日これを知ったのは偶然ではないんですよ。僕の強い意志なんです」
「だからそれが困るんですよ……」男はもう、議論をほぼ放棄して泥沼に持ち込もうとしていた。
確かに、双方に決定的な交渉材料がないこの状況では、ごね通した者の勝ちという線は否めない。加えてここは相手のホームであり、僕たちは寝不足でアウェイに留められているという点でどうしても弱みがある。
神白はどうする気だろうと、僕はひとごとのように俯瞰した。
「我々はね……」
「あのですね」と神白は相手を遮って急に身を乗り出した。「長くかかりそうだし、食べ物、何かありませんかね? 僕たち、実は相当腹が減ってるんですが」
「は、はあ……カップ麺とかなら」
「じゃ、お願いしますよ。すみませんね」
「わかりました。ちょっと待っててください」男は立ち上がって部屋を出て行った。
神白は無言で、音も立てずに、素早く立ち上がった。
目配せをされなくても、その意図はすぐに分かった。
逃げる。
神白はさっと廊下に出た。そして迷わず走り出した。いい走りっぷりだった。
僕も全力で走った。
元来たケーブルだらけの廊下を走り抜き、あと数歩で玄関というところで、
ビィが別な部屋から出て来た。
髪型が変わっていた。いつの間にか肩下まで伸び、雑に下ろしている。
地味で安っぽいシャツにジーパン姿で、顔つきは急に大人びたように見えた。
ビィの目には、驚きよりも眠気のほうが色濃く出ていた。
神白は立ち止まらずに「来い!」とだけ言って、玄関の戸に飛びついた。
僕は駄目もとでビィのか細い腕を掴み、引いた。
ビィが素直について来たので、僕は驚いた。
数分後、僕たち3人は真っ暗な林道を無言で、小走りで進んでいた。
僕たちは一言も口をきかず、それぞれが持ったペンライトで自分の足元だけを照らし、ひたすら下り続けた。
林道を抜け、街灯に照らされた舗装道路に出ても、まだ無言で、足も緩めなかった。
息もつがずに、歩き続けなければ、ビィがまたどこかへ去ってしまうような気がした。
僕はビィの顔を見ることができなかった。
「それでどうするの?」
宿が見えてきたとき、ビィが言った。
僕は初めて歩を緩め、神白を見た。
「通行証をもう一枚取るしかない」神白は淡々と言った。「ショウコさんのぶんを頼もう。急いでもらおう。あと、僕が畑を手伝ってた家で車が一台余ってるので、それを売ってもらいます。伊東君のお金を少し借りたいんですが」
「それはいいけど」僕は言った。「というか君、ショウコという名前なの?」
「そういうことになってる」と、ビィは言った。
「問題は通行証が取れるまでの間、連中が黙っててくれるかどうかなんですよね」
「黙ってないと思うよ」とビィは言った。「どうせ私は連れ戻されるよ。何をしたって同じこと」
「そんなことさせない」と僕は言った。
ビィは眠たそうな目で僕を見た。
「お兄ちゃん。もうどうしようもないよ。この山一帯が檻みたいなものなんだから。人間が下山できる道は二つしかない。山の表と裏に一本ずつ。見張りを二人立てるだけで簡単に封鎖できるんだ。だから今の今まで情報が漏れてないんだよ」
こうした活動を山奥で行なうメリットが、僕にもようやく分かった。
「助けを求めてみましょう」神白が言った。「あの大学のお姉さんなら何か手立てを持ってるかも知れません」
「君、少し成長したね」と僕は言った。
「はあ」神白は今までで一番雑な流し方をした。
僕は目が冴えて仕方なかったが、神白もビィも相当眠そうだった。ビィの目はもう半ば閉じかけていた。
どちらにしろ、夜が明けるまでは何もできそうになかった。
ひとまず僕たちはビィを連れて部屋に戻った。
神白は予備として押し入れに入っていた座布団をまとめて引っ張り出し、自分の寝床を作ると、無言で明かりを消して横になった。
ビィも、特に断りもなく僕の使っていた布団に潜り込む。
僕はまったく眠れる気がしなかったが、仕方なく神白の使っていた布団に入った。
寝返りを打ち続けていたような気がした。
「は」
という声で目が覚めて、僕は眠っていたことに気づいた。
神白が暗闇に起き上がっていた。
そのただならぬ様子で、僕は一気に目が覚めた。
「何、なんなの」
「ミスった」神白は立ち上がろうとしたまま固まってしまい、目をぎゅっとつぶって、また開けた。「油断した!」
「何」
「服を着ろ」
「着てるよ」
「彼女も着てるか?」
「さあ……」僕はビィが寝ている方向を見た。
ビィは頭まで布団をかぶっていて、姿は見えなかった。神白の様子から緊急事態なのは分かったが、布団を剥ぎ取るのも気が引けた。
「彼女に服を着せろ。五秒で!」
神白は無茶苦茶なことを言って立ち上がり、障子と窓を開けた。
まだ空は暗い。
ガサガサと耳障りな音がしていた。誰かが外にいる。
ここは二階なのに。
神白は何かよくわからないうめき声をあげて、いきなり窓の上に飛びついた。そこに取り付けてあった空のカーテンレールを、体重と腕力に任せて剥ぎ取る。
すごく嫌な音を立ててカーテンレールは壁から外れた。
神白はその細い金属の棒を、窓の下にいる何かに向けて尽き下ろした。
あまりにも無慈悲な、そして明らかな殺意を込めた動作だった。
僕はぞっとした。
カーテンレールのリングがぶつかり合う乾いた音が繰り返された。
神白の動きには迷いがなかった。彼の、取り立てて筋骨隆々というわけでもない華奢めな身体が、ひとつの目的のために統制し躍動していた。
ずっとこんなことをしていたのか。あの山深い農村で、「防衛」と称して。
僕は神白のことをここしばらくで随分と知ったつもりだったが、考えてみれば彼が戦っているところを一度も見たことが無かった。
そして戦っていないときの彼は、いつも気が抜けるほど温厚で控えめだった。
僕がどれほど言葉で挑発しても、神白は笑うか、せいぜい不愉快そうになるだけだった。県境の道沿いで不良まがいの一団に絡まれたときでさえ、大柄な数田を頼ってへらへらと逃げ回っていた。
僕はいつの間にか神白を、自分と同じ領域に住む人間だと思い込んでいた。
それがまったくの幻であったことに気づいて、僕は自分でもびっくりするほど打ちのめされてしまった。
「何匹いるの」
ビィは起きていたらしい。
僕を押しのけて窓際へ行き、遠慮なく神白に近付く。
ビィに気づいた神白は迷惑そうに何か言いかけたが、
「ていし」
とビィは、窓の外に向けて言った。
耳障りな音が消えた。
「え」
神白は慌てて下を覗き込む。
僕はようやく、ふらふらと窓際へ近づいた。
窓の下、街灯の光から外れた薄暗いアスファルトの歩道に、作業服姿のかたまりが折り重なって落ちていた。
あまりにも人間に似ていたから、吐きそうになった。
「なんすか、今の」
肩で息をしながら、神白はビィに聞いた。
「隠しコード」ビィは無表情で言った。「私の声にだけ反応するように、いくつか組んでる。こっそりね」
「こっそり? なんで……」
「保険だよ。制御が効かなくなったときのために」
「それはそうだろうけど」
「分かってる?」ビィは神白の言葉を遮った。「制御というのは、こいつらの制御じゃなくて、あの組織の制御だよ。あんなトウシロウの寄せ集めの組織、いつか必ず仲間割れする。そのとき、必ず誰かが、こいつらを本来の使い道で使おうとする。そんなことになったら、悪夢だなと思って」
「確かに、悪夢だ」神白はすごく嫌そうな顔でもう一度、窓の下を見た。「あいつらは、しばらくあのまま?」
「他の命令が入らない限りは、当分動かないと思うよ。保証はできないけどね」
「よし、じゃあ出よう」
神白は窓を閉め、僕たちを急き立てた。
僕はもうなんだかわからなくなって、ビィが持ってきてくれた自分のリュックを呆然と受け取った。