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山村の実験場

2.


気の滅入るような曇り空だった。


今夜の宿を当て込んだB山中腹の温泉街まで、道のりにして5キロ、標高にして200メートルほどあった。


僕と神白は上りのきつい階段を上がりながら、ずっと言い争っていた。


「僕が、原因だって言うの?」


「原因じゃないだろうけど、伊東君と行動してることで僕が何か得ているとは思わないで欲しい」


「何も得てないだろうよ、君がおせっかいを焼こうとしたのが始まりだろ。僕がC県まで送ってくれと頼んだ?」


「そういう言い方は良くないだろう」


「恩に着せる気? ほんと図々しいね、分かりやすく金を要求する数田のほうがまだマシだよ」


「あなたね、お金を持ってるからって疑心暗鬼になりすぎだよ。はっきり言ってたいした額でもない」


「たいした額じゃない? 同じ額稼いでから言いなよ」


「伊東君の稼いだ金でもないだろう」


階段を上りながらなので、僕は息切れを起こしかけていた。

しかし、荒い息をすると負けたように感じるので、強がって普段通りの声を出していた。

今にも声が裏返りそうで、息も苦しく、頭がぐらぐらした。


自警団の活動で里山を駆け回っていた神白は、僕よりはずっと体力に余裕がありそうだった。


けれども、「頼むよ、もう息が苦しいから」と先に言ったのは神白だった。


神白は立ち止まってしばらく息を整えた。


僕たちより7段ほど上を行っていた数田が振り返り、

「終わった?」

と聞いた。


僕はもう何も言い返す気力がなかった。

しかし、神白が「お前もちょっとは気を遣えよ」と声を荒げた。


神白が数田に苦言を呈すのは初めてだった。


「付かず離れずみたいな、都合のいい場所取ってんじゃねえよ。その、おれは知りませんみたいな態度は、なんなんだよ、真面目にやらないなら付いて来んな」


数田はその動物的な黒い目でじっと僕たちを見比べてから、

「ま、分かれ道に来てから考えようか、それについては」

言いながらまた先へと上っていった。


確かに、もうずっと一本道で、付いて来るも何もなかった。


僕たちは互いにだんまりを決めたままひたすら上った。


結局、分かれ道がないまま、温泉街に着いてしまった。


そして、街の風景を見た途端、僕たちは諍いのことを忘れた。


全ての壁が、壁という壁が、黒く塗りつぶされていた。


真新しいペンキの跡がわかる。

民家も店も、母屋も離れも、古風な電話ボックスのガラスの壁までもが。

べったりと均一な、安っぽい黒だった。


何かの呪術か、イタズラなのか……どちらにしろここまでする意味がわからない。


夕暮れの小雨の中、僕たちは顔を見合わせながら黒い町を歩いた。


観光地のはずなのに、ひとけがなくひっそりとしている。


しかし数田は、

「ここは冬のスキー客が中心だから。夏場はこれくらいでも変ではない」

と言った。


土産物屋が見つかったので、僕たちはとりあえず入った。


何処ででも売っていそうな量産品のお土産が、安っぽい棚にダラダラと並んでいた。


レジカウンターには、なんとも言えない野暮ったい格好をした若い女がいて、低い声でいらっしゃいませと言った。


「あの、急に申し訳ないんですがね」

神白はその女に丁寧な物腰で声を掛けた。


僕と初めて会った時もこの口調だったな、と思った。


「この山の地図を持ってませんか? 山小屋や、合宿所の場所がわかるようなものを探してるんですが」


「はあ」女は無表情で首をひねった。「うちにはないですけど」


「うーん、そうですか。持ってそうな人、知りません?」


「ちょっとわからないですね」

まったく取りつく島もない。


しかし神白は気にするふうでもなく、「そうですか。まあ他で聞いてみますよ」


「壁のことで、来たんじゃないんですか?」

女は不審そうに、そう言った。


「壁? ああ、あの壁はどうしたんです?」


「普通は先にそう聞くよ」

と女は言った。薄く笑っている。


「最近塗ったように見えますけど」


「塗ったわけじゃないよ。やられたんだよ」


「やられた?」


「そう、ほら、いま流行りの、アレにね」


「人の形をしたヤツラに?」

神白の目が少しだけ鋭くなった。


「まあ、そう、そういうヤツに」


「こんなことをするんですか。こういう被害は初めて見ましたね」


「他の被害を見たことあるの?」

女は小馬鹿にしたように聞いた。


「ええ、まあ、色々ね」

神白は曖昧な答えで流してしまった。


「もしかしてS村の人?」

と、女は言った。


「いえ? どうしてですか?」


「あそこも実験に使われてるって聞いたから」


「実験?」神白は急に不安そうな顔をした。「どういう意味ですか? 誰かが実験をしてるんですか?」


「ロボット人間の動作チェックだよ」


「ロボット人間?」


「あ、知らないんだね、じゃ忘れて」

女は片手をめんどくさそうに振った。


神白は黙って、考え込む顔をした。


気まずい静けさが生まれた。


数田は飽きてしまったらしく、ひとりで外に出て自販機のアイスを買っていた。


「ゾンビはロボットなの?」

と、僕は聞いた。


「さあ、私は知らない」

女は意図のよく分からない笑みを浮かべた。


「誰かが、ヤツラの使い方を試しているのでしょうか」

神白が聞いた。


「そうかも知れない」

と女は言った。


「でも……」


「私に聞かれても困るんですよ」

と女は言った。

「私はもうこの村の者じゃないんです。大学が夏休みの間、店番を手伝ってるだけで」


「あなたの知ってることだけで結構ですよ」

神白はほとんど猫なで声のような声色で言った。


「私が知ってるのは、こういうことを」女は外の景色を顎で示した。

「町の連中が黙認してるということだけ。きっと金をもらってるんでしょう。誰が誰にとか聞かないでね。私が帰ってきたときにはもう、そうなってたんだから」


「ロボット人間のテストというのは?」


「見てればわかるよ。あれは低レベルなアルゴリズムで動くロボットだ。そしてプログラマたちはこの町を定期的に襲わせて、その結果を見ながらデバッグをしている」


「はあ」

急に聞きなれない言葉が並んで、神白はぽかんとした顔になった。

「あの、それはつまり……」


「低レベルなアルゴリズムというのは、歩き方に柔軟性がない点を指してるんですか?」

いつのまにか数田が戻ってきていて、いきなり横から割り込んだ。


僕と神白は呆気に取られたが、女は「まあそれが一番ですね」と、普通に答えた。


「ただ、そもそも柔軟な歩き方を目指してないようだね。社会との協調が目的ではないのは明白だ。人にぶつかったり物を壊したりすることをまったく恐れていないから、あの程度のアルゴリズムで問題ないと考えているんだろう。それよりも、彼らが熱心にデバッグしているのは建物の形状の把握能力だ。壁を塗らせるという作業を、この能力のメルクマールにしている」


「でも、何のためでしょう」

神白が聞くと、


「社会性がない連中が建物の形を知りたがるとしたら、テロか戦争でしょ。ま、もっと平和的なところで、全自動空き巣マシーンかも知れないけど」


「そのプログラマたちの根城が知りたいんです」

と、数田が言った。


「だから知らないって」

女はまた小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


「本当に?」

数田は食い下がった。


「知りたきゃ、ロボットの後をつければいいじゃん?」

と、女は言った。


「あなたはつけたことないんですか」


「なぜそんなことする必要があるの?」女はまるで怒ったような口調で返した。

「私が大学で担当してるロボットのほうが上手に歩ける。あんなガラクタに学ぶことは何もないね」


女の自慢げな自己紹介に、数田はまったく反応しなかった。


「ともかく」

と、神白も四文字で片付けた。

「ヤツラの次の襲撃はいつになるでしょうか」


「私はヤツラの番人じゃないんだよ。売り上げに貢献しないなら帰ってくれる?」


「来た」

と、数田が外を真っ直ぐに指差した。


そして僕は、初めて、それを目の当たりにしたのだった。


人のようなものの集団が通りを動いていた。


10人以上いるように見えるが、20人まではいかない。全員が、当たり障りのないスニーカーとジーパン、作業着風のシャツ姿だった。


ヤツラの歩き方は、驚くほど人間に似ていた。手足の動きは滑らかで自然だった。足取りはしっかりしており、転んだり、ふらついたり、身体の一部がこわばったりする様子もない。

だから、ぱっと見は何かの視察団か、土木作業員のようにも見えた。


しかし、異様なのはその動線だった。


僕の目には、店が面している通りはほぼ真っ直ぐに見えたが、厳密にはごく僅かにカーブしているようだった。


そしてヤツラの先頭を行く数名は、そのカーブを認識せず、律儀に直進しようとしていた。


すると、すぐに道をそれてしまう。草むらや付近の店の駐車場に踏み込み、つまづいたり、ポールに身体が当たる。


ヤツラはそうなってから初めて、元の道を探し始め、元の道に戻ると、また直進し続けるのだった。


そして、列の後ろのものたちはもっと悲惨なことになっていた。


どうやら集団で歩くための距離の取り方や協調の仕方が、まったくわからないらしい。


後ろのものたちは2秒おきに自分の仲間にぶつかっていた。

そのたびにヤツラは微妙に、ランダムに向きを変えて、歩行を続けていた。

すると、真ん中のものは何となく先頭を追って進むことになり、両端のものはしょっちゅう列を離れてあらぬ方向へ進むことになった。


しかし一定距離以上離れると、何らかの理由で道が間違っていることに気づき、また仲間たちの近くに戻ってくる。


そしてヤツラは何がどうなっても歩く速さを全く変えなかった。


「確かに人間じゃないね」

と僕は言った。


「何度見ても殴りたくなる」

と女が言った。


数田は無言で店を出て行った。

神白が慌てて追いながら、

「どうする気なんです?」


「ずっと付いて歩けば、いずれ元来た場所に帰るんだろう」

と数田は言った。


僕もふたりを追った。

神白は、数田がヤツラの行き先にこだわる理由がわからない様子だった。


しかし、僕には数田の考えが読めていた。


信じがたいことだ。

それでも、状況から見ればその可能性は高い。


「B山中で今、行われてるハッカソンは、これなんだね?」


「しょうがない」

というのが、数田の返答だった。

「見る人が見れば、この動きが安上がりなロボットのそれだということはすぐわかるだろう。あんたの探してる人がその畑の人なら、誰がこれを動かしているのかという点に注目し、自分でも動かしてみたいと思ってしまっても、仕方がない」


「君はいつの時点でこれを予測してたの?」


「予測なんかしていなかった」

数田は不機嫌そうに言った。

「俺は本当にこの隣の町の人間なんだ。ただで帰れると思ったから同乗しただけで」


「じゃ帰ったら?」

と僕は言ってみた。


「そうだな」

と数田は言った。


それきり、無言で歩き続ける。


本当に性格の悪い男だ。


ヤツラの群れは非常に効率の悪い足取りで、通りの突き当たりの丁字路を目指していた。


道端にどこかレトロな色合いの朱色のポストがあって、その上に、若い女が無造作に腰掛けていた。


だぼだぼの作業着のようなもので着ぶくれていたので、僕はわりと目の前に来るまでそれが誰だか分からなかった。


通り過ぎていく「人ならざるもの」の群れを無言で見送ってから、女はこちらを振り向き、すごく無感動に片手を振った。


「あ、お兄ちゃん」


「な……」と僕は言った。


なんで、と聞くのは変だ。ビィがこの山にいることは知っていて、だからこそ僕たちはここに来たわけで、むしろ、手間が省けて良かったというべきか。


いや、やはり、なんだろう、これは。


「怒ってるの?」

ビィが言った。


「なぜこんなことに関わってる?」

と、僕は聞いた。


「ごめんね、誘えば良かった? でもお兄ちゃんは受験が第一だと思ったし」


「そういうことじゃ……」


「というか、お兄ちゃんこそ、なぜここに来たの? というか、相変わらずソイツ、来てんだね」

ビィは神白を目で示した。


「はあ、すみません」

と神白は言った。


僕は黙って5秒考えた。

会話の中での5秒というのは、すごく長いものだ。

ビィはじっと僕を見つめており、無表情だった。


「帰ろう」

と僕は言った。


「何が?」

とビィは首をかしげた。


「家に……それぞれの家に、戻らないと」


「私は実家を出たのよ。手紙にそう書いたでしょ」


「けど、こんなことに首を突っ込んでるべきじゃないよ」


「それは私が決めるんだよ。だいたいこんなことって、どんなことだか分かってるの?」


「それは……」


「私はこの現状を打破するためにできることがあるんだ」

ビィは手紙に書いていた言葉を繰り返した。


「でも」


「ごめん、もう行くね」

ビィは勢いをつけてポストから飛び降りた。


すっと、近づいてきたバイクが横付けになり、背の高い男が脚を突っ張って車体を傾けた。顔はヘルメットで見えない。

ビィは当然のようにその後部に乗り込んだ。

バイクは景気の良い音を立てて発進し、ヤツラが去っていった方向へと、あっという間に遠ざかり、カーブをきって見えなくなった。


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