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関所の憂鬱

2章


1.

特殊事態物流法、通称「関所法」が施行されて一週間が経った。


これは完全に今回のこの事態のためだけに作られた法律で、平たく言えば全ての県境に関所を置くというものだった。


県境をまたぐ道路を行く車はすべて一度止められ、「身元が十分に確認された者」しか通ることを許されない。電車はもっと厳しく、身元が「不十分」な者は改札で追い返され、ホームに入ることができなかった。


そしてこの「十分に確認」というのが難題だった。何を満たせば合格なのか、基準が公開されていない。ある関所を通過できても、次の関所を通れるという保証はなかった。


大企業や公的機関など、大きな組織の一員であればかなり自由に動けるらしい。特に、仕事上の必要があって関所越えをする場合は、あらかじめ話を通しておくこともできるようだ。


いっぽう、僕のような未成年者や、神白みたいに無職の者は基本的に駄目だった。「事故」で車を失い、雨に濡れてラブホに駆け込んだ日から一週間、僕たちはいまだにF県から出られずにいた。


「飯なんだがな」

数田が何処からかふらっと戻ってきて、藪から棒に言った。

「この先で今日、炊き出しをしてる」


「この先で、ね」

僕はうんざりしていた。


この数日、情報提供と引き換えに小金をせびってくるこの数田という男、何かと言えば「ちょっとすぐそこ」みたいな言い方をするのだ。実際、彼の鍛え抜かれた健脚なら、山をひとつ越えてスープを一杯もらいに行くくらい、どうってこともないらしかった。


「数田さんの脚でどれくらいなの?」神白も期待しない顔で聞いた。


「俺が朝ここを出てから、今戻ったわけだから、片道1時間は掛けてないと思うが」


「やめ、やめ」僕は首を振った。「コンビニ屋さんを待とう」


僕たちは、歩道橋の階段下の出っ張りをベンチ代わりに、日差しを避けて座り込んでいた。

関所法が施行されてからは、こんなふうに昼間は日陰で休み、夜になると基準の緩いと言われる関所に向かってゾロゾロと移動していく、「流浪者」が見られるようになった。


そして、こうした流浪者の客を当て込んで、コンビニなどで購入した食料を道端で転売する闇業者「コンビニ屋」が繁盛していた。元来割高なコンビニの商品をさらに上乗せして転売するわけだから、とんだぼったくりだ。しかし、移動手段が徒歩しかない者にとっては、コンビニ屋との取引はライフラインですらあった。



数田は無表情だったが、目だけ少し不満げに細くなった。

「もうすぐ『ツナマヨ』の相場は千円を超えるぞ」


「どうして『ツナマヨ』限定なの」


「日持ちしないからだろう。他の具も700円からだ。馬鹿げた値段で買う奴がいるから連中が付け上がるんだ」


「君も健脚なら、コンビニ屋を開けば」


僕の軽口に、数田は呆れた目をして、それ以上何も言わなかった。


神白が数田をわりと丁重に扱っているのは、体格が良いから、とのことだった。自分たちのそばにいてくれるだけで、ある程度の用心棒になると。


実際、僕はかなり痩せているし、神白も背が低めとあって、ふたりだけでいると不良のような連中に挑発されることがあった。

それに引き換え、ずんぐりとした体型で背丈もある数田が一緒のときは、絡まれることが全くない。


また、数田は物知りで野宿の技術にも長けていた。ライターひとつで大きな火を起こしたり、コンビニ屋から買った食材を日持ちするように加工したり、安全で虫が少ない寝床を確保したりできた。

おかげで僕たちは、他の当てずっぽうな流浪者よりはかなりマシな旅をしていた。


それに、僕には自宅から持ち出した大金があった。

だから、天気が悪そうならホテルに入ってしまうこともできたし、コンビニ屋にいくらふっかけられたところで、結局は欲しいものを欲しいだけ買うことができた。


用心深い数田は何も聞いてはこなかったが、僕がかなりの金額を持ち歩いていることを察しているようだった。だからこそ、彼のせびりかたも日に日に図々しいものになっていくのだった。


うだる暑さだった。F県の南端だ。僕の住むM県よりは確実に暑い。しかも、僕はここ何年も、インドアで勉強ばかりして身体を甘やかしてきた。


日陰に座っているだけで苦行だった。


「伊東君、ご相談なんですけどね」

神白が言った。


僕はじっとりと目線だけ送った。声を出して返事をするのが億劫だった。


「僕たちのそもそもの目的は、伊東君の生活環境の向上ですよね。お父さんのところへ行くことになったのは、お母さんの捜索と、生活基盤の確保に、助力いただけるはずだったから」


「そんな呑気な話だった頃が懐かしいね」

僕はげんなりして言った。


神白は構わず続けた。


「C県のお父さんのところへ行くには少なくとも2度の関所越えをしなければいけません。引き返して家に帰るにも、1度は関所をパスする必要がある。この際、徒歩でこのF県内をさまよう辛さは置くとして、この先も何度も関所にアタックして疲弊するよりは、関所を通らずにことを済ませる方法を考えたほうが早いかも知れません」


「通らなきゃどこへも行けないよ」


「F県内で目的を達するんです。生活環境を確保し、お母さんの捜索をするための準備を進める。F県内で」


「どういうこと? つまり」


「あなたの恋人はF県にいるんですよね。手紙によれば。彼女は少なくとも屋根と食事の確保された環境にいるのではないでしょうか」


「はあ、まあ、そうかもね」


「ここからB山までとなると徒歩では相当遠いですが、少なくとも、努力すれば確実にたどり着ける。なぜなら関所越えが必要ないからです」


僕だってそれを考えなかったわけではない。

しかし、あの手紙には「B山中でハッカソンの続きをする」としか書いていない。場所の手掛かりとしては貧弱に過ぎる。


それに、ビィがまだそこにいて再会できたとして、せいぜい雨宿りをさせてくれておやつを出してくれるくらいが関の山だろう。


僕がそう言うと、神白は「もっと重要なことができます」と言った。


「そもそも関所法が何のために運用されているか考えてください。目的はテロリストを交通網から排除することです。これから僕たちが最優先すべきは、自分がテロリストではないことを証明することなんです」


「ビィに、僕たちの身元を保証させるの?」


「関所をパスできるほどの保証にはならないでしょう。しかし、そのイベントの主催者や他の参加者に対しては、ある程度のコネになってくれるはずです。どんな人達が集まるイベントなのか分かりませんが、中には社会的信用のある組織に顔のきく人もいるのではないでしょうか。そうした人を通じて、何らかの下仕事をもらって、その組織に雇われるという体を取れば、僕たちは身元が保証された人間に格上げされ、関所を通りやすくなります。

つまり、就職活動をするのです」


ニートがこんなことを言い出すようでは、本当に世も末だ。


僕たちは数田に大まかな事情を伝え、B山までどうやって行くかを相談した。


例によって自分の脚基準の答えが返ってくるのかと思ったが、数田は冷たく、

「あんたたちの根性じゃ来年までに着くかどうか」

と言った。


「そこは頑張りますよ。生活がかかってるんだから」

と、神白は言った。


「どうだかな。現状に疑問を持ってない時点で、真剣味に欠けてるように、俺には見える」


「疑問、ですか」


「関所法なんてものがまかり通っている状況がどういうことだか、わかってるのか? 努力してそれに適応することで、あんたたちはこの不条理に加担することになるんだぞ」


数田が自分の考えを述べるなんて珍しいことだと僕は思った。いつも寡黙で、たまに口を開けば自分の取り分のことしか言わない人間だったから、インテリとは程遠い奴なのだと思っていた。


「そりゃそうですけどね……」

とだけ言って、神白はあっさり流した。


けっこう高度な議論を仕掛けられているはずなのに、まともに応じる気がないらしい。


大人の余裕ってこういうやつなんだろうか、と僕は思った。


コンビニ屋が回ってきたので、僕たちはめいめい好きなおにぎりと飲み物を買った。

そういえば、近ごろは異物混入について気にすることもなくなった。

食べ物が買えるだけありがたい、という状況になってしまい、何か入っていたら吐き出せばいい、と割り切っていた。そして、いまのところ何か入っていたためしがなかった。無味無臭の劇薬が入っていたら一発で死んでしまうわけだが、そもそも、そのような犯罪を防止するのは根本的に不可能だ。


「ヒッチハイクで距離を稼げるといいんだが」

数田はどこからか手に入れてきた段ボールの切れ端とマジックペンで、「B山方面 3名」という看板を作った。


「3名って、君も付いてくる気なの」

と僕は聞いた。


「俺はもともとそのあたりの人間だし」

と、数田は言った。


「じゃあここには何しに来たの?」


「何かな、自分探し」

数田の口調は明らかに適当だった。


僕を子供だと思って馬鹿にしているに違いない。


「あのさ、僕お金持ってるんだよね」

と、僕は言った。


「知ってる」と数田。


「だから、なんならここからB山までのタクシー代出してもいいんだよ」


「2億円持ってるならそれでもいいがな。どうせ百万がいいとこだろ」

数田はかなり正確に金額を言い当てた。

「本気でここで生活を立て直すつもりなら、かなり心もとない金額だぞ。あんたは学生だから分からんかも知れないが」


やっぱり馬鹿にされている。


「その心もとない金額にたかってるのは誰なの」


「何を言う。貧しい者はより貧しい者にたかるんだ」


つくづくムカつく男だった。


初めにヒッチハイクに反応したのは、正面にベンツのエンブレムの模造品をつけた、小さめのワゴンだった。


「通り道ですけど?」

フレームの太い眼鏡をかけた、妙に真面目そうな感じの男が運転席から顔を出した。


「いえ……ちょっと申し訳ないんで」

と、神白が言った。


僕も乗る気はしなかった。


後部座席に固定されたチャイルドシートの幌の中から、赤ん坊の金切り声が聞こえていたからだ。


「ああ……」男は後部を少し振り返った。「いつもはすぐに泣き止むんですけどねえ。おお、よしよし。よしよし。ダメか。うーん、ダメか……」


男はおざなりな会釈をして走り去った。


その後に止まった車も、冷やかしだったりお説教だったり、いずれにしろ乗せてくれなかった。


もう諦めようかと思う頃、先ほどの似非ベンツのワゴンがまた通りかかった。

「やっぱり乗りませんか? 泣き止んだんで」


「ですが……」

神白はチャイルドシートを振り返ったが、


「実は、乗ってもらったほうが助かるんです。運転中は赤ん坊の様子を見れないものですから」


男にそうまで言われると、断りづらくなった。


数田は真っ先に助手席に乗り込んでしまい、僕と神白がチャイルドシートと向かい合う位置の後部席に入った。


涼しい。

クーラーの恩恵にあずかるのは本当に久しぶりだった。


「眠っちゃってるでしょう。特に世話は必要ないんですが、ミルクを吐いて喉に詰まらせてないか、たまに確認してくれると」


男はそう言って発進した。


「どうして車に三ツ矢サイダーみたいなマークつけてるの?」

僕は運転席に向かって聞いた。


「三ツ矢サイダーか」

男は笑った。

「前のオーナーの趣味だよ。業者を通さずに買い取ったんでね、取り外すのも面倒で」


「どちらまで行かれるんです?」

と神白が聞いた。


「A市の、妻の実家へ。酷いと思いませんか、妻だけ関所を越えられなかったんです」


「え、では、奥さん抜きで奥さんのご実家へ?」


「疎開ですよ、疎開。首都圏はもう物騒で。赤ん坊をいい環境に置きたいんでね」


その赤ん坊は、幌付きのチャイルドシートの中で熟睡していた。


「わたしはタゴヤマと言います」

男はしばらくしてから思い出したようにそう言ったが、赤ん坊の名前は言わなかった。


あえて教えないのか、話題に出し忘れただけなのか、よくわからない。


僕たちもそれぞれ名乗った。

まず神白が「カミシロです」と言い、僕もそれにならって「イトウです」と、名字だけを言った。


ところが数田は「カトウと申します」と言って、僕と目が合っても平然とした顔でいる。


考えてみれば、彼が僕たちに対して名乗った「数田」が本名だという証拠もない。おそらくこの男は、誰にも本名を明かす気がないのだろう。


しかし、僕たちが聞いている目の前で敢えて別な偽名を名乗る必要はあるのだろうか。


神白に小声で聞いてみると、

「僕たちに心を開く気がないという意思表示でしょう」

と返ってきた。


しばらくは、主に神白とタゴヤマが、当たり障りのない世間話をしていた。


数田はずっと黙っている。

会話する気がないなら、助手席に座らなければいいのに。

僕はだんだんイライラしてきて、数田だけこの車から放り出せないだろうか、と考えた。


「それじゃ、野宿してたんですか? へんなものに会いませんでした?」

へんなもの、と言うときにタゴヤマは少し口ごもった。


「近くに出たらしいと聞いたことは何度かあります」

神白は淡々と答えた。


「怖いですね」


「でも、もっと怖かったのは、別々に野宿してたグループ同士の抗争があったことですよ。物や金を互いに盗んだり、最終的には女の取り合いまで始めて」


「はあ、かなり無法地帯なんですね」


「なかなかですよ」


「本当に怖いのは人間ってことなんですかね」

タゴヤマは妙に感じ入ったような口調でそう言った。


僕は背もたれに身体を預けて、ぼんやりと赤ん坊の寝顔を眺めた。


まったく可愛くなかった。


閉じた目の端に目やにがこびりつき、おでこには湿疹のかさぶたができ、頭は汗だくで、少ない髪がジメジメと絡み合っていた。

頬は下膨れで、眠っているのにふてぶてしそうな顔だった。


人に好かれようとか思ったことないんだろうな、と僕は考えた。


それに、この子が物心つく頃には、僕が育ってきた社会は失われ、違う時代になっているのかも知れない。

人に好かれようなんて平和ぼけた考えは時代遅れになり、この子はもう一生、ふてぶてしい顔のまま生きていくかも知れない。


タゴヤマの運転は平凡だった。スピードを出すでもなく、極端に遅いわけでもなく。


一度だけ、赤ん坊が激しく泣き出したので、タゴヤマは最寄りのコンビニに車を乗り入れた。


僕と神白がおやつを買って戻ってくると、タゴヤマは後部席に道具を広げて赤ん坊にミルクをやっていた。


「手慣れたものですね」神白が言った。


「妻が身体が弱いもので」とタゴヤマは言った。「普段から、夜泣きの相手はほとんど私ですよ」


飲んでいる姿も、まったく可愛げがない。


もっと可愛げがないのは数田で、たぬき寝入りなのか本当に爆睡しているのか、帽子を顔にかぶせて助手席から動かなかった。


「奥さんはどうするんですか?」

B山が近づいてきて、降ろしてもらう場所も決まった後、ふいに神白が聞いた。


「取り敢えず帰宅です。関所越えに必要な書類を整え直さないと」


「整えれば何とかなりそうですか」


「どうでしょうね。まあ、私とこの子だけ先へ行くと決めた時点で、最悪の事態も覚悟してますから」


「最悪の事態」


「一家離散です」


「つまり……奥さんにもう会えない?」


「そう、それでもゾンビに食われるよりはマシですよ」


タゴヤマは何かを思い出したらしく、顔をしかめて溜息をつきながら、ルームミラーごしにじっと赤ん坊を見やった。

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