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終わりへの旅立ち

4.


初めのうち、多くの人は楽観していた。

インターネットが無かった時代にも、大抵のことは上手く回っていた。

しかも、まだその頃の世代は現役だ。

だから、前のやり方に戻せばいいだけなのだと。


しかし社会は急速に劣化していった。

基本的な設備の保守管理や、連絡、取引などに予想外のコストが掛かることが分かり、各企業は業務を縮小していった。

電気や水道などのライフラインは、予告なく止まったり復旧したりを繰り返した。

コンビニを始めとするフランチャイズの小売店は、本社との連絡が難しくなり、半ば独立してしまうか、売り尽くしセールの後に閉店した。

闇市が乱立し、すでにその端々で現金の価値が揺らぎ、物々交換が活発に行なわれた。


そして、停電の夜に乗じて「何か」の軍団が通りを跋扈しているようだった。


母は相変わらず淡々と賢く生活を維持していたが、「いつ何が起きるか分からないよ」と毎日僕に言い含めた。

「勉強はしておきなさい。受験の有る無しに関わらず。あと、もしお母さんに何かあったら、どうにかしてお父さんのところへ行きなさい。それくらい、できるわね? 名刺を渡しておくから」


父は2年前から単身赴任で、C県にいた。

名刺には父の勤める会社の、C県の工場の住所が記されていた。

こんな事になってから、頻繁に葉書をやり取りして連絡を取るようになったが、それもいつまで続くか分からなかった。


そしてある日、母は食料とトイレロールの調達に出掛けたきり、帰ってこなかった。

翌日、僕の通う学校も「早めの夏休み」を宣言し、門を施錠した。


僕は物置の奥から、中学生のときに乗り回していたマウンテンバイクを引っ張り出し、タイヤに空気を入れた。

だいぶ錆び付いていたが、問題なく走りそうだった。

通学用のリュックに日持ちしそうな食料と最低限の着替えを詰め込んだ。

勉強道具は、迷ったが、電子辞書だけを持った。


そして、母が曖昧な言葉で示していたタンス預金を開けた。

大判の茶封筒の中に、びっくりするような大金が入っていた。

大人にとっては当たり前の金額なのかも知れないが、僕にとっては初めて触れる「札束」だった。


どれくらい必要になるのか、よく分からなかった。

結局、三分の一くらいを適当に取って、小袋に移し、リュックに詰め込んだ。

最後に、父に現状を伝える葉書を一枚書き、僕は家を出た。


郵便局の窓口に葉書を持って行くと、「未配達の確認しましょうか?」と言われた。何のことか分からず答えにつまっていると、局員は明日配達予定の分だと言って僕宛の手紙を1通持ってきた。

手紙はビィからだった。


「笑笑笑

お兄ちゃんへ笑

生きてる?

ワタシは学校なくなったし親とも決裂したので笑

旅に出ることにしたよ笑

うまく書けないんだけど、

ワタシはこの現状をダハするために

やれることがありそうなんだ笑笑

B山中でハッカソンの続きをやるよ。

だから探さないでね笑笑笑」


変な手紙だった。

ビィの書く手紙ならこれくらい変でもおかしくはないのだが、状況が状況だけに、何か暗号が仕込まれているのかと勘ぐりたくもなる。

僕はビィからの手紙をリュックに詰め込んで、S駅へと自転車を走らせた。


駅前の駐輪スペースに自転車を停め、チェーンを二重に掛けた。

闇市を目当てに集まってきた人混みを抜けて、総合案内の窓口へ向かう。

係員に父の名刺の住所を見せ、交通手段を相談したいと告げると、なぜかひどく迷惑そうな顔をされた。


「C県には新幹線では行けないですよ」


「はい、ですから、どこか最寄りで降りてそこから乗り換えたいんですが」


「どこかって」窓口の男は鼻をゴシゴシ擦った。「何線のどの駅、って言ってもらわないと」


「こちらで調べられないんですか?」


「あのね、もうネットが無いんだよ」男は馬鹿な人に言い聞かせるような調子で、そう言った。


「こちらには地図とか路線図とかないってこと?」僕はだんだん腹が立ってきた。「ネットが無いから何なんです? 何のための窓口なんですか」


「お兄ちゃん早くしてくれないかな」後ろから鋭い口調で言われた。

振り向くと、陰険そうなスーツのおやじが僕を睨んでいた。その後ろにも2人並んでいた。

「みんな待ってるんだから」


「僕だって並んでここにいるんだけど?」僕はスーツおやじにも厳しく言い返した。


スーツおやじは無言で、いきなり僕の胸倉を掴んできた。拳に力を込め、僕の首元を締め上げる。

脂の浮いた顔が近づいた。

「ぁんだとぉ? コラ」と、スーツおやじは言った。


はっ。何だよそれ。


そのとき、真っ赤な服を着た金髪の若者が、僕とおやじの間に割り込んだ。

「まあまあまあ、どうしたんです」

若者は柔らかな口調で言いながら、有無を言わさぬ力技でおやじの拳を解かせた。


胸倉を解放された僕は急いでシャツの皺を伸ばした。


金髪の若者はまだ不満げなおやじを無理やり窓口へ押し出し、僕の肩を叩いて別方向へ歩きだした。


「あの、か……」


「早足で」神白は僕の耳元に低く言って、しばらく僕の肩を抱くような形で歩き続けた。


仕方なく、僕もその歩調に合わせた。


駅構内にも出処の知れない物売りが闊歩していて、「指定業者以外の売買は禁止です」の張り紙の前でも、取引は行われていた。


神白と僕は人混みを突っ切り、駅前の大型歩道橋の上のベンチに腰を落ち着けた。


「びっくりしましたよ」神白は言った。「こんなところで会うとは。奇遇ですね」


「ゾンビ退治に来たの?」僕は神白の真っ赤な服を見て言った。


「今日は弟を送ってきたんです。うちの町に薬が届かなくなっちゃって、やむなく大病院に預けることにしました。この服だと待ち合わせ相手が見つけやすいから、今日はこれで来ました」


相変わらず、どこか変な人だ。


神白に状況を聞かれ、僕はこれまでの経緯を話した。


「C県なら僕が送りましょうか」神白はあっさりと言った。「車なら半日もあれば行けるでしょう」


「半日って……大丈夫なの?」


「親に言ってから出掛けたいんで、一度うちに寄らせてもらえれば。その後はいくらでも付き合いますよ。帰りの足もたぶん必要でしょう」


「自警団は? リーダーがいないと困らないの?」


「ああ」神白は軽く肩を竦めた。「僕、謀反を起こされまして」


「謀反って」


「別なリーダーが立ってしまいました。僕に付いてきてくれる人もいないわけじゃなかったんですが、分裂して別行動を取るのも馬鹿馬鹿しいので降りさせてもらいましたよ」


「けど、なんで……」


「まあこんなもんですよ。元来こころざしが低いんです。ガイジンづらの若造に大きな顔されて、あの田舎連中がいつまでもしおらしくしてるはずがないんです」


神白が母親に外出予定を告げに行く間、僕も自転車を自宅に戻すことにした。

どうせ家も無人になるので、盗難を防げるかどうかは微妙だったが、駅前よりは盗まれにくいだろう。

色々なものが手に入りにくい今の状況では、ボロ自転車ひとつでも失いたくない。


自宅に戻り、神白の迎えを待ちながら、ビィの手紙を読み返した。

消印はビィの住居のあるT県U市だった。

しかし、ハッカソンを行なうというB山は隣のF県だ。

IT技術のイベントを山奥でするというのも不思議な話だ。

前回もネットの繋がらない場所で行なったようだし、何か僻地で開催することに利点があるようなイベントなのだろうか。


インタホンが鳴らされて、僕はソファで眠っていたことに気付いた。一時間ほど経っていた。

玄関を開けると、普通の服に着替えた神白がいた。


「相手を確認してから開けた方がいいですよ」


「いつもは確認するよ」と、僕は言い返した。


「地図は読めますか?」

車に乗り込むと、神白は助手席の僕に全国地図と書かれた分厚い冊子をよこした。


「どうかな。たぶん読めると思うけど」


「まず高速で行けるところまで行きましょう。C県に入って下道に降りたら、もう少し詳細な地図が欲しい気がしますけど。ちょうど良く本屋かコンビニがあればいいんですがね」


「もし、無かったら?」


「誰かに聞くしかないですよ」


高速道路の乗り口はETCゲートが閉鎖され、係員がボックスの窓からチケットを手渡ししていた。

本線に乗ると、間も無く小雨が降り出した。

空は一気に暗くなり、日は暮れていないはずなのに夕方の雰囲気になった。


「世界の終わりみたい」僕は曇天を見ながら思わず呟いた。


「まさに僕の望んだことです」神白が言った。「世界が終われば、働かずに済むと思ってた」


「でも、働いてないじゃん」


「そうですけどね。社会がこんなふうにダメになれば、労働なんていう概念は無くなるものと思ってました」


「もしそうだったら、こんなに呑気にはしてられないよ」


高速道路が使えるのも、お金で食べ物が買えるのも、世の中の大半の人がいまだに働いているからだ。

しかし、だとしたら、人はどれくらい社会が壊れれば働くのをやめるのだろう。

それとも、保身の気持ちがある限り、働き続けるのだろうか。


神白は取り立てて無駄口を叩かず、また、ラジオや音楽もかけず、淡々と運転を続けた。

僕は電子辞書を開いて、化学の暗記項目の一覧表を眺めた。


「元気、出してね」

神白はかなりしばらく経ってから言った。


びっくりするほど、温かい声色だった。


「なんで?」と僕は言った。


「何が?」


「なんで、僕が元気ないと思ったの?」


「さあ……」神白は曖昧に微笑んだ。「僕なら、母親と恋人が同時に行方不明になったら、落ち込むかと思って」


「ふーん……」と、僕は変な返事をしてしまった。


母親と恋人が行方不明?

まずビィは恋人ではないし、一応は自分の意志で出掛けた旨の手紙を寄越している。子供ではないんだし、自分のケツは自分で拭くだろう。


母は……僕は母について全く根拠のない希望を抱いていることに気づいた。急激な不安に襲われたが、顔には出さないように努めた。

大丈夫、大丈夫だ。

最悪、妹の墓の隣にもうひとつ墓標が増えるだけのこと。


神白は黙って次のパーキングエリアに乗り入れ、車を降りて缶コーヒーをふたつ買ってきた。


「気が利かないね」僕は受け取りながら言った。「缶コーヒーは好きじゃないんだけど」


「伊東君って、その性格で、学校で友達いるんですか?」


「いるけど」


「僕にだけそんなに冷たいの?」神白は笑っていた。


「それは、自意識過剰なんじゃない?」


「さあ、なにぶん出会いが良くなかったし、根に持たれてる可能性はあるかも、とか」


「確かに君はウザいよ。非常識だし」


「ほら、また」


日がすっかり沈むと、猛烈に腹が減ってきた。

神白にそう言うと、彼は座席の後ろに手を伸ばし、小ぶりの紙袋を引っ張り出した。中にはホイルで包んだ大きなおにぎりが10個ほど入っていた。


「僕の手製ですが、お嫌でなければ」


「家でとれた米?」


「そうです。まあ僕の家は、本業は玉ねぎですけど」


具のない丸々としたおにぎりだった。表面に塩がまぶされて、大きな海苔が巻いてあるだけ。

僕は料理などしないが、僕が作ってももっとマシなものができそうだ。

しかし、さすがにそれを口に出すと、もはや軽口ではなく単なる嫌がらせになりそうな気がした。


ふたつ食べると、僕は眠ってしまった。


内容の薄い、それでいてどこか重苦しい夢を見た。

嵐の中、濁流の渦巻く川の向こうで、ビィの声が叫んでいた。

「すべて終わりよ! あたしが終わらせるの」

滝のような雨に顔を打たれながら、僕は涙を流していた。


目が覚めても、景色はほとんど変わっていなかった。


「うなされてましたね」神白が言った。


「うん……」


「世界が終わる夢?」


「そうかも知れない」僕はぼんやりと答えた。「なんだか悲しい」


「疲れが出る頃ですよ。もう一眠りしたら」神白は柔らかく言った。


彼のその、人を気遣える余裕みたいなものが、頼もしくもあり、また、腹立たしいところでもあった。


「いま何処なの?」


「まだF県です」


「長いなあ」


「F県が一番長く感じるんですよ。ここを抜ければ、あっ……」

神白は変な声をあげて、一瞬だけハンドルをブレさせた。


「どうしたの?」


「人みたいなものがいた」神白は低く抑えた声で言った。


僕はため息をついた。


「ヤツラ、なの?」


「あの歩き方は、そうです。5、6人、退避車線を歩いていました」


「何がしたいんだろう」


「高速を塞ぐつもりでしょう。電車と同じように」


「石を抱えて飛び込む?」


「KのジャンクションでI県の方へ逸れます」

神白は片手を伸ばし、僕の膝の上で全国地図をめくった。

器用なもので、時速95キロを保ったまま、地図の該当するページを開き、一点を指差した。


ジャンクション、つまり、複数の高速道路の交差する接続点が記されていた。

このままF県を南下してT県に入る道と、西から来て海岸沿いの国道へ繋がる道とが、ほぼ十字に交わっている。


「ここから乗り換えて、東インターで降りましょう。

高速が塞がれる瞬間に立ち会うと、最悪、足止めされて降りることもできなくなります。下道を伝って国道に出て、I県に向かって南下します。

国道も塞がれるかも知れませんが、この国道には幾つかバイパスがあるはずですから」


「クソムカツク連中だ」

ここへきて僕は本気で腹が立ってきた。

ずっと、気味が悪いとか面倒臭いとか、関わり合いになりたくないとか、ぼんやりそんなふうに思ってきた。

しかし、よく考えてみれば、彼らのしていることはただ単に本当に迷惑だった。今こそ、それが実感できた。


「ナビをお願いしていいですか? 下道に降りてからは、何かありそうならすぐに脇道へ逸れるので」と神白は言った。



結論から言えば、僕たちはC県に辿り着けなかった。

神白の懸念は一番悪い形で当たり、僕たちの車は「事故」のとばっちりで大破した。

そして、ヤツラに追い立てられ、雨に降られ、濡れ鼠になって、夜半に街道沿いのラブホテルに逃げ込んだ。


初めて入ったラブホの部屋は、ベッドカバーがやたらと赤いことをのぞけば、それほど変ではなかった。天井は鏡張りではなかったし、ベッドに仕掛けがあるわけでもなかった。


風呂に入り、ドライヤーで服を乾かすとだいぶ文明的な気分に戻れた。

神白が当たり前のようにベッドの片側に入ってしまったので、僕は床で寝るべきか迷った。


「なるべく寝ておいてくださいよ」神白は平然と自分の隣を示して言った。


「え、うーん」僕は何か言おうとしたが、気の利いた言葉は浮かばなかった。


「どうしたの。何もしませんよ」


「いや、この状況で何もしないとか言われても……」


「モテる気まんまんだな。調子乗んな」

神白は突然ガサツな口調で言うなり、ベッドの中央に背を向ける形で寝返りをうち、背中を丸めた。


僕が恐る恐る近づくと、神白はもう眠っていた。


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