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切実な手紙

1.


長い冬が明けた。



とはいえ僕は、何のためにあれほど勉強したのか分からなくなるほど、相変わらず勉強に追われていた。どちらかといえば、受験生だったときのほうが楽だったのではないか、と感じるほどだ。


数式、ギリシャ文字、見たこともない記号、長いカタカナの専門用語。

演習、実験、レポート、実技講習……


そして、新入生というのはどこまで大人ぶったところで結局「顔でわかる」ものらしく、教養キャンパスを歩いている限り、ひっきり無しに先輩たちからの勧誘を受けた。


サークルや勉強会というのがほとんどだが、それ以外では、ビジネスをしないか、とか、政治家と知り合わないか、とか、環境問題についてのセミナーを受けないか、とか。それに、アンケートをさせてくれと言って質問を重ねつつ、途中から人生について壮大なお説教を始める、という人種にも数回捕まった。


「話し掛けたくなるような顔してるんだよ」

と、清水先輩は笑った。

「あと、あそこ歩き回って勧誘してる連中は、学内の人間とは限らんよ。気をつけて」


清水先輩は2年生で、いつ行っても必ずサークル室にいた。講義に出ているのを見たことがない、と、他の先輩たちが口を揃えて言うほどだ。本人は「たまたま暇なだけ」だと言う。あるいは、「今日だけ、どうしてもやる気が出なくて」と。

僕は勝手に、コマ数の少ない文系学部の先輩なのだろうと決め込んでいたが、何かの拍子に、僕と同じ学科の先輩だと判明した。


以来、テストの過去問をもらったり、実験レポートのチートシートをもらったりしている。


サークルは『漫画読書会』という名目で大学に届けられていたが、結局のところ、放課後何名かで集まっては共用のPCで動画サイトの投稿動画を眺めるという、まあなんとも緩い団体だった。

僕は、もともとは隣の部室を使っているジャグリング部の見学に来たはずだった。ところが、その帰りに清水先輩のよく分からない強引な勧誘で引き込まれてしまったわけだ。


「先輩も宗教の勧誘を受けたりします?」

僕は、テーブルの向かいで20年前の「週刊少年チャンピオン」を開いている清水先輩に聞いた。


このサークル室の中では、時代の流れが止まっているように見える。

本棚にぎっしりと並ぶ漫画誌やコミックスは、もはや本の形を保っているのが不思議なほどの傷み方で、9割以上が前世紀の漫画だった。

部屋の奥にはビデオテープ挿入口の付いたブラウン管テレビ。テレビ台の下の収納部にはラベルの剥げかかったビデオテープが大量に詰め込んであり、一部は溢れて床に積み上がっている。

あと、きちんと現役で動くダイヤル式の黒電話が、床に直置きされていた。主に、宅配ピザを注文するときに使われている。


「なんだっけ。ごめん、聞いてなかった」清水先輩は見開き3ページほど読んでから、やっと返事をした。


「先輩は童貞ですか?」


「さっき絶対違うこと聞いてたよね!」清水先輩は勢い良く漫画を閉じた。

「なんだっけ、宗教がどうって……あ、勧誘されるかって? 俺はされないな。結局は顔だよ。あとデブはお断りなんだよ。どうせな、あんな連中、出会い目的なんだから」


「言うほど太っちゃいないでしょう」


「嫌味。すごく嫌味に聞こえる」清水先輩はニヤニヤ笑った。「痩せたくても痩せれない人間に向かって、痩せてる人間がそういうこと言う、これはもうね、人種差別だと思うよ!」


しかし、こう言ってはなんだが、清水先輩ははっきりデブとも言い切れないような微妙な体型だった。だから、デブキャラと開き直って笑いを取っていくのも難しい。


部長の塚田さんは実に無慈悲な口調で、「もっと引き締めるかもっとキモくなるかどちらかにしろ」と言っていた。何となくその言い分はわかる。清水先輩は眼鏡ではないし、髪型は小ざっぱりしているし、ファッションもそれなりだ。それに、やや童顔な感じの愛嬌のある顔で、明るくよく喋る。


ただ、何をどうしたところで「女子からそういう対象として見られにくい」という印象が抜けず、本人にとってはそこが大問題なのだった。


「声を掛けられてみたいもんだよ。美人に勧誘されたら、俺ぜったい入信するのに」


「いや、それ系で美人の勧誘なんて見たことないですよ。たいてい、目がすわってる感じの男ですよ」


「伊東君は男にも好かれそうだもんな」


「別に、女子にもモテませんけど」


「は? 何言ってんの? そんなの信じないよ? え? 喧嘩売ってんの?」清水先輩は椅子から立ち上がって、バンバンとテーブルを叩いた。


「いや、本当に彼女とか居たことないですし。ていうか落ち着いてください」


「なんで? おかしくない? 共学出身だよね? なに、あ、本当はものすごく性格が悪いとか? すぐ殴っちゃうとか、性癖がおかしいとか?」


「さすがに酷くないですか?」


そのとき、塚田さんが入ってきたので清水先輩の注意はそちらに逸れ、僕はスマホが鳴ったのでリュックのポケットに手を入れた。


スマホの通知は単なるプロモーションメールだったが、それと一緒に今朝入れたまま忘れていた茶封筒が出てきた。


家を出る直前に母から渡され、確認する暇もないまま突っ込んできたものだった。


個人が出した感じがありありと出ている封書だ。僕の名前と住所がボールペンで、刻むような筆圧で記され、切手には知らない地名の消印があった。

封筒の裏を見るが、差出人の名が無い。


このパターンの郵便物で記憶に新しいのは、去年のあの騒ぎの中で届いたビィからの手紙だった。また「笑笑笑」に満ちた謎の近況報告ではないかと、期待混じりの疲労感をおぼえながら開封した。


真っ先に、何度も漢字を間違えて塗り潰した跡が目に入った。

宛名書きと同じ、紙が破れそうなほどの筆圧で、要件が羅列されていた。


----------------------

伊東君へ


新生活は始まっておりますか。


とつぜんですが、

〒***-****

S町***大字**42のイ

セントラル・プラザS


に、カップめんと、スナック菓子

(なるべく、しょっぱいやつ)


ありったけ


送ってもらえませんか。


今、男7名いて、「ゾンビを守る会」?に


ひょうろう責めをされてます。


米とカンヅメは十分ありますが、


ジャンクフードがこいしいです。


お金は書留で払います。(レシートをください)


着払いにしてください。


ごめん。


ムリなら気にしないで。


あと、あて先の電話番号は

080-****-**** にしてください。


ただしこれは僕の電話ではないので、かけるとちがう人が出ます。


いろいろすみません。


神白 明

----------------------



何をやってるんだか。

思わず、口に出して呟きそうになった。


山で死にかけたとき数田に送った手紙も、こんな文面だったに違いない。


兵糧攻め、と書こうとして何度も塗り潰した末、カタカナで書いたヒョウロウも二重線で取り消し、最終的にやっぱり漢字を間違えている。


本当に馬鹿なんだな。


去年、スマホが復活してから神白には何度か電話をしていたが、電波が届かないとか、お客様の都合でとか、そんなアナウンスばかりで、一度も掛かったことは無かった。


ネットの復旧と関所の廃止にともなって、S駅周辺の混乱状態も迅速に解消し、もうひとりの神白にもあの後二度と出会わなかった。


今さら何なんだ。都合良く手紙なんか寄越して。

ていうか、下書きくらいしろ。


「それ、ラブレター?」

塚田さんが聞いた。


ふたりの先輩は並んで座り、テーブル越しに興味深そうな顔で僕を見ていた。


塚田さんは博士課程の学生だ。しかも、いちど工学部の修士号を取った後、理学部数学科の修士課程に転入してそちらでも修士号を取り、そのまま博士課程に進学している。

まあ、年齢からしても経歴からしても、学部に入りたての僕や清水先輩にとっては雲の上の人だ。


「伊東君が嬉しそうな顔してるの、初めて見た」と、塚田さんは言った。


「そうですか?」


「うん、いつもポーカーフェイスだもの」


そう言う塚田さんも、基本的には無表情な人間だ。それに、ファッションなどという概念もない。本日も、寝巻きと変わりない格好だった。それでも、髭を剃っているから、先週よりはかなり身綺麗と言える。


「これってM県の住所ですか?」

僕は手紙を先輩たちの方へ向けて差し出した。


「なにこれ」と清水先輩が言った。「つうか、男かよ。字きたねえなあ」


「S町はK町の隣だよ」と、塚田さんは言った。


「K町も良くわかりませんが」


「まあ、こっからだと車で1時間……では着かないかな。そう、最近たしかにゾンビで荒れてたと思うよ。収容センターがあるから」


「伊東君の友達はファンキーだな」清水先輩は手紙を眺めながら笑った。「ちょっと、ほんとに想像がつかないんだけど。誰なのこれ?」


「僕の彼氏ですよ」


「ああ……」


「いや、冗談ですよ。なんですか、ああって。納得しないで」


「ゾンビを守る会って何?」


「さあ。あちこちにいるんじゃないですかね……過激な人権派って言うのか」


テロ行為を目的として派送された生体ロボット、というのが政府公式の言い回しだった。(ちなみに、派送などという言葉は無い、という指摘が相次ぎ、この単語はすでに今年の流行語大賞の候補と言われている。)


捕まえたゾンビの処遇については議論が白熱し、国も持て余し気味だった。


処分、つまり、殺してしまえという意見はネット上を中心にかなりの勢いを占めている。しかし、明らかにヤツラの素材は成人の肉体だ。生まれつきロボットだったとは到底考えられない。

そうなると、世論がどこを向くかとは関係なく、現状の法律では一切傷をつけることができない。


ひとまずは大量のゾンビたちが全国津々浦々に急設された「収容センター」に収められ、強力な鎮静剤と革ベルトでベッドに固定されたまま、生命維持装置に繋がれていた。


こんなことは許されない、と多くの人間が憤っている。ただ、その方向性はまちまちで、「同胞を殺したやつらを税金で延命するのか」という意見の他に、「彼らも被害者だ。プログラムが初期化された以上は、身元を突き止めて家族のもとに帰すべき。拘束具もあり得ない」という意見もあった。

ゾンビを守る会、などというのは当然、後者の部類だろう。


そのうえ、ゾンビは全部が完全に捕まったわけではなかった。いわゆる初期型の、まともに道を歩けない程度のものは、いまだにあちこちの山村や僻地に潜伏しているらしい。政府は、初期化済みの印である「腕輪」をしていない個体を見かけたら速やかに通報するようにと呼び掛けている。しかし、リンチにかけようとする者や、逆に個人で保護しようとする者が後を絶たず、いずれにしろそれらの勝手な行為は「公務執行妨害」という枠で処理されていた。


「なんか楽しそうだな」

清水先輩は何度も手紙を読み返していた。

「俺、この住所、見に行ってみようかな。何やってるんだろう。兵糧攻めってことは、ここに立てこもって戦争でもしてんの?」


「想像はつく。そういう奴ですから」と、僕は言った。


「それが伊東君の友達だというのがよくわからないな。いや、俺は伊東君を甘く見ていた気がする。もっと、なんか、ふんわりした奴だと思ってた」


「なんですか、ふんわりって」


「カップ麺とポテチなら、うちの実家から箱で出せるよ」

と、塚田さんが言った。


「塚田さんの実家って、コンビニでしたっけ」と清水先輩。


「コンビニじゃないけど、まあ、青果店というか。適当に理由つければ持ち出せる気がする」


「いえ、買いますよ」と僕は言った。


「いやいや、いいって」塚田さんは言った。「これは先輩からおごり。基本ね、下の者は財布出しちゃいけないよ。それはこのサークルのルールだからね」


「いえ、でも、何もそこまで……」


「清水君、車あるなら出してあげなよ。わざわざ送料払うほどじゃないだろう? S町なら、直で届けたほうが安く済む」


「そうですね」清水先輩はあっさりと言った。「ついでに見てこよ。写真撮りまくってツイッターに上げて煽ったろう」


「やめなさい」塚田さんは笑った。


「あ、でも、週末でいい?」と、清水先輩は言った。「俺、今週は、彼女が……」


「彼女?」僕は聞き返してしまった。


「え、いちゃ悪いか?」清水先輩はテーブルに身を乗り出した。「俺に彼女がいちゃおかしいのか? ああ?」


「だっていつも……モテたいと言ってるから」


「モテたいよ」


「彼女がいるのに、これ以上モテたいんですか?」


「そういう問題じゃねえ」


「彼女も連れてけばいいのに」と、塚田さんは言った。「早いとこ持ってってあげなよ。この人かわいそうじゃん? ジャンクフードに飢えてるんだよ。切実な手紙じゃないか」


「いえ、なんなら半年ほど無視してもいいくらいです」と、僕は言った。「米だけ、ていうか土でも食ってりゃいいんですよ。相手にすることない……」


「まあまあ、後で持ってきてあげるから」


塚田さんは本当にその日のうちにカップ麺3箱とスナック菓子5箱を持って来た。


週末までの間に、神白の書いた手紙はサークル室に来た学生たち十数名に回し読みされた。そして、各々が爆笑したり首を傾げたりしながらカップ麺や菓子類を持ち寄って追加していったので、最終的には塚田さんの用意した量のほぼ倍になった。


「明日の朝迎えに行くよ」

金曜日の帰り際、清水先輩は集まった食料を車に積み終えると、そう言った。

「伊東君は実家だっけ? 名簿の住所だよね。11時とかでいい? 俺、あんまり早く起きれないから」


「はい、構いません」と僕は言った。「あと、すみません、あの手紙を返して頂けませんかね? 恥ずかしいので」


「え、俺が持ってた?」清水先輩は鞄を探った。「ああ、持ってた持ってた、いや、ナビに住所入れるときこれ見るから、明日まで預かる」


「ええ……」


「面白い奴じゃん。他大学の子なの?」


「いえ、社会人。それにたぶん、先輩より2、3歳は上ですよ」


「え! あ、そうなの」


「まあちょっとT大の人間には想像も付かないような馬鹿ですから」


「なかなか牽制するね。ま、楽しみにしている」

清水先輩は上機嫌で帰って行った。


僕はいつものように地下鉄での帰り、乗り換えついでにS駅前をぶらついた。


この半年の間にあちこちでコンビニや飲食店が再オープンし、駅前は元通りの活気を取り戻していた。


かねてからの懸案だった巨大歩道橋の修繕、エスカレータやエレベータの追加設置も進んでいる。

特に、駅の東側は大規模な改修が行われ、以前よりも一気に明るくなった。


ただ、関所法の施行時に建設された各改札向こうの壁は、いまだに残されていた。


ゲートこそ取り除かれて、乗客たちはそのトンネルのような穴を毎日当たり前のようにくぐって行ったが、僕はその分厚い緑色の壁を見るたびに、まだ今後「何か」があり得るのだろうかと、重苦しい不安をおぼえずにはいられなかった。


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