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駅前の混乱

2.


K駅で新幹線に乗り換えた。


平日昼間の下り列車なので、やはり車内は閑散としていた。自由席の車両でさえ、数える程の乗客がぽつぽつと座っている程度で、そのほぼ全員が何かしらの文庫本か雑誌を読んでいた。

スマホでネットサーフィンができなくなったことで、確実に本屋は儲かっているに違いない。


僕たちは3人掛けのシートに並んで入ったが、通路側に座った神白は間も無くふらっと立ち上がり、どこかへ行ってしまった。


僕とビィの間にも、ほとんど会話らしい会話は無かった。

窓の外の景色は飛ぶように流れており、空は明るく、暑そうだった。


やがて、ビィが「トイレ」と言って僕の前を横切り、通路へ出て行った。


3人掛けシートの真ん中に取り残された僕は、何か急に心もとなくなり、ついまた先程の「進化系」のことを思い出してしまった。


あれほど自然な動線で動き回れるなら、電車のみならず、様々な場所に自由に出入りできるだろう。先程のは集団で一糸乱れぬ立ち方をしていたから分かりやすかったが、ひとりやふたりで人混みに紛れ込んでいたら、もはや区別は付かないかもしれない。


今後、誰も気付かないうちに、ヤツラのコードが全て書き換えられ、この社会に溶け込んでいくという決着もあり得るのだろうか。


もやもやとした吐き気が再び湧きそうになったとき、ビィが戻ってきた。


ビィは僕の足をまたいで元の席に座りながら、

「彼、泣いてたよ」


彼、が神白を指しているということが僕にはなかなか飲み込めなかった。


「泣いてた?」


「うん、デッキでめそめそ泣いてた。なんかすごく声を掛けづらくて、素通りしてしまった」


「なんだ、どうしたんだろう」


「キャパ超えちゃったんじゃない? 彼もお坊っちゃんだから」

ビィの口調は、特に馬鹿にするというふうでもなく、大して驚いてもいないようだった。


「……ほっといた方が良さそう?」僕は、ビィに聞いた。


「どうだろう。まあ、プライドもあるだろうしね」


「びっくりだな……なんか、しっかりしてる感じだったから」

僕は自分の動揺をうまく言葉にできなかった。


「あの年齢でしっかりしてる人なら、働いてるよ」と、ビィは言った。


「まあ、そうなんだけど」


神白に頼りすぎた、と思った。

この数週間、本当に僕は無気力で受け身な態度だった。神白が彼なりに何か考えて動き、事態を打開しようとしている間、僕は周りのこと全てに見向きもせず、放置し続けた。


自分のせい、などと考えるのは傲慢だと分かっていたが、僕の態度が神白の緊張を倍増させていたことは間違いない。あげく、「僕の力不足で」とまで言わせてしまった。


「やっぱり、ちょっと見てくる」

僕は席を立った。


滅茶苦茶泣き腫らしていたらどうしようかと思ったが、デッキの窓際から振り返った神白は、言われてみれば目が少し赤い、という程度だった。


「あ、ごめん」神白はすぐに言った。「もう戻るよ」


「大丈夫?」


「大丈夫ですよ。どうぞお気遣いなく」

神白は少し笑いながら言った。


「ああ……。それ、自分が言われる側になると、すごく腹が立つって分かった」


「だろうね」


「……神白は」僕は素早く言葉を選んだ。「思い詰めると何をするか分からないから、見ていて不安になるよ」


神白は少しのあいだ何も答えずに薄笑いを浮かべていた。


「生意気なんだよ」と、神白は言った。「若いうちから、ませてると、苦労するぞ」


「僕の話をしにきたんじゃないんだよ」

僕は無意識に語調を強めてしまった。


「うん、ごめん。でも、もう戻ろう。女の子をひとりで置いてきちゃいけないよ。何が乗ってくるか分からないんだから」


「あのね、話を……」


「伊東君」神白は真顔になって、じっと僕を見た。


色の薄い目だ。


「大丈夫。僕は大丈夫」

神白はしっかりと言い切った。


「そうは見えないけど」


「ありがとう。心配されるというのは嬉しいね」

神白は僕を促して車両に入った。


「はぐらかしてる」僕は神白に付いて通路を行きながら言った。


「はい、はい」


ビィは窓の外を眺めていたが、僕たちが戻ると振り返って「おかえり」と言った。「なんで泣いてたの?」


「すみません。疲れてました」


「じゃあここで泣いてればいいじゃん」ビィは平然と言った。「ひとりで勝手なところ行かないでよね。何が乗ってくるか分からないんだから」


「そうですね」神白は笑い出した。「ショウコさんには、敵いませんね」


「よく言うよ、そんなこと全然思ってないのに」


「そう、知ってる」と僕は言った。「彼が丁寧な口で何か言うときは大抵、嘘だよね」


「まあ、礼儀正しいサイコ野郎だもの、仕方ないよね」とビィは言った。


「そうそう、性根がサイコ野郎だから仕方ない」


「ちょっと……」神白は席に着きながらぼやいた。「ほんとに嫌なカップルだな」


「あ、今のは本音っぽい」


「うん、本音っぽい」


昼時だったが、残りの乗車時間が中途半端なので、S駅で降りてから昼食を考えることにした。

しかし、これがまた、結果的には大きな判断ミスだった。


まず手始めは、自販機だった。


「関所」の壁で覆われた改札を出て、自販機で飲み物を買おうとすると、コイン投入口を囲むようにガムテープがベタベタと貼られ、マジックペンの雑な字で「1人1日1点まで」「ご協力下さい」「独占禁止」と書き込まれていた。


禁止、の文字はわざわざ赤い色で囲ってあった。


「何これ」ビィは笑った。


「ほら、異物混入騒ぎのやつじゃない?」と僕は言った。「あれ以来、缶とかビンとかは品薄だから」


「ふーん」


「日本も貧しくなったな」と、神白は言った。


僕が札を入れ、ビィがコーヒーを買い、釣銭を入れ直して僕のぶんのペットボトルも買った。

「神白は?」


「僕は水で」


神白のぶんを買おうとして釣銭を入れ直しているところに、若い男が血相を変えて飛んできた。


「ちょっと! ちゃんと見てますか? 書いてあるでしょ? ちゃんと並んで!」


「何が?」神白は素早くボタンを押していた。


「ちゃんと並んで!」若者は大学生のような雰囲気だった。眼鏡をかけた顔は神経質そうで、強そうには見えないが、なぜか威圧的だった。

「書いてあるでしょ、ひとり1点までです」


「見て分からないの? ひとり1点買ってるよ」ビィは物怖じせず言い返した。


「そういうことじゃなくて、ちゃんと並ばなきゃダメなんです。『おごる』とか『家族のぶん』とかそういう例外は認めてないんです。キリがないんだから」


「はあ?」とビィは叫んだ。


「いや、これで問題無いでしょう?」

神白はペットボトルを取り出して見せた。

「僕たちは3人いて、ここに飲み物は3つある。それで問題無いでしょう?」


「そういう屁理屈を言わないで」若者は自信満々に言い張った。「1本ずつ買って下さい。ひとりが、まとめ買いするのはダメなんです。紛らわしいことをしないで。キリがないんだから。もういいですよ。これ以上買わないでね」


「屁理屈はどっちだよ」

と、僕は思わず言った。


「何、どうしたの」別な若者が素早く近付いてきた。こちらは髪を赤毛に染めてきっちりと逆立てており、見るからにガラが悪そうだった。


「おごり」と眼鏡が言う。


「ああ、おごるのはね、ダメなの」赤毛は偉そうに告げた。「それはね、知らなかったんならしょうがないさ。知らなかったんでしょ?」


「知らなかった」神白は探るような目でふたりの男を見比べながら、「もう、行ってもいいでしょうかね?」と言った。


「うん、次から気をつけてね。あんたたち余所者かな? もうこのS市内では全面的にこのルールだからね」


「それは怖いですね。気をつけますね」

神白は僕の袖を引っ張って歩き出した。


僕はあまりにも頭に来てしまって、そのまま早足で下りのエスカレータに乗ろうとする神白を、突き飛ばしてやりたかった。


エスカレータからは、巨大歩道橋から駅ビルに流れ込んでくる、そして流れ出ていく、人の流れを見渡せた。東京のような大都会には及びもしないが、一応はこの地方都市の中心地だ。僕たちにとってはだいぶ久方ぶりの「人混み」でもあった。


「今のは何?」エスカレータの中程で、僕は我慢できずに言った。


「なんでしょうね。本気なのかな」神白は鼻で笑った。「いや、笑っちゃいけないのかと思って困ってしまった」


「笑ってる場合なの? なぜ殴らなかったの?」


「人間を殴ってどうする」


「殴れないの? なぜ引き下がった?」


「いや、どうかな」神白はまだ笑っていた。「なんか組織だって動いてる感じだったね。リーダーの面が見てみたいな」


「お腹すいた」とビィは言った。


僕はまだ気持ちが収まらなかった。

「ねえ、腹が立たないの?」


「僕はそんなに。こいつら数も数えられないのかと思ったら、笑いそうになっちゃって」


「数も数えられない奴に、馬鹿にされたのに?」


「伊東君が殴るんなら、僕も加勢してやるさ」と神白は言った。


駅ビルに隣接するデパートのレストラン街へ入り、適当なものを食べるつもりでいたが、ここでも妙なことが起きていた。


まず、とんでもない長蛇の列だった。各店の前に並ぶ順番待ちの列が、3度4度と折り返し、向かい側の別な店への列と融合しかけながら、行き場を失って更に通路の奥へと続いている。自分がどの店へと続く列に並んでいるのか、分かっていない者も相当いるように見えた。


フロアは芋を洗うような状態で、ほとんど隙間もない。人の流れに押されてのろのろと移動するのが精一杯だった。


「今日、なんかの日だっけ?」ビィが聞いた。


「なんでもない気がするけどなあ。平日だし」と神白は言った。


「これ、どこも2時間は待ちそうだね……」僕が呟くと、すぐ脇にいた見知らぬ老人が「5時間だってよ」と口を挟んできた。


どうにも清潔感の足りない、締まりのない身なりの老人だった。

「5時間」老人はもう一度言った。「もうね、昼めしじゃなくて夕食だ」


「今日、何かあるんですか?」と神白が聞いた。


「いや、最近は毎日こんなん。毒味をしてっから」老人の言葉にはこの地方独特の訛りがあった。「いったん毒味役に食わすて、何でもねえて分かってからでねと出せねんだと。そっだらことすって、……」

僕にはその先がまったく聞き取れなかったが、神白は難なく理解した様子で、

「いや、びっくりしました。ここに来たの久しぶりだもんで」


「昼、まだなら、あっちさ行ったほういいよ。あんさ、あのM町の方の」

老人は僕たちに向かってまだ何か言っていたが、次々と通行人に割り込まれて、姿が見えなくなった。


通りがかりのパスタ店の一角に、その「毒味役」と思われる男がひとり見えた。先ほどの自販機の男たちとよく雰囲気が似ており、学生風のカジュアルな出で立ちで、目つきは悪く、イライラした顔で「作業」をしていた。彼の前には大量の、さまざまな飲み物が入ったグラスが並べられており、テーブルの様子はまるでちょっとした実験室のようだった。


男は次々とグラスを取って一口ずつ飲んでいき、食器の側面に何かメモ書きのされた付箋を貼った。男が飲んだそばから店員がそれを引き取り、ストローを替え、付箋をつけたまま別な卓へ運んでいく。


食べ物の皿についても同じように、全ての皿、全ての具を満遍なく一口ずつ食べ、付箋をそえて他の卓に運ばせる。店内は半分ほどが空席だったが、どの卓にも付箋つきの食事が既に並べられ、すぐにも食べられる状態になっている。店員は時計と付箋を見比べながら、ある一定の時間を置いてから客の呼び出しを掛けているようだった。


「食欲が失せる景色だな。全部の店でこれやってるのか」神白は呆れたように言った。


「なんで皆、並んでるのかな?」とビィは言った。「ここでなければ食べれないような何かがあるの?」


「分からない。とりあえず出ましょうか」


結局、レストラン街を半周しただけで、僕たちは諦めてそのビルを出た。


それから徒歩圏内のファミレスやファストフード店を思いつく限り回ったが、どこも似たような状況だった。むしろ、日差しのきつい屋外に並ばなくて済むぶん、まだ先ほどのレストラン街のほうがマシなようにすら思えた。


もうコンビニでいいから、ということになったが、この騒ぎ以来、コンビニ自体の数も激減している。

だいぶ駅から離れたところにようやく一店見つかり、入ってみると食料品の棚が空っぽで、残っているのはガム、飴、ミントタブレットの類。


それでもビィは「昼はこれでいいや」と言ってハイチュウを3本買った。


レジの前に小型のホワイトボードが掛けてあり、「次回仕入れ予定 明日10:00 短縮営業中 7-20時 御協力に感謝いたします」と書かれていた。


僕も仕方なく、ガムを買った。少なくともこれからしばらくは空腹を誤魔化して過ごすしかなさそうだ。


僕たちは店を出てすぐ、どうすべきか話し合った。

と言っても、選択肢は少なく、神白の家に行ってみるか、僕の家に行ってみるか、くらいだった。どちらの家にも、出たときと状況が同じなら、ある程度の非常食はあるはずだった。しかし問題は、状況がどの程度変わっているのか予測できない点だ。


「私はこれ以上、駅から離れたくない」とビィは言った。「このぶんじゃ交通網も期待できないよ。神白さんの家まで移動してしまうと、そこで暮らすことはできても、当分は街へ戻ってこれないかも知れないよ」


「でも、衣食住確保されてこその悩みでしょう、それは」と、神白も譲らなかった。「僕の地元なら食べ物には困らない。少なくとも米と野菜と卵は確実です。この辺りにとどまると、飢え死にはしないとしても、食べ物を手に入れるためだけに毎日大半の時間を無駄にすることになる」


ビィは特にそれに対してコメントはせず、ハイチュウを開けて次々と口に入れ始めた。


僕はガムの外フィルムを剥がしたが、これを食べると余計に空腹を感じるのではないかと、少し不安になり、結局そのままポケットへ入れた。


「結論が出ませんね」神白は言った。


「それなら、ここで解散しよう」

僕は、ずっと用意していた言葉を口にした。

「神白さん、今までありがとう。もう帰っていいよ」


「待って……」神白は笑いかけたが、さっと真顔に戻った。


「もう大丈夫。僕の家はここから歩いて20分もかからない。このまま彼女と帰るよ。今までありがとう」


「……家までは送って行きますよ」神白はじっと僕を見ながら言った。


「いや、もうこれ以上寄り道しないほうがいい。ビィが言う通り、帰る足がすぐ見つかる保証は無いんだよ」


「そうだけどね……」


ビィは何も言わなかった、というか、何か言うどころではないほどハイチュウを口に詰め込んでいて、まだ追加する気のようだった。


「……分かった。じゃあここで」神白は相当長くためらってから、やっと言った。「寂しくなるね。気をつけて」


「お金を貸そうか?」と僕は言った。「タクシー代くらいは」


「いや、小銭はあるから、大丈夫。それで足りなければ、その時どうにかします」

神白は右手を差し出した。

「伊東君、握手」


「しないよ」と僕は言った。


「あ、まあ、そうだよね」

神白はちょっと笑って、

「じゃあね」

と、ごく素っ気ない挨拶をして、そのまま駅の方へ歩き出した。


振り返られたりすると困るので、僕もすぐに自分の家の方向へ歩き出した。


ビィは口をずっともぐもぐさせながら付いてきた。


「ずいぶん冷たく追っ払ったね」

5分以上も無言で歩いてから、ようやく口が空になったビィは言った。


「うん、まあ、お互い限界だよ。自分の家が一番だ」


「握手してあげなかったの」


「情がわいても困るもの」


「そういうのは良くないよ、伊東君」ビィはふざけたような口調で言った。「拒絶してはいけないよ。相手が可哀想じゃない?」


「うーん、可哀想なのかなあ……」

神白が別れたくなくてためらっていた数十秒間を、僕は思い返した。泣きそうになった。可哀想? この程度のことがそんなに?


この世には、もっと恐ろしく耐えがたい別れが沢山あるというのに。


「また、暗いこと考えてる」ビィが言った。


「わかる?」


「わかるよ。お兄ちゃんのことは何でもわかるんだ」


「そりゃすごい」

僕はビィの手を取って緩く握り、歩きながら、これ以上は何も起きなければいいが、と真剣に祈った。


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