勝負の決算月!(4)
この作戦は時間との勝負だ。行程に遅れは許されない。
翌日俺はA病院の駐車場である人物を待っていた。
「おはようございます」
こちらに気づくと一瞬だけ訝しげな表情を浮かべた。
「どうした。朝から」
「いえちょっとご相談があって、忙しくないですか?」
当然忙しくないことは知っているが一応確認する。この曜日はこの人手術も外来もないから午前中は暇なことは分かってる。どうせ医局でネットサーフィンするだけだろう。
話していても問題がないことと返事があり、用件を話すよう促される。
「実は折り入ってご相談がありまして」
簡潔に要用件を伝える。特にひっかかる点もなく納得はしてくれたようだ。
その後の段取りを再確認しその場を後にする。
今日はもう一人どうしても押さえておかないといけない人物がいる。そのため俺は夕方パチスロ屋に向かった。毎日通っているわけでないので確率になってしまうが、この日は運よく見つけることが出来た。
隣の席に座り目押しをちょっと手伝ってやったら機嫌がよくなったので用件を相談することが出来た。 その日はお互い運がよくそれなりに勝つことが出来た。
◇
それからは諦めたように淡々と毎日を過ごした。どこから勘付かれるかわからないため警戒するにこしたことはない。
そして運命の瞬間が訪れたのは9月も残すところあと2日間という日の朝だった。
◇
「どういうことだっ!」
怒声が鳴り響く。
朝の卸訪問で、周囲の目も気にせずわめき散らすのは、二宮の会社の営業所長だ。
傍にいた二宮も叱責されているが、気にした様子もなく平然としている。
……あの様子を見るにうまくいったみたいだな。
作戦はこうだ。
まず今回ターゲットにしたのは、うちと二宮の会社で同じメカニズムの薬で販売している前立腺癌の注射薬だ。
向こうの方はもう何十年と販売しているためさほど重要な製品ではない。
二宮に損害を与えることはないことは確認できているが、ここを攻められるのはあのいけ好かない所長には痛いだろうと思った。
まずは泌尿器科の部長に相談してカンファレンスで説明会をさせてもらい切り替えを提案する。
副部長―パチンコ屋で交渉した―も含めトップ2人は事前に仕込が入ってるので若いドクターにも切り替えを勧めるよう言ってもらえる。
そして9月の後半2週間で可能な限り切り替えを進めるって、最後の仕上げに最終週に削除申請書を出してもらう。
すると何が起きるか。病院も棚卸しだ、使う見込みがない薬は当然在庫整理される。
ある程度の使用量があるものだ少なくとも一月分は余裕を持たせているだろう。
これが一度に返品になったというのが、あの激情ぶりを見るに容易に予想できる。予想通りに物事が運べたとことを確信した。
ちょうど月頭に俺がやられたのをそのまま返した形だが、より悪質になっている。
なぜなら期末の売り上げは組織立って綿密に見込みを立てて動く。それが僅かな日数しか残っていない今、計算が狂えば立て直すのは困難だろう。
ついでに使用量が増える見込みのあるうちの薬は通常より大目に在庫を確保してもらえる。一石二鳥だ。
「ただ代償は大きいなあ」
実はうちの注射のほうが使い勝手がいいため新しく使用される時は基本的には優先されていた。
ただ既存のものを置き換えるほどではないので徐々にしか使用量は増えていかない。このじわじわ上がっていくというのが営業的には重要なポイントだった。
営業ノルマというものはずっと同じというわけではなく、例えば半年ごとに5%アップ、とか徐々に増えていくものだ。
今の状況は自然の流れに任せていればちょうど追いつくので理想的な形になる。
ここで欲を出していきなり切り替えてしまうと、半年後にはそこからアップしたノルマがのしかかってくる。
爆発的に患者数が増える病気ではないため、そうなるとそこから巻き返すのはほぼ不可能になってしまう。
少し痛い出費だったが、今後のためを思えば充分な牽制にはなっただろう。
◇
そんなことがあった翌朝。
俺はもう目標達成はほぼ確実ということで卸周りだけして、会社で事務処理するつもりだった。
そう思って車に乗り込もうとした時、入れ違いに到着した二宮に会った。今日は上司は伴わず一人みたいだ。
昨日手ひどく怒られていたから一応謝っておくか。身から出た錆だとはいえ俺の責任でもあるし。
「悪かったな、だいぶ八つ当たりされたろ」
そういうと、表情を崩すことなく淡々と彼女は答えた。
「多少は。でもどうせあの所長もうすぐ飛ばされるだろうし適当に聞き流しておいたわ。お蔭様で”昨日”営業所の3期連続未達成も決定したし、上司でもなくなる人に気を使ってもねえ」
年齢差を気にしない物言いに若干の違和感を感じたが、これが彼女の普段の姿なんだろう。俺以外のおっさんにはこんな感じで話掛ける姿は結構見かけたことがあった。
……というか思っていたより結構な被害を与えてしまったようです。やりすぎたかもしれない。俺刺されたりしないかな?
「ねえ」
まだ話があるようで、声をかけて来る、少し間があった後にためらうように彼女がぽつぽつと話始めた。
「――あなたのことずっと嫌いだったけど今回は助かったわ。私あのおっさん大っきらいだったから、清々するわ。一応お礼言っとく」
それだけ言い残しこちらの返事も待たずに足早に立ち去っていく彼女。今まで見たこともないような和やかな表情で話す姿を見て少しドキっとしてしまった。こんな顔も出来るんだな。いつも向けてくるのは表情筋と感情が死滅したかのような顔で殺意を込めた視線だったからな……
慌しい9月ももうすぐ終わる。今回もなんとか凌ぐことができた。
来月は……動物園だな。