勝負の決算月!(1)
お盆休みが終わると、しばらくは休みボケしているせいか会社には弛緩した雰囲気が漂うが、数日もすると一転してそわそわと落ち着きがなくなる人間が増える。
国内メーカーは大抵が半年ごとに会計の締め月がある。うちの会社も当然9月は決算月であるため、4月から9月の半年間の売り上げの販売目標に対する達成率でほぼ冬の賞与が査定される。
それに加えて、人事異動も10月1日付で行われることが多いため、8月の末には転勤先を告げられる内示が会社から通達される予定になっている。
そういったこともあって、在籍年数が長くなってきた転勤候補者を中心に社内はにわかに浮き足立っている。
「センパイは転勤ありそうですか?」
怪しいエナジードリンクを飲みながら話しかけてくるのは、後輩である三本松、お盆はタイに行ってきたらしく少し日焼けしている。ちなみにお土産はレトルトのグリーンカレーだった・・・
「まあまず無いな。上がつっかえてるし」
「そうですかねー、私はワンチャン可能性あると思ってるんですが!沖縄とか行きたくないですか!?」
「そりゃ観光ならいいが、仕事で行くとなるとまた話は別だろう。台風も多いし」
全国転勤となると、必ずとも希望する勤務地に異動できる可能性は極めて少ない。個人的には別にどこで働いてもかまわないとは思ってはいるが、今は一ノ瀬さんに絶賛片思い中でもあるため、決着をつけるまではなんとか留まりたいと思っている。
そんなことより気にするべきは業績の方だ。この上半期は悪意すら感じる販売目標のアップがあったが、なんとかこの5ヶ月かけて達成ラインにギリギリ届くくらいまで持ってこれた。一応新薬の立ち上げにもそこそこ成功したとは思っているので、ここを凌げば無難に終えることができるはずだ。
◇
病院は勤務医が交代で夏休みをとるため、時間が出来た俺はクリニックへ足を伸ばした。
受付で名刺を出し面会を申し込もうとしたところだった。
「うげ」
思わず声に出してしまった。面会場所である診察室の前の椅子に腰掛ける姿を見て、出直そうと躊躇してしまったくらいだ。
「あら、六本木さん、面会?院長にいっときますねー。ああ名刺は大丈夫ですよ、もったいないから」
フリーズした俺に受付のお姉さまから声がかけられる。俺の意思とは関係なく面会待ちは予定されてしまったようだ。
気が進まないため足取り重く奥へと進む。
そこにいたのは……
「……」
こちらを一瞬一瞥すると何事もなかったかのようにパソコンに向かい事務仕事を始める女性。
カタカタカタカタ……
気まずい空気が流れる。
こいつはうちの会社と同じく一応大手とされるメーカーに勤める二宮沙織。
俺がこっち来てからちょっとしてから新卒でこっちに赴任してきた。
うちの会社と同じように高血圧や糖尿病といった生活習慣病の薬を主力とするこの会社は一言で言って会社同士が仲が悪い。
比較的メーカーの営業同士が仲良く付き合っている一方でこうして競合する領域が多い薬が多いメーカーとはなかなか馴れ合うのが難しいものではあるが、この子とは正直ほとんど会話した記憶がない。ここまで露骨に嫌われているというのも珍しい。
普通に考えれば、ただこの子が口数が少ないだけだ、と考えることもできる。
しかしここに別に人間がいた場合、彼女は結構明るくおしゃべりしたりするのだ。だが俺に対しては一切話しかけてもこないし、挨拶すらしてこない。
結論として導き出される答えとしては、俺は嫌われている、に行き着く。
そんなわけで、見た目は可愛らしい女の子だが、俺はこの子が大変苦手であった。
仕事上、人にどう見られているかを正確に判断する能力には優れていると思う俺がそう思うんだから間違ってないだろう。
「……六本木さんは異動とかないんですか。そろそろ時期でしょ」
「え?」
話しかけられたのが久しぶりすぎたため、一瞬俺以外の人間がいないか辺りを見回してしまった。
うん、どうやら俺で合ってるみたい。ていうか名前も呼ばれていたしな。
「うちは内示まだだわ。どっちにしろ俺が転勤というのはないな。候補者が多すぎる」
「そうですか……それは残念でしたね」
いや俺にとっては異動ない方が嬉しいんだけどさ。説明するのが面倒なのであえて話したりはしないが。
「まあそのうちあるだろ」
それっきり彼女との会話は続くことはなかった。しかし珍しいこともあるもんだ。まああの子も大人の付き合いを学んだということだろう!険悪にしていてもいいことないものね。
◇
この時はほとんど気にしていなかったのだが、この後まさかあんなことが起こるとはまったく思わなかった。
俺のサラリーマン人生でもトップレベルにピンチの決算月が訪れるのであった。