美人営業さんにお節介しちゃった
「あの……私……誰も友達がいなくて。もしよかったら色々教えてもらえませんか……?」
これが彼女から向けられた初めての言葉。余計なお節介かと思ったが、この時声をかけて本当によかった。
今でもよく思い出す、これが彼女との出会いだった。
◇◇◇
俺は六本木和也 33歳。一応国内では大手といわれる製薬メーカー島村製薬で病院やクリニックに営業をしている。
仕事内容としてはお医者さんに対して自分の会社の製品を勧めるというようなことが中心だ。
とある日の夕方、A市にある総合病院の医局前で同業他社が集結しているなか、目的の医者を待っていた。
「今日もひまっすねー。そういや、4月にしちゃ異動多かったですね、見ない顔が増えましたね」
こいつは、佐藤製薬の田中。3つほど年下で会社は違うが割と良く話す。
製薬メーカーの医療機関向け営業は、ライバルメーカーも多いが、営業現場は露骨に殺伐としたりせず割と仲良くやっていける。
アポイントもなく、あてもなく出待ち入り待ちをしてる待ち時間には、こうやって軽口を叩ける相手がいるのは暇つぶしにはちょうど良かった。
「そうだな、おっさん連中はそろって異動したな」
「そうそう、オリエンタルファーマの新任MRって見ました?」
目を輝かせながら語る田中。
「いんや、前のおっさんは全然仕事しないやつだったからな、担当替わってたのか」
基本的に医薬品の営業は転勤族のため担当の営業はちょくちょく変わる。
オリエンタルファーマは抗がん剤を主力製品とする外資系企業。
今は特に肺癌の抗がん剤に力を入れている、と聞いたことがある。
この病院には採用されてはいないようだったが。
「まだ会ってなかったんですね、いつもいるからもう知ってるかと思いましたよ。結構美人でしたね、ずばり六本木さんのタイプの女性だと思いますよ」
「ふーん、まあ気にしとくよ」
全国転勤の営業職とは言え女性の割合も多い。きれいな女性も多いが、大抵は気が強そうでどうも苦手だった。
「相変わらず淡白な反応ですねえ。そんなんだから33にもなって独身、彼女なしなんですよ!」
「うるせー」
そんな軽口を小声で交わす。
大学時代はそれなりに付き合いがあったが、勤め始めてからは遠距離恋愛になって結局自然消滅した。
最近はあまり女性にときめくこともなくなって来てしまったが、美人は見ているだけでも癒される。
少し楽しみにしている自分がいた。
噂の美人を発見することになるのはその二日後だった。
◇
「オリエンタルファーマの一ノ瀬と申します。4月から担当させて頂いております。今後ともなにとぞよろしくお願いいたします」
ちょうど医局前で呼吸器内科の部長に礼儀正しく挨拶しているところを見かけた。
しかしそっけなく返事をされ、会話が続くこともなく終わっていた。
少し低めで見た目よりは落ち着いた声、艶のある短く整えられた黒髪。陶器のような美しい白い肌。芸術的なバランスで配置された目、鼻、唇。
何から何まで思い描く限り理想の女性像に一致しており、妄想か幻覚の類かと目を疑ってしまった。
これが女神か。
それからしばらくは、彼女をついつい追ってしまう自分がいた。
あんまり見つめると気持ち悪いので絶対に目線が合わないように意識した。近寄ったり声を掛けたりはしないが、不自然にならない程度に彼女が視界には入るような場所に自然と足が行った。
ずっと彼女のことを見ていて分かったことがある。非常に仕事熱心だ。一生懸命通いつめて誠実に話をしている。ただやはり会社の評判が悪いからか、医者にもそっけない態度をとられることが多く、大変そうに映った。
ある日、たまたま彼女の近くで立っていた時だが、ターゲットのドクターに話しかけようと一歩踏み出した彼女につい反射的に話しかけてしまった。
「あ、今はやめておいたほうがいいよ」
彼女は一瞬きょとん、とした表情をしていたが
「津川先生ですか?」
「そうそう、たぶんこれから煙草吸いにいくから 話しかけても機嫌悪いよ。帰ってきたときのほうがいいかな」
「そうなんですね、今まで失敗してたかも……ありがとうございます。助かりました!」
我ながらお節介かとも思ったが一応は感謝してもらえたみたいだ。彼女は熱心だし素直な性格みたいだ。今は大変でもそれほど時間もかからず結果を出せるに違いない。俺は労うように言った。
「大変だと思うけど、がんばって」
「ありがとうございます、実は前任があまり訪問できていなかったみたいで、引継ぎの情報が少なくて困ってたんです……」
「そうだろうね、津川先生は結構そういうのうるさいからね」
「あの……私……実はこんな風に話せる人が誰もいなくて。もしよかったら色々教えてもらえませんか……?」
ためらいがちにそう尋ねてくる彼女に、気にするなというように軽く答えた。
「俺に分かる範囲だったら」
競合もないし、これくらいはいいだろう。美人には優しくしたい。
……男の子だもん。
◇
このことをきっかけに一ノ瀬さんとはちょくちょく話すようになった。
業務上の情報交換が中心だが、プライベートの話もそれなりにする。
一ノ瀬さんは転勤は初めてで以前は九州にいたそうだ。
若く見えたが今年で29歳らしく結婚できずに30歳になってしまうと笑っていた。
彼氏は仕事を始めてからはずっと作ってないらしい。
意外だった。とは言え仕事が好きらしく特に結婚願望もないと言う。
そんなことをあっけらかんと言ってしまうくらいだ、なかなかにサバサバした女性だった。見た目だけじゃない、話すほどにその内面にも惹かれていくようだった。
◇
「最近一ノ瀬さんと仲いいですね、狙ってるんですか?」
「田中―。狙ってるわけないだろ。こんな冴えないおっさんが」
「まんざらでもないでしょ、彼女と話してるとき珍しくデレデレしてますよ。
あ、彼女フリーみたいですよ?」
「らしいな」
「やっぱり狙ってるじゃないですかー!」
「うるさい、仕事しろ」
態度に出しているつもりはなかったが冷やかされると自分の態度はどうだっただろうかと心配になってしまう。
彼女とは少しは親しくなったとは自覚しているが、男としては見られていないだろう。好意に気づかれてしまって距離を置かれたらどうしよう。
彼女の素敵な笑顔をできる限り見続けたいと思ってる。そのためにはこのままの関係をなんとか維持しないといけない。
こんなことを続けていてもいつか終わりは来るとわかってはいたが、そのことにはそっと蓋をして考えないようにした。
◇
そんな日が続いたある日の夕方、病院の駐車場で彼女を見かけた。
「お疲れ、もう仕事終わったか?今日は金曜だし早く帰りな」
「あ、お疲れ様です。そうですね。ちょっと疲れたので今日はもう帰ろうかな・・・」
いつも明るい彼女だったが、珍しく今日は表情が暗かった。
「どうした、元気ないじゃん。たまには飲みにでも行くか?」
別に下心とかではなく、半分冗談のつもりでそう言ったんだが
「あー、どうしよっかな・・・ちょっと愚痴聞いてもらってもいいですか?」
乗り気だよこの子。
「俺でよけりゃ、8時くらいからでいいか?」
「今日はもう直帰するので大丈夫ですよ、すいません、付き合ってもらっちゃって・・・」
「オッケ、んじゃ駅前のまつもと屋に8時で」
普通の居酒屋だ。デートでもないしこんなもんだろ。
「はい、それではまた後ほど」
◇
「んで、あのハゲ!なんていったと思います!?」
……一ノ瀬は清楚な見かけによらず酒癖が悪かった。すっかり出来上がっている。
こりゃ相当溜まってたな。
話の内容としては、現在俺たちが営業に行ってる病院の抗がん剤の採用の目処が立たないことに対してかなり上司に詰められていること。
しかも前任のおっさんは採用間近という報告を会社にはしていたそうだ。
割とよくある話だが、よっぽどめくら上司だったんだろ。どの病院でも使われている薬が入ってないことに疑問を持たないほうがおかしい。
「やっぱり君は目薬売ってた方がよかったんじゃない?って言われた時ぶん殴らなかった自分褒めたいですよ!」
「おー、よく耐えた。えらいぞ」
「ほめてほめてー、あ、六本木さんこれもう一本もらっていいですか?」
「……大将、獺祭まだある?」
「あるけど、来月は無しな、月一本までの約束だからな」
「それでいいよ。お願い」
結局二人で三時まで飲んだ。絶対これ二日酔いだよ。明日が土曜日で本当に良かった。
「ろっぽんぎさんは家どちられすかあ?」
しなだれかかってくる彼女。鼓動がうるさい。血流が激しくなり一気に酔いも覚めた。
「一ノ瀬の家から二駅くらいのところだ、方向一緒だから送るよ」
「送り狼さんれすか?」
「馬鹿、帰るぞ」
こんな状態の女性を襲うほど人間腐っちゃない。
一ノ瀬の家に着き、ふらふらと歩きながら彼女が玄関に入るのを見届けてから帰宅した。
翌朝一ノ瀬からは昨日のお礼と飲みすぎてごめんなさいというような内容のメールが届いていた、
律儀な子だ。
「しかし状況はあまり良くなさそうだなあ……」
一ノ瀬は転勤前は同じ会社の異なる部門で、主に緑内障の点眼剤を中心に営業をするグループに所属していた。そちらではかなり業績が良かったらしく、希望していた抗がん剤専門の部署に異動できたという経緯だ。
期待されていただけに上司からの追求はかなり厳しく、なかなか成果が出せないこの状況で会社での立場は早くも悪化しているようにも感じた。
俺もこの業界で10年以上仕事しているが、こういった状況はかなり不味い。上司もパワハラ気味だし、性格が真面目なやつほど心を病みやすい。そうして休職していった人間、退職していった人間を社内外問わず何人も見てきた。
「やれるだけやってみるか」
彼女の笑顔を守るため、自分のため精一杯頑張ろうと決めた。
◇
翌週の月曜日の朝6時、俺は病院の近くのコンビニにいた。
「あれ、六本木君じゃない、どうしたのこんな時間に」
俺が待っていたのは、一ノ瀬にとっての重要ターゲット、A病院呼吸器内科部長の津川先生だ。
「どうも、相変わらず朝早いですね、ちょっとだけ時間いいですか?」
「珍しいね」
そういって津川先生はポケットから煙草を取り出し火をつけた。合わせるように俺も煙草を吸い始めた。
「あれ禁煙したんじゃなかったっけ?製薬メーカーさんがタバコはまずいんじゃない?」
「肺見てる医者に言われたくないですね、まあお互い様でしょ」
「こればっかりはねー、でどうしたの。正直六本木君に貢献できることは申し訳ないけどほとんどないと思うよ。うちで使える薬がもっとあったらよかったんだけどね」
うちの会社は喘息の薬や肺がんの薬はまったくない、呼吸器内科はあまり接点の関係ない科だ。その代わり会社としてはまったく力を入れていないが、感染症に使う抗菌剤は細々と販売している。
耐性菌が騒がれている世の中だからどうしても使用量は限られてきているし、会社としては旨みの少ない領域ではある。
会社には散々文句を言われたが、耐性菌を減らすための地域の研修を手伝ったことがあり、津川先生は俺にだいぶ感謝しているようだ。
「最近オリエンタルとはどうですか?」
「ちょっと前まではまったく見かけなかったけど、最近来た女性は頑張ってるんじゃない?まあこれまでのことがあるからそんなにすぐは許さないけどね」
想像通り彼女の頑張りは少しづつ認められているようだ。
「まあそれはそうでしょう」
「何かあった?あそこの薬で何か君のところに置き換えられるものあったかな?それかこれから出てくる予定とか?」
「あー、そうじゃないんです、あそこにちょっと優しくしてもらえないかな、っていう相談です」
津川先生は一瞬訝しげな表情をした後、すぐニヤリと表情を崩した。
「何?付き合ってるの?彼女、美人だもんね」
絶対言われると思ったよ。
「そんなんじゃないですよ、ただちょっと見てられないなって」
「相変わらず人がいいね、営業としてはもっとガツガツしてないといけないんじゃない。
まあそのおかげで僕は助かってるんだけどさ。君が言うなら多少配慮するようにするよ。
本当言うと試したい症例はあるんだ。若い連中も対象いるって言ってたし」
「助かります、このことは内緒で」
◇
「六本木さん!やりました、津川先生が採用申請書書いてくれたんですよー!」
俺の姿を見つけると、彼女が小走りで近寄ってきて、そう話しかけてきた。
「おー、よかったな、おめでとう、頑張ったな」
津川先生とのやり取りから2週間経っていた。抗がん剤の採用はうまくいったようだ。
「ちょうど対象の患者さんがいたみたいで、タイミング良かったのかもしれません、ラッキーですけど、嬉しいですね」
君が頑張ったからだよ。久しぶりに彼女の明るい表情が見れてこっちまで嬉しくなってしまう。
「お祝いに飲みに行くかー。奢るよ。あ、でも会社で何かあるかな?」
「いいんですか!? 残念ながらというかうちの会社ドライなんで何もないですよー。」
「そうかそうか、んじゃまた前と同じとこでいいか。飲みすぎんなよ」
「それはいわない約束ですよ。よろしくお願いします!」
彼女の言葉のとおり、以前にように酩酊することもなく、ほどほどに、平和に解散する事ができた。
自分の気持ちを正直に吐いてしまうと間違いなく俺は彼女に恋している。
でももう何年も恋愛というものをしていないし、自分でもこの感情を持て余してしまう。
一体俺はどうしたらいいんだ? 誰か助けてくれ……