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「おはよう」
「あ、委員長おはよー」
彼女はいつも予鈴の30分前に登校している。
まだ教室内はちらほらとしか生徒が登校しておらず、朝の爽やかな空気に満ちていた。
彼女の席は前から3つ目の窓辺の席。教室後方の出入口から入り、室内を横切る形で席まで移動する。
挨拶を交わしながら彼、森清光をちらりと確認してから席につく流れが彼女のルーティーンとなっている。
教卓のある中央列の、一番後ろの席。そこが彼の席だった。
癖の無いさらさらの黒髪、本に夢中で伏せ目がちの純粋な目、存在を主張しない小ぶりな鼻、清潔感のある薄い唇……は、今は隠れてしまっている。
読書家らしく、彼は毎朝静かに本を読んでいる。
(今日は参考書を読んでいるのね…)
通りすがりに彼の手元をチラ見しながら自身の席につく。彼女のささやかな幸せの時間だ。
鞄を置いて身支度を整えていると、女子生徒達が興奮気味に教室に入ってきた。
「登校中のユーキ先輩に会っちゃった!」
「笑顔で手ぇ振ってくれてヤバかったよねー!」
「イケメンオーラ満開、って感じ!」
ユーキ先輩。昨日覚えたばかりの読者モデルの3年生。身近なところでこんなに話題になる人とは知らなかった。
周囲の話によると、モデルの撮影で普段は遅刻して来ることが多く、朝からの登校は珍しいらしい。
ふぅんと思いつつ、会話に聞き耳を立てるのは行儀が悪いかと姿勢を直す。すると、
「でもユーキ先輩のことは委員長が狙ってるからねー」
聞きづてならない言葉が耳に入ってきた。
「えぇっウソー?!」
「昨日ユーキ先輩のこと熱心に話してたから。ね、委員長!」
熱心に話していたのは私ではないのだけれど……周りからはそう見えていたのね。
「それは勘違いよ。私は話を聞いていただけ。ユーキ先輩という人のことも昨日知ったくらいだしね」
誤解はなるべく早く解いておきたい。
この手の話は多感な女子高生の大好きな話題、しっかり否定しないとどんな噂の広がり方をするか分かったものではない。
ユーキ先輩を昨日知った、との言葉は嘘だと思ったのか軽く流された。どうやらそれほどまでに彼は有名人らしい。
彼女達が違う話題で盛り上がり始めたことに安堵しながら、横目で森の様子を確認する。
クラスメイト(私の、ではなくあくまでも同じクラスの人間)の浮いた話への反応が気になったのだが、彼は変わらず本を読み、イヤホンで音楽を流していた。
うるさくしてごめんなさい、そう心の中でそっと謝罪した。
ーーーー放課後。
委員長は図書室に寄った後、廊下でだべる生徒達を横切って下駄箱に足を運んだ。
今日はついている。返却されたばかりの書籍を手に取ると、見覚えのある本が。
裏面に挟まれている貸し出しカードには"森清光"の名前があった。
彼女自身も気になっていたタイトルだった為、すぐにカードに名前を書いて借りた。
自然とこぼれだす鼻歌と共に上履きを脱ぎ、靴に手をかけ出入口まで移動する。
すると、扉の近くにカードケースが落ちていた。
拾って中を開けると、電車のICカードが入っていた。
学生証なら教員に渡せば、明日にでも持ち主の元に返るとは思うが、ICカードならば帰路に着く際困るかもしれない。
連絡先のわかるものが無いかと考えながら、カード下部の印字で名前を確認する。
掠れて読みにくいが、Y…Sakuma…。
下を向いてまじまじと確認していると、前方から来ていた男子生徒が声を掛けてきた。
「あ、それもしかしたらオレのかも」
顔を上げると派手な男子が眼前に現れる。
ワックスでくりくりとハネている明るい茶髪、両耳にピアス、少し着崩した制服。
Yシャツは第二ボタンまで開けられ、中に身に付けているネックレスがゆらゆらと揺れている。
くっきりとした二重の目に見つめられ、ニコッと完璧な笑顔を向けてきた。
「拾ってくれてありがと」
「持ち主が直ぐに見つかって良かったです」
そう返すと何が可笑しいのか、はははと笑いながら、
「可愛らしい鼻歌に誘われて来てみて良かったよ」
なんて言葉が返ってきた。
(……そんなに大きい声では歌ってないはずだけど)
聞かれていた恥ずかしさをごまかすように、カードケースを彼の胸に押し付けるように渡す。
くるりと向きを変えて鞄を手に取ると、彼は気にした様子もなく声を掛けてきた。
「連絡先教えてくれたら、拾ってくれたお礼するよ」
驚いて思わず顔を見たが、こちらの反応が不思議かのように1つ瞬きをして笑顔で小首を傾げてきた。
会って間もない異性にこんなにも簡単に連絡先を聞くなんて……これがイケメンの手口なの?
動揺を悟られないように小さく深呼吸をし、息を整え、唇に力を入れて真面目な顔を作り出す。
「結構です。その服装、校則違反ですよね?一緒にいるところを先生に見られたら私まで怒られてしまいそうなので失礼します」
口早に一呼吸でそう伝えて、彼を避けるように一番端の出入口まで移動してからそそくさと外に出た。
「あ、ユーキせんぱーい!」
「一緒に帰ろー!」
少しの間こちらを目で追っていたが、自身に手を降りながら近寄る女子生徒達の声に応え、彼女達と共に歩き出していった。
学校の校門を出て少し離れた後、背中を丸めて深呼吸を繰り返す。
(びっくりした…)
異性から口説かれたのは人生で初めてだ。先程のICカードに書かれていたYuki Sakumaの文字。
もしかしてとは思っていたが女子達の呼び掛けで確信した。
あれがユーキ先輩。
チャラチャラしてる人は好みじゃないけど、とてもイケメンだった。
学校一人気者の読者モデルの肩書きは伊達じゃないわね。
軟派な言動への驚きと、少しのミーハー心で高揚した気持ちのまま、彼女は帰路へ向かった。
「先輩さっき何話してたの?」
「あの子知ってる、確か1組の委員長やってる子」
真面目を体現したような委員長と、女子をはべらす先輩との2ショットは、傍からみると珍しいものだったようだ。
彼は口元に指を当てて少し考えたあと、
「んー、可愛かったから声掛けたらフラれちゃった」
なんてこと無いかのように軽い口調でそう言った。