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あの闇から最後に帰還した夜から、もう半月近くになる。僕はあれから小説を書くのをばったり辞めた。辞めたというより、書けなくなったのだから辞めるしかない。新垣の事故は、僕にとっての彼女との別れと一緒だ。でも彼のように、物理的に書く手段が奪われたわけではない。小説を書くにあたって必要な頭と、右腕は綺麗なまま残っている。なら、僕はただ単に逃げているだけじゃないのか。その疑惑は、彼の一大決心を見て確信に変わった。僕は書けないのではなくて、書けないことから逃げているだけだ。そんな僕と彼の問題を同じにしてしまうなんて、失礼にも程がある。そもそも僕には、二者択一に迷う権利すらまだ与えられていない。
そんなことを考えていたって、書けない状況が勝手に治ることはない。どちらにせよ、書けなくなってしまった根本的な理由はどこにあるのか、それを探すのが、僕の急務で最優先事項らしかった。そしてあれかこれかと複雑に絡み合った糸を解いていったその先に、やはり行き着くのはそこなのだ。彼女のことを何とかしないと、僕は前に進めない。
九月も中旬に差し掛かっているが、まだまだ連日厳しい残暑が続いている。僕の覚悟とは、おそらく、彼女のことを完全に過去にして、一人での立ち上がり方、歩み方を思い出すことだ。一人で歩き、一人で壁を乗り越えられるようになることだ。その為にやるべきことは思い付くが、実際にそれをやってみせる勇気は僕にはなかった。校庭の端にある大きな桜の木から、油蝉が一斉に鳴いたり止まったり、その間隔が微妙に、注意して聞き取らないとわからないくらいゆっくりと狭くなってきて、それが僕の焦燥を必要以上に駆り立てた。僕は念のため蝉たちに聞いてみる。物事には、勢いが大事だって時もあるよね。彼らはけたたましく鳴くだけで、僕の問いには答えてくれない。でも何となく、蝉たちに、急がないとどうにもならなくなるケースもある、と言われているような気がしてならなかった。そして僕はその熱が冷めないうちに、スマートフォンを取り出して、彼女にメッセージを送った。