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そこは、どこをどう見ても何の変哲もない闇で、奥行がずっと伸びているようにも見えれば、とても狭い小部屋のようにも見える。無論、一切の明かりは存在せず、ここがどこだと断言できる要素は一つもない。だが彼にとってそんなことはどうでもいい。例えそれがわかったところで、来てしまえば自力で出る術はないし、むしろ彼は好んでこの場所に来たがっているのであるから、どちらかと言えば、もうずっとここにいたいというのが本音なのだった。
しかしそうそう都合の良い話はない。ここは、なんでも夢が叶う超次元的な場所ではなかった。一定時間が過ぎれば、彼はまた受動的に現実世界に引っ張られる。出るも入るも、自分の意思では操作できないのがここの掟だった。
もう何時間が経ったのかはわからないが、ぼやけていたピントが徐々に合って視界に光が戻ると、彼は闇に入る前とまるっきり同じ体制で、白紙の原稿用紙を眺めていた。スマートフォンのホームボタンを押すと、画面には午前二時三十四分と表示されているから、あれからは約二時間が過ぎていることになる。ずっと同じ座り方をしていたから、足先に僅かな痺れを感じる。外ではうねるような強い風が窓を叩き、怨嗟の声と嗚咽がコーラスしたみたいな音色を奏でている。少しの間こちらの世界から離れていただけなのだが、それでも光や音というのがやけに昔の出来事のような、懐かしい感じがした。もしかしたらこのまま、やがて闇の住人へと変わっていくのかもしれない。彼はそれもいいかもなと心の中で呟いて、不敵とも苦し紛れとも言えるような微笑を浮かべた。
ほどほどして、向こうに行っていた意識が完全にこちらとリンクすると、溜まっていた眠気が丁度良く襲いかかったので、彼は力無く立ち上がると、その勢いのままベッドに倒れた。足の方で滞っていた血液が綺麗に循環し始めると同時に、睡魔も一気に全身に回り、僕はそれに身を委ねた。深海にゆっくりと沈んで行く感覚。その沈みきる間際で、瞼の裏に彼女の淡い笑顔が写った。いつも彼に向けられていたあの笑顔が写った。彼はどうすることもできないまま、美しさと儚さがぴったり比例してしまう事実を呪った。彼女の笑顔は美しく、またその美しさは、儚さによって初めて成り立っているのだった。